13:変わらぬキスを
「それからしばらくして王宮から召集が掛かったんだ。バクレールの事も気になりはしたが、残ってまで解決しようとは思えなかった」
溜息交じりに話し終え、アルベルトがふっと視線を他所にそらした。
「氷騎士なんて聞こえの良い異名にかこつけて、故郷から逃げ出したんだ」
「アルベルト隊長……」
「キャス、今の話を聞いても、それでも俺への気持ちは変わらないでいてくれるか?」
「もちろんです!」
切なげに問いかけてくるアルベルトに、キャスリーンがまっすぐに彼を見つめて答えた。
過去バクレールでアルベルトに何があろうと、今の彼への想いは変わらない。
確かに彼の話は辛く、穏やかで面倒見のよい今のアルベルトからはかつてマリユス達さえも疑っていたという姿は想像できない。きっと、今とは別人のようだったのだろう。
だけどその話を聞いて、いったいどうして彼への想いが変わると言うのか。
アルベルトの手を強く握ってそれを告げれば、彼の瞳が穏やかに細められた。
「アルベルト隊長に何があろうと、私は変わらずアルベルト隊長の事が好きです」
「そうか、それなら……」
コホンとアルベルトが咳払いをした。
先程とはどこか声色が変わり、どこか上擦ったような口調だ。
見れば表情も緩やかで、それどころか笑みを噛み殺しているようにも見える。――キャスリーンにはそんなアルベルトの表情も格好良く素敵に見えるが、仮にここに双子が居れば「だらしない」「見てられない」とでも言っただろう――
「アルベルト隊長?」
「それなら、もう一度キャスからキスをしてくれるんだな」
「えっ!?」
突然のアルベルトの言葉に、キャスリーンの頬がポッと一瞬にして赤く染まった。
顔が熱い。今が夜でなければきっと一目で分かるほどに真っ赤になっているだろう。
そんなキャスリーンに対し、アルベルトは穏やかに微笑んだままだ。だがその瞳にどことなく期待の色が宿っているのは、きっと気のせいではないだろう。
そのうえ、先程までこちらが包んでいたアルベルトの手がスルリと動き、逆にキャスリーンの手を包みこんできた。
まるで逃がすまいとしているかのようにぎゅっと強く握られ、キャスリーンが慌ててアルベルトの顔と、そして彼の手に握られてしまった自分の手に視線をやる。
このまま凍ってしまったら、なんて考えていたのが嘘のように、今のアルベルトの手は温かい。いや、温かいどころか熱っぽくキャスリーンの手を握っている。
「ア、アルベルト隊長……?」
「キャス、俺への気持ちが変わらないなら、もう一度キャスからキスをしてくれ」
「でも……それは、その……確かに、言いましたけど……」
数十分前の自分がどれほど大胆だったかを改めて思い知り、キャスリーンがアルベルトの視線から逃れるように顔を背けた。
先程は不安そうにする彼を宥める事ばかり考えていた。「自分の気が変わる事なんてあり得ない」そう彼に伝える事だけを考えていた。
だからこそ自らキスをして、そして変わらない証に「話した後もキスをする」と告げたのだ。
(私ってば、なんて大胆なことを……!)
そうキャスリーンが自分の発言を恥じる。
だが赤くなっているであろう頬を押さえようにもアルベルトの手に握られ、顔を背けてもそう距離は取れない。先程までの触れ合いが、今では彼に囚われているかのように思える。
更にはまるでキスを強請るかのようにアルベルトがずいと顔を寄せてきた。切れ長の彼の瞳、藍色が今夜はより濃く見える。
今やキャスリーンの心臓は高鳴るどころではなく、静かな公園に自分の心音が響き渡りそうなほどに激しく鼓動を打っている。眩暈さえ覚えそうなほどだ。
だというのにいまだアルベルトは諦める様子なく、それどころかキャスリーンを愛でるように見つめてくる。なんとも余裕を感じさせる表情ではないか。
ここまで迫られてはキャスリーンも逃げる術が無く、「聖女に対して失礼だわ」だの「部下に迫るなんて、酷い上官」だのと譫言のようにアルベルトを咎めるしか出来ない。
もっとも、その一言一言どれを取ってもアルベルトには甘く届くのだろう、彼の表情は緩みっぱなしだ。
「その顔、シャルに見られたらまた一騎打ちを挑まれますよ」
「キャスと二人きりの時だけだ」
だから大丈夫だと話すアルベルトに、キャスリーンの胸がより高まる。
これはもう覚悟を決めるべきだろうか……。
そうキャスリーンが己に言い聞かせ、アルベルトを見上げた。相変わらず嬉しそうで溶けた表情だ。
いったい彼のどこが氷騎士だというのか。バクレールで彼を氷騎士と呼んだ者達に見せてやりたいが、その反面、彼のこの表情を見られるのは自分だけという優越感も湧く。
「ア、アルベルト隊長……。目を瞑ってください」
キャスリーンが恐る恐る告げれば、ようやくと言いたげにアルベルトが頷いた。彼の瞳が閉じられる。
まるで誘われているかのようで、キャスリーンが臆しつつもそっと彼へと身を寄せた。
ゆっくりと近付き、あと少しで唇が触れそうなほどに近付く。
そうして最後の数ミリの距離を詰めれば、キャスリーンの唇に柔らかな感触が触れた。
何か、などと疑問を抱くわけがない。
自ら触れたのだ。
それがまたキャスリーンの頬を熱くさせる。普段アルベルトからキスされる時とはまた違ったくすぐったさだ。
耐えられない! とキャスリーンが慌てて身を引けば、アルベルトが窺うように目を開いた。
先程よりも増して嬉しそうではないか。思わずキャスリーンが「だらしない顔!」と彼を咎めた。
言わずもがな照れ隠しだが、アルベルトにとってはそんな照れ隠しすらも愛しいのだろう。握っていた手を解くと、今度はキャスリーンの頭に手を置いてきた。
大きな手が頭に載り、撫で、時に三つ編みを掬う。
その心地好さに、キャスリーンの胸を支配していた苦しいほどの高鳴りと恥ずかしさがゆっくりと溶かされていく。後に残るのは蕩けそうなほどの温かさと甘さだ。
「キャス、変わらずにいてくれるんだな」
「はい、もちろんです。アルベルト隊長が、キャスがキャスリーンだと知った時に変わらずにいてくれたように、私も何も変わりません」
「そうか、変わらずに……待っていてくれるんだな」
「えっ?」
ポツリと呟かれたアルベルトの言葉に、キャスリーンが問うように声をあげた。
次いで息を呑んだのは、一瞬アルベルトが物思いに耽るような、どこか遠くを眺めるような表情をしていたからだ。キスをした後とは思えない、ここではない故郷を見つめるような表情。
だがアルベルトは己に向けられる視線に気付くとすぐさま普段通りの穏やかな表情に戻り、ポンポンとキャスリーンの頭を叩いてきた。
「時間を取って悪かった。トルステア家に戻ろう」
「アルベルト隊長、今……」
「これ以上遅くなったら、ナタリア様が双子を引き連れて探しに来るかもしれないからな」
冗談めかしてアルベルトが急かす。
だがその口調はどこか強引で、これ以上は言及させまいとしているかのようだ。
「アルベルト隊長……?」
キャスリーンが呟くように彼を呼ぶ。
だがそれに対してもアルベルトは答えることなく、まるでこれで話は終いだとでも言いたげにポンとキャスリーンの頭を叩くと立ち上がった。
夜闇の中に月が浮かび、それを背にアルベルトが見つめてくる。
差し出してくる手はいつも通りの彼の手だ。応じてキャスリーンが手を重ねれば、優しく包んで立ち上がるのを促すように軽く引いてくる。
いつも通りだ。
……だけど。
(アルベルト隊長、何を言いかけたのかしら……)
疑問が胸に湧く。
だがそれを問うことは出来ず、キャスリーンは隣を歩くアルベルトをチラと横目で見上げた。




