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01:謁見の間の聖女

 

 豪華な飾りと調度品の並ぶ謁見の間。威厳を象徴するかのようなその一室には、部屋の規模に見合った椅子が一脚置かれている。

 玉座とさえ言えるような椅子だ。だがそこに座るのは威圧感を放つ王ではなく、華やかな衣服を纏う少女。質の良い布を使った正装は厳かさを感じさせ、彼女の美しさを引き立てている。それでいて重苦しさはなく、少し動くだけで軽やかに裾を揺らしていた。

 そんな正装を纏う少女は、並ぶ面々に臆する様子無く椅子に腰掛け、隣に立つ女性に視線をやった。三つ編みに結ばれた金の髪がふわりと揺れる。


「次の者、前へ」


 視線を受け、玉座の傍らに立つ女性が並ぶ面々へと声をかけた。

 それを聞き、ゆっくりと一人の老人が歩み出てくる。数歩進んでは足を擦り、数歩進んでは膝を擦り……と、その歩みは随分と遅く痛々しい。今すぐにでも止まってしまいそうなほどだ。

 それでも老人は玉座の前に歩み出ると、恭しく一度頭を下げた。

 次いで玉座に座る少女を「キャスリーン様」と呼び、まるで訴えるように己の膝を一度擦って見せた。


「キャスリーン様、どうも先日から膝が痛みまして……。どうか聖女のお力で治していただけませんか」


 男の嘆願に、キャスリーンは応じるため片腕を上げ、聖女の癒しの力を使い……はせず、ジロリと老人を睨みつけた。

 むぅと眉間に皺を寄せ、精一杯の迫力を見せる。以前であればキャスリーンの顔はベールで覆われ誰にも見られなかったが、一人前の聖女となる儀式を終えた今、目の前で揺れるベールは無い。視界は開けており、睨みつければ当然相手にも分かる。

 ……だが分かったところで、理解してくれなければ意味が無い。現に、睨まれた老人はいまだ恭しく「どうか聖女の力で」と告げてくる。その態度こそキャスリーンを敬っているが、いかに睨みつけても変わらないあたり、効果は薄いと言えるだろう。


「ヘイン伯、膝が痛いのは孫を追いかけて走り回ったからじゃないかしら」

「おや、ご存じでしたか。どうにも「じぃじ早く」と急かされると年甲斐もなくはしゃいでしまいまして。それでは今日は膝ではなく腰の痛みを……」

「腰の痛みは、二人の孫を何度も高い高いしたからよ」

「そちらもご存じでしたか。これもどうにも、高く上げた時に喜ばれると何度もしてあげたくなりまして」


 いやはや……と笑いながら己の頭を掻くヘインに、キャスリーンがふんとそっぽを向いた。厳かなこの部屋と玉座には似合わぬ、なんとも年頃の少女らしい怒りの表し方だ。

 隣に立つナタリアがクスクスと笑い、先程まで畏まった表情で並んでいた者達もどことなく表情を緩めている。王宮内の謁見の間、それも聖女を相手にと考えれば無礼極まりない態度だが、このやりとりがもう何度も繰り返される馴染みのものとなっているのだから仕方あるまい。

 なにより、キャスリーンが彼女らしい素直な態度で接してくれることが嬉しく、この場にいる者達の表情を緩めさせるのだ。


「まったくもう。今回は治してあげるけど、孫に頼まれても無理はしないって約束して」

「なんと優しいキャスリーン様。身目と同じくお心までも美しい」

「煽てでも駄目! 次は無いんだからね!」


 ぴしゃりと言い切り、キャスリーンがすっと片腕を上げた。

 以前は力を使うために集中していたが、今は相手の事を考えれば自然と胸の内から力が沸いてくる。周囲に慕われ社交界を取り纏め、息子を始め次代を担う者達を支え、そしてなにより孫に甘く、愛しい孫に強請られると何でもしてしまうヘインの事を……。

 なんと憎めない伯爵だろうか。そんな彼が体を痛め、足を引きずりながら歩いているのだ。治してやりたいと心から思える。――もちろん苦言は欠かせないが――

 そうして思いのままゆっくりと手を翳せば、ヘインが「おぉ」と感嘆の声を上げた。見れば、先程まで足をさすって僅かに屈んでいた彼がいまは平然と立っている。痛みを和らげるために曲げていた腰もピンと伸び、表情は随分と晴れやかだ。


「さすがキャスリーン様、お見事ですな」

「もう無茶はしないでね」

「いや、実は今日は孫が遊びに来ていまして」

「無茶しないでってば!」


 キャスリーンが声をあげて咎めれば、ヘインが楽しそうに笑う。

 そんなヘインを押しのけるように現れたのは、公爵夫人マーサ。「キャスリーン様、次は私を!」と進み出て、自分の髪を一束掴んで見せつけてきた。艶のある赤い髪だ。


「見てください、キャスリーン様!」

「いつ見ても素敵な髪ね」

「いいえ、ここです! ほら枝毛が! 他にも枝毛が、ここ一週間でもう三本も!」


 悲鳴じみた声をあげてマーサが訴えてくる。それに対してキャスリーンは肩を竦めて返した。

 ヘインもだが、マーサも相変わらずなのだ。そして相変わらずがゆえに誰も止めようとしない。


「いつも言うけど、聖女は美容師じゃないし、ここはサロンじゃないのよ?」

「美を求める女にはどちらも同じ場所です」

「言い切ったわね……。その断言を評して、癒してあげる」


 キャスリーンがクスクスと笑いながら片手をマーサへと差し伸べる。軽く揺らせば癒しの力を授けられたのか、マーサが自分の髪を撫で嬉しそうに礼を告げてきた。

 キャスリーンからしてみれば変わらず美しい赤い髪だが、美を求める彼女には何か変わったのだろう。


「明日から二人は特別料金を取ろうかしら」

「おやお駄賃ですか? 孫達も手伝うといつもお駄賃をあげるんですよ、これがまた奮発してしまいまして」

「払います! 美の為ならばいくらでも払いましょう!」

「ぐぬぬ、さすが伯爵家と公爵家。微動だにしないわ」


 思わずそんなことをぼやけば、隣に立つナタリアが笑う。次いでツンとキャスリーンの頬を突っついて「ぼったくりましょうねぇ」と誘ってきた。この母も相変わらずだ。

 そんなやりとりを続けていると、謁見の間に鐘の音が響いた。午前の執務終了を知らせるための鐘の音。この謁見の間はおろか、王宮中、それどころか市街地にまで響いている。

 それを聞き、キャスリーンがパッと顔を上げた。視線を向けるのは謁見の間に飾られているレイピア。細身の刀身には美しい彫り込みがされており、華やかな台に飾られて調度品のような厳かさを見せている。

 まるで玩具を見る子供のように輝くキャスリーンの瞳に、ナタリアが笑いながらレイピアを手に取って差し出してきた。


「キャスリーン、気をつけて『無茶をしないで』ちょうだいね」

「わ、分かってるわ……」


 先程自分がヘインに言った言葉をそっくりそのまま告げられ、キャスリーンが罰の悪さを覚えてつたない返事を返した。だが次いでナタリアの手に頬をツンと突っつかれると、もう何も反論出来なくなってしまう。

 先日、訓練中に頬にひっかき傷を負ってしまったのだ。傷を癒す力を持つ聖女だって傷を負う。

 もちろんすぐに自らの力で治したが、それを今になって指摘されキャスリーンが誤魔化すように自分の頬を押さえた。ナタリアに「内緒にして!」と小声で訴えれば、彼女の笑みがより強まる。

 あれほど散々ヘインに無茶はするなと言った手前、実は自分も怪我をしていた……等と知られたら立つ瀬がない。そのうえ、頬の傷を負った際に髪も少し掠めて切ってしまった。ほんの少しとはいえ、マーサだったら卒倒しかねない。


「キャスリーンは……いえ、キャスは頑張りやだから不安だわ。無茶をして可愛い顔に傷をつけてしまったらどうしましょう……」

「も、もう行かなくちゃ!」


 ナタリアの話を遮り、キャスリーンが慌てて立ち上がる。

 そそくさと扉へと向かえば、見守ってくれる面々の視線のなんと穏やかな事か……。あまりに暖かすぎて『もしかして知られてるのかも』という不安も沸く。

 そうして扉の前で一度立ち止まり、クルリと振り返った。正装の裾が揺れる。翻る様はまるでドレスのように軽やかで、それに合わせて軽く跳ねる腰元の鞄とレイピアがキャスリーンの活発さをよく表している。


「みんな、行ってきます!」


 そう告げてキャスリーンが頭を下げれば、皆が口々に見送りの言葉をかけてくれる。玉座の隣に立つナタリアも、夫であるブレントと寄り添って手を振ってくれた。

 聖女の退室と考えれば落ち着きが無いが、以前のように不満を胸に彼等を見送っていた時よりも心地良い。そう考えてキャスリーンは扉から出て、堂々と通路を歩いた。




第二章スタートです。

一章で出しきれなかった設定やお話、せっかくハッピーエンドでくっついたので砂糖を振りまきながら進めたいと思います。

またお付き合い頂ければ幸いです。


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