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37:(元)お飾り聖女


 儀式の日から三日後、王宮の最奥にある謁見の間には見慣れた顔ぶれが並んでいる。

 誰もが畏まった正装を纏い、その視線が集うのは上座にある椅子。

 そこに座るのはキャスリーンだ。天井から降り注ぐ日の光を受け、長い睫毛が頬に影を落とす。凛とした佇まいで座る姿は気品を感じさせ、誰もが見惚れるように視線を向けている。

 美しい、そう誰かがポツリと呟いた。

 それを聞きキャスリーンが柔らかく微笑めば、今度は見惚れるような感嘆の吐息が聞こえてきた。

 キャスリーンの胸に何とも言えぬ気恥ずかしさが湧く。どこを見て良いのか分からず、あちらを見てもこちらを見ても誰かと目が合ってしまうのだ。

 以前まではベールを被っており、表情も視線も彼等には分からなかった。だが今は違う、どこを見ているのか、誰を見ているのか、どんな表情をしているのか……全て見られてしまう。

 なにせ今のキャスリーンは素顔を晒しているのだ。着慣れた聖女の正装、だがベールだけが無い。


「いやはや、キャスリーン様のなんと美しいことか。ナタリア様のお若い頃にそっくりだ」


 そう褒め称えるのはヘインだ。

 彼の言葉に、キャスリーンが凛とした態度を取ったまま「ありがとう、ヘイン伯」と返し……ムニッと口角を上げた。ナタリアに似ていると褒められ、つい嬉しくて表情が緩んでしまったのだ。

 慌ててキャスリーンが頬を押さえるも、ヘインに「その表情はブレント様に似ている」と笑われてしまった。周囲の者達も笑みを浮かべている。

 以前であれば聖女のご機嫌取りだと、おべっかだと、そう考えていただろう誉め言葉。だが今は彼等の瞳に娘や孫を愛でるような温かさを感じる。感じ取れるようになったのだ。


「今まで我儘を言って、素っ気なくしてごめんなさい。ようやく気付いたの。今なら皆を癒してあげたいって思える。……でも、ヘイン伯の無理をする性格はどうにかしれもらわなきゃいけないけど」

「これは手厳しい。今日は痛めた腰を癒して頂こうと思ったんですが」

「孫を二人同時に抱っこするからよ」


 ぴしゃりとキャスリーンが言い切り、それでも片手をヘインへと伸ばす。

 孫が大好きでつい無理をしてしまう彼のことを想えば、意識せずともかざした手に力が集まり温まっていく。

 そうして一度すっと手を動かせば、腰の痛みが無くなったのか彼の表情が晴れやかなものに変わり、その成果を見せるようにぐっと腰を伸ばした。――その際に「次は交互に抱き上げます」と言っているあたり再治療は近い――

 周囲でそれを見ていた者達がキャスリーンの手腕を口々に褒めだす。

 聞き飽きたはずの賛辞が今は嬉しく、キャスリーンが気恥ずかしさで頬を掻いた。

 だがその表情に僅かだが影がさしたのは、室内に鐘の音が響いたからだ。以前であれば鐘の音を合図に謁見が終わり、キャスの時間が始まっていた。


(だけどこれからはずっと聖女として過ごすの。でも、いつか必ず一人前の聖女として認めてもらう、そうしたらきっとキャスに会えるわ)


 そうキャスリーンが心の中で呟き、次の申し出を読もうとし……「キャスリーン」とナタリアに名を呼ばれた。

 見れば彼女は穏やかにそれでいてどこか楽しそうに笑っている。ナタリアだけではない、いつのまにか謁見の間の誰もが笑っている。ヘイン達も、重役達も、それどころか警備さえも畏まった態度を取りつつも噛み殺せずに口角を上げている。

 これにはキャスリーンも疑問を抱き、いったい何かと首を傾げた。


「キャスリーン、用意が出来たわ」

「用意? お母様、何の話をしてるの?」

「見てからのお楽しみよ」


 クスクスとナタリアが笑う。明確な言葉を開けて話すのは、きっとこちらを焦らして楽しんでいるのだろう。

 それが分かってもキャスリーンには疑問しか湧かず、答えを求めるように周囲を見回した。

 皆が楽しそうに、待ち遠しそうにしている。「きっと驚くだおう」だの「早くその姿を見たい」だのと聞こえてくる囁きに、しばらく考えを巡らせていたキャスリーンがはっと息を呑んだ。


(まさか……結婚相手?)


 儀式を終えた聖女は、次は力を次代に繋ぐことを考えなければならない。

 それは分かる。その相手がきっと信用のおける誠実な人なのだと、何よりキャスリーンの事を考えて選ばれた人なのだということも分かる。


 だけど、それでも……。


「待ってお母様、私……」

「さぁキャスリーン、お披露目よ」

「お母様、みんな、ねぇ聞いて。私本当は……!」


 周囲の期待が募っていくのが分かる。だがそれでもキャスリーンは周囲とナタリアを制止するように声をあげた。

 扉の向こうには結婚相手の候補者が居て、今まさに部屋に入ろうとしているのかもしれない。その人との間に次代を授かるのが国のため家のため正しいのかもしれない。

 だけどキャスリーンの脳裏に浮かぶのはただ一人。優しく逞しく、穏やかに笑って頬を撫でてくれる騎士だけなのだ。

 儀式を終えて忙しなく今の今まで一度も会えていないが、その姿も、声も、触れる温かさも鮮明に思い出せる。そして思い出すと同時にキャスリーンの胸が締め付けられる。

 そうしてカタンと扉が開く音が聞こえた瞬間、キャスリーンの胸の内に湧いていた感情が爆ぜるように溢れた。


「私アルベルト隊長が好きなの。切り開いた人生を一緒に歩くのは彼じゃないと嫌なの!」

「ほら見て、キャスリーン。聖女と騎士を合わせた、貴女の新しい正装よ!」

「キャス、迎えに来たぞ!」


 ……。

 ……三者三様の声が上がり、謁見の間がシンと静まり返った。



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