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第一話 踏み台令嬢と、鉄壁の三ツ星


 大陸の西端に位置するステラ王国は小さいながらも自然豊かな国土を有しており、国を囲む山々が天然の要塞となり中央大陸の覇権争いに巻き込まれられることもない平和な国だ。


 しかし戦乱とはほど遠いはずのこの国も、世界地図の端にありながら、他国とは決定的に異なる特異な事情を抱えている。


 それは、周辺国から隔絶されていたがゆえに起きた「女性が極端に少ない」という歪な人口比率だ。  


 数十年前の流行り病の影響か、あるいは神の悪戯か。


 この国における女児の出生率は男児の十分の一。


 十人の男が生まれれば、女は一人しか生まれない。  


 ゆえに、この国において女性は「花」であり、「宝石」であり、そして何よりも守られるべき国家の「至宝」だった。


 ――ただし、花の中にはどうしてもヒエラルキーは存在する、それは大輪の花、価値のある美しい女性に限った話で……


「ねえ、ロジーナ様。この書類の清書もお願いできるかしら? 貴女、字だけは綺麗だし、他にお忙しい用事もないでしょう?」

 

「あ、はい。やりますわ」


「悪いわねぇ。私、これから殿方とのお茶会で忙しくて。あの方ったら、少しでも私が遅れると拗ねてしまうのよ」


 王立学園の放課後、夕日が差し込み茜色に染まる教室で、花の咲かない雑草令嬢と比喩される私――令嬢伯爵令嬢ロジーナは、クラスメイトのご令嬢から押し付けられた書類の山と格闘していた。  


 彼女は華やかなドレスを翻し、取り巻きの男子生徒たちに傅かれながら教室を出て行く。


 この国では、女性は希少であるというだけで崇められる。


 たとえどんな性格であろうと、女性というだけで数人の夫を持つことが許され、女王のように振る舞うのが常識だ。  


 けれど、私は例外だった。  


 私の容姿は、この国では珍しくもない栗色の髪に、特徴のないはしばみ色の瞳。華やかさの欠片もない「地味」そのものだ。  


 それに加えて、元来内気な性格に頼まれると断れないお人好しが災いし、いつしか私は「ドアマット(靴拭きマット)令嬢」という不名誉な二つ名で呼ばれるようになっていた。


 ドアマットは、屋敷に入る前に泥を落とすためのもの。  


 誰もが私を踏み台にして、雑用を押し付け、自分を良く見せようとする、そして用が済めば振り返りもしないそれが私の日常だった。


「ふぅ……でもまあ、誰かがやらなきゃいけないことだし」


 私はペンを走らせながら独りごちる。  


 不思議と不満はなかった、私のような平凡な女が高貴な方々の役に立てるのなら、それでいいと思っていたのだ。


 自分には「愛される価値」などないのだから、せめて「利用価値」くらいは維持しなければならない……


 そんな強迫観念が、私を突き動かしていた。


「……またか。お前は学習という機能が欠落しているのか?」


 呆れと、隠しきれない苛立ちを含んだ低い声が、頭上から降ってきた。


 ビクリと肩を震わせて顔を上げると、そこには教室の空気を一変させるほどの圧倒的なオーラを纏った、三人の青年が立っていた。


 中央に立つのは、輝く金髪と澄んだ湖のような碧眼を持つ、王太子補佐のアレクセイ。


 その立ち姿だけで絵画になるような、正統派の王子様だ。  


 右側に控えるのは、濡羽色の漆黒の髪に、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光を宿した、騎士団長子息のギルバート。  


 そして左側には、月光のような銀髪を揺らし、常に底知れない薄い笑みを浮かべる天才魔導師、シリル。


 家柄、容姿、才能そのすべてを兼ね備えた彼らは「学園の三ツ星」と呼ばれ、数少ない女性たちが血眼になって奪い合う雲の上の存在だ。  


 彼らが現れた瞬間、まだ教室に残っていた数名の女子生徒たちが色めき立ち、熱い視線を送るのが分かった。  


 そんな彼らは、なぜか私の腐れ縁の幼馴染でもある。


「あ、みんな……ごめんなさい、もう少しで終わるから」


「謝る必要はないよ、ロジーナ。悪いのは君じゃない」


 シリルが優雅な仕草で指を鳴らす。


 パチン、と乾いた音が響くと同時に、机の上に散乱していた書類がふわりと浮き上がり、魔法の力で一瞬にして整頓され束ねられた。


「えっ、すごい! ありがとうシリル」


「シリル、甘やかすな……おいロジーナ、嫌なことは嫌と言えと何度言えば分かる」


 ギルバートが眉間に深い皺を刻みながら、私の腕を引いて立たせた。


 その手つきは乱暴に見えて、決して私を痛くしないように加減されている。


「でも、困っていたみたいだし……」

 

「困っているのはお前だろ。自分の時間を使ってまで、他人の尻拭いをする必要はない」


 「ギルバート、そう怒るな。彼女の優しさは美徳だが、利用されるのは見ていて不愉快だ」


 アレクセイが私の肩にそっと触れ、優しく微笑んだ。


 その笑顔は、教室中の女子生徒を一撃で悩殺できる破壊力を持っているが、私に向けられる眼差しには、どこか保護者が出来の悪い子供を見るような色が混じっている。


 三人は流れるような連携で私を書類の山から救い出し、あろうことか私の鞄まで持ってくれた。


 周囲の令嬢たちから「なんであの地味女が……」「幼馴染というだけで侍らせて……」という嫉妬と怨嗟の視線が突き刺さり背中が痛いほどだ。


 けれど、私は知っているのだ。


 彼らが私と一緒にいる本当の理由を。


(みんな、私を「虫除け」に使ってるのよね)


 彼らはモテすぎる。


 この国では女性が絶対的な権力を持っているため、一度気に入られれば、断るのも一苦労だ。


 だから彼らは、あえて「恋愛対象外」の地味な幼馴染である私を側に置いているのだ。


「僕たちには、手のかかる妹分がいるので」というポーズをとっていれば、他の女性たちも簡単には近づけない。


 ようするに私は彼らにとって、都合のいい隠れ蓑なのだ。


「ありがとう。でも、みんなは高貴な方々なんだから、私みたいなのと一緒にいたら評判が……」


「評判などどうでもいい。俺たちが一緒にいたいのは君だ」


 アレクセイが私の手を取り、その指先に熱っぽい口付けを落とすふりをした。


 長い睫毛に縁取られた瞳が、とろけるように甘く私を見つめる。


 いわゆる「秋波」を送られている状態なのだが、私は冷静だった。


「はいはい、またそうやってからかって。そういうのは、本命の素敵な方になさってくださいね」


「……はぁ。君ってやつは」


 アレクセイが深くため息をつく。


 ギルバートは天を仰ぎ、シリルは「難攻不落だねぇ」と肩をすくめた。


 彼らのこういうスキンシップは日常茶飯事だもの、きっと、本命が現れたときのための練習台兼からかうための玩具にされているのだろう。


 私のようなドアマットなら、勘違いして騒ぎ立てることもないと信頼されている証拠だ。


 ――そんな風に、私が彼らの好意を全力で空振りさせていた、ある日のこと。


 私は、学園のマドンナ的存在である公爵令嬢、マリアンヌ様に呼び出された。


 学園のサロンにある豪奢なソファに座る彼女は、希少な女性の中でもトップクラスの美貌を持ち、自分に絶対の自信を持つ「肉食系」だ。


「単刀直入に言うわ。わたくし、あのお三方のどなたかと結婚したいの」


 孔雀の羽の扇子を広げ、マリアンヌ様は高らかに宣言した。


 その堂々たる態度は、まさに令嬢方の頂点に君臨する女王。


「貴女、幼馴染なんでしょう? いつも金魚のフンみたいにくっついているけれど……たまには役に立ちなさいよ。仲を取り持ってくださらない?」


 見下すような視線と高圧的な物言いに小さく胸が痛んだような気がしたけれど、いつものように蓋をする。


 本来なら怒るべき場面かもしれないけれど怒った所で何が変わるのだろう?


 令嬢同士の覇権争いが起きる前に、ドアマットとして今にも騒動に発展しそうな彼女たちの足元をすくって穏便に流してしまったほうが楽だ。


 そして私の頭に浮かんだのは「やっぱり!」という納得と、安堵だった。


 華やかで美しく、家柄も良く、自信に満ち溢れたマリアンヌ様なら、彼らの隣に立っても釣り合う。


 私のような地味なドアマットがいつまでもそばにいては、彼らの婚期を逃させてしまう。


 彼らは優しすぎるから、幼馴染の私を自分から切り捨てられないのだ。

 

 だとしたら、私が身を引くきっかけを作ってあげるのが、ドアマットとしての最後の、そして最大の役目ではないだろうか。


 これは、彼らを解放してあげるチャンスなのだ。


「わかりました! 私、協力します!」


「あら……? 意外と話が早くて助かるわ。貴女、身の程をわきまえたいい人ね」


 マリアンヌ様は少し驚いたようだったが、すぐに満足げに微笑んだ。


 私は使命感に燃え、その日の放課後、3人を裏庭に呼び出した。


          ◇


 夕暮れに染まる裏庭で私の呼び出しに応じた三人は、どこかそわそわしていた。


「話ってなんだ? ロジーナ。改まって」


 ギルバートが腕を組みながらも、耳を少し赤くしている。


 「もしかして、今度の休日の誘いか? ちょうど予定を空けておいたんだ」


 アレクセイが期待に満ちた目で私を見る。


 「おや、やっと僕たちの気持ちに応える気になったのかな? 長かったねぇ」


 シリルが楽しげに杖を回す。


 三人のキラキラした視線が眩しい。  ごめんね、みんな。今日はもっと素敵なプレゼントがあるの。  私は深呼吸をして、植え込みの陰に合図を送った。


「紹介するわ! マリアンヌ様よ! 美人だし、家柄もいいし、みんなにぴったりだと思うの!」


 ジャジャーン!という効果音がつきそうな勢いで、着飾ったマリアンヌ様が登場する。


 彼女は扇子で赤く彩られた艶めく口元を隠し、長いまつ毛に縁取られた流し目で三人に秋波を送った。


「ごきげんよう、アレクセイ様、ギルバート様、シリル様。ロジーナさんから、どうしてもと頼まれまして……」


 私は満面の笑みで、彼らの「幸せな未来」をプレゼンし始めた。


「ね、素敵でしょう? アレクセイには華やかな公爵夫人が似合うわ。ギルバートは剣の話が合う強い女性がいいと思うの。シリルには賢いパートナーが必要でしょう? マリアンヌ様なら全てを兼ね備えているわ!」


 完璧だ。私の人生で一番の名案かもしれない。


 これで私は女子生徒から疎ましがられる彼らの「虫除け」なんて惨めな役目から解放され、彼らは彼らで華やかな学園生活を送れるはずだ。


「だからね、今度マリアンヌ様とお茶会でもどうかしら? 私は遠慮するから、四人で仲良く……」


 ――ピキッ。  空気が、凍りつく音がした。


 風が止まり鳥のさえずりが消えた。


 そう、比喩じゃない、三人の放った殺気に反応したのか文字どうり消え失せたのだ。


 夕日の温かささえ、一瞬で真冬の様に冷え切ったように感じられる。


「……ロジーナ」


 アレクセイの声は、地獄の底から響くように低く体温を感じさせないような冷気をはらんでいる。


 恐る恐る顔を上げると、そこには信じられない光景があった。


 いつも穏やかな春の日差しのようなアレクセイの顔から、一切の表情が消え失せている。


 美しい碧眼は光を失い、深海の底のような暗い色をたたえている。


 ギルバートは、今にも剣を抜きそうなほど拳を震わせていた。


 ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえ、その殺気は、戦場でのそれだ。


 そしてシリルは――笑っているけれど、その目は笑っていない。


 周囲の大気がビリビリと震えるほどの、殺気としか呼べない魔力が溢れ出している。


「お、お三方……?」


 マリアンヌ様が、その異様な雰囲気に気圧されて少しずつ後ずさる。


 しかし、三人の視線はマリアンヌ様には向いていない。


 そう、彼らが見ているのは、私だけ。


 その瞳に宿っているのは、怒り。悲しみ。そして、深い絶望。


「俺たちが、誰のために今まで……」


 アレクセイが絞り出すように呟いた。


「他の女になど目もくれず、ただ一人を守ってきたというのに。……君は、俺たちをそんなに安く見積もっていたのか?」


「ロジーナ……お前、俺たちの気持ちを、そんな風に踏みにじるのかよ」   


 ギルバートの声が怒りに震える。


 「君にとって、僕たちの想いはその程度だったんだね。面倒だから、他の女に売り渡してもいいくらいの」


 シリルの言葉が、冷たい刃のように突き刺さる。


「え……ち、違うの。私は、みんなのためを思って……」


「黙れ!!」


 アレクセイの怒号が響き渡った。


 浴びせられた怒声にビクリと体を強張る、彼に怒鳴られたことなんて、出会ってから一度もなかったのに。


「俺たちが欲しいのは、家柄でも、美貌でもない。……そんなものは、すでに持っている」


 アレクセイが、マリアンヌ様を一瞥もしないまま言い放つ。


「……不愉快だ。消えろ」


 その言葉は、マリアンヌ様に向けられたものか、それとも私に向けられたものか。


 判断がつかないうちに、三人は踵を返した。


 もう二度と振り返らないという、拒絶の背中。


「待って、みんな……!」


 伸ばした手は空を切った。


 彼らは一度も振り返らず、足早に去っていく。


 私の何がいけなかった?


 ぐるぐると回る自問自答の渦にのみ込まれながらも答えは出ない。

 

「きぃー! なんなんですの! せっかく私が声を掛けて差し上げたと言うのにあの態度は! 不愉快なこちらですわ!」

  

 残されたのは、プライドを傷つけられて顔を真っ赤にして激怒するマリアンヌ様と、なぜ良かれと思ってやったことでこれほど拒絶されたのか分からず、ただ呆然と立ち尽くす私だけだった。


 ――これが、私たちの関係が崩れ去った、最初の日だった。


 当たり前に続いていくと思っていた幼馴染の絆が、私の愚かさによって粉々に砕け散った瞬間だった。

ご愛読いただきありがとうございます。皆様のいいね、⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎、作者の執筆の励みになっております。ご協力よろしくお願いいたします。

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