27:息苦しい行軍
休息の時間が終わり、再び配置について出発する。
このままいけば日が落ちる前に村に着くだろう。後は小まめに休息を取るより馬が故障しない程度に速度をゆるめて走り続けたほうが良いと判断し、アルベルトが指示を出す。
第一騎士隊はもちろん双子もキャスリーンも騎士だ、休み無く駆けることは出来る。当然馬車の中にいるナタリアやキースもそれに異論を唱えることはない。
何事も順調である。壊れる気配もない。
「キャス、その……ちゃんと食事はとれたか?」
走り出してしばらく、前方を向いたままのアルベルトに問われ、キャスリーンが不思議そうに彼に視線をやった。
いったいどうして今更食事の話などするのだろうか。それも何か言い難そうに。
「はい。アルベルト隊長も同じサンドイッチですよね。ハムの入ったやつが特に美味しくて、もう一つ包んでもらえばよかったと後悔したぐらいです」
「そ、そうだな。それに公爵家の馬車は立派だからな」
「馬車? そうですね、確かに立派な馬車でした」
「…………キース様となにか話したのか?」
呟くような声色で問われ、キャスリーンが首を傾げる。
アルベルトはいまだ前方を見たままだ。だがチラと横目でこちらを見て……そしてキャスリーンの視線が自分に向かっていると分かるや再び前方へと視線を向けてしまった。
まるで避けられているかのようなその視線の動きに、キャスリーンの中で疑問が増す。それと同時に思い出されるのは、馬車内でキースから聞いた話。
生まれた身分ゆえに現状をどうすることも出来ず、どうしたいのかも定かではない行き場のない閉塞感。
全て壊れてしまえば良いという破棄のない投げやりな言葉。
言われるままに結婚するのだろうという、まるで他人事のような己の未来。
……そして彼はキャスリーンも同じだと。聖女もまた、力を次代に繋げる為に用意された誰かと結婚させられるのだろうと、そう言っていた。
まるでその話を催促されているような気がして、キャスリーンが動揺を悟られまいと手綱を握り直した。何度も握り、操り、手に馴染んでいたはずの手綱が今に限ってはヌルリと滑る。
手に汗を掻いているのか。だが汗を掻いているのは手だけか?
(……それが聖女の決まりだとしても、アルベルト隊長にだけはそんな話聞かれたくない)
そう心の中で呟き、誤魔化すように乾いた笑いを取り繕った。
「そ、その……食事中ですから、そんなに話し込んでもいないですよ。さっきの休憩のこととか……あとは、騎士隊の事とか……」
「……そうか」
「アルベルト隊長は? そちらはどんな話をしたんですか?」
「俺達か? 俺達も……まぁ、そんなに大したことは話してないさ」
他愛も無い雑談だとアルベルトが答える。
だがほんの一瞬彼が言い淀んだ気がして、キャスリーンがジッと彼を見つめた。こちらを向くことなく話すその横顔は普段通りだ。だが一瞬だけ色の瞳が揺らいだ気がする。
まるで何かを隠すかのように……。
まるで先程の自分のように……。
(アルベルト隊長も、何か隠してるの……?)
だがそれを問えば自分もまた言及されそうな気がして、キャスリーンが手綱を握り直すと共に緩く引いた。
愛馬が主人の意図を察してゆっくりと歩みを緩める。
「あの、私……お母様が……いえ、キャスリーン様がお疲れでないか聞いてきます」
「あ、あぁ……頼む」
言い淀みながらキャスリーンが告げれば、アルベルトが前方を向いたまま返す。横目で見てくることもなく、キャスリーンもまた彼を見るのが辛いと瞳を伏せた。
普段であれば、手を伸ばしポンと頭を叩いて「頼む」と告げてくれただろう。それを受ければキャスリーンの胸に頼られた喜びが湧き、「任せてください!」と答えたに違いない。
だが今だけは言いようのない息苦しさが湧き、今すぐに走り去りたい衝動に駆られる。
彼を見ていられない。彼の隣に居ることが苦しい。
(アルベルト隊長の隣が息苦しいなんて、初めて会った時だって無かったのに……)
心臓が締め付けられるような苦しさを感じ、キャスリーンがギュウと手綱を握りしめた。
そうして愛馬の速度を緩めれば、自然とアルベルトと距離が出来、後続する馬車に追いつかれる。
窓と並走すれば、ヒョイと手が伸びて綿を一つ放り投げた。次いで窓の外の人物に気付き、顔を出したのは……ベールを被った聖女。顔は見えないがナタリアである。
「あら、キャスリーン……じゃなくてキャス、どうしたの?」
「……別に。それより調子はどう?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししたいわね」
ベール越しでは表情はわからないが、それでもナタリアの声がどこか意地悪気なのは分かる。きっとベールの下では楽しそうに笑みを浮かべていることだろう。
普段であれば「何でもない!」だの「言わない!」だのと躍起になって返しただろう。そして余計に母を楽しませてしまうのだ。
だが今はその気力も無く、ただ溜息交じりに「本当に何でもないの」と返すだけで精一杯だ。
その声色のなんと沈んだことか。これでは何かあったと言っているようなものではないか。
当然ナタリアもそれを察し、先程までの楽しそうな声から一転して不安気にキャスリーンを呼んだ。
「キャス、どうしたの?」
「……何でもないの。大丈夫」
呟くように答えつつ背後を振り返れば、雑談を交わす双子の姿。その後ろには公爵家の馬車とそれを守る第一騎士隊が見える。影になって見えないが、最後尾にはブレントがいる。
馬上で手綱を握る父の姿を思い描き、キャスリーンが母を呼んだ。「お母様」と。双子は雑談で盛り上がっておりこちらの話は聞こえないだろう。もちろんその後ろにもだ。
「……ねぇお母様」
「なに?」
「私も……。いえ、何でもない。ねぇお母様、お父様のことは好き?」
そうキャスリーンが尋ねれば、返ってきたのははっきりとした「えぇ」という言葉。
それを聞いてキャスリーンが小さく頷いた。だがそもそも問うまでも無いことだ。普段から二人は仲睦まじく、出会いはナタリアの一目惚れだったと聞いた。
(お母様はちゃんと好きな人と結婚したのよね……。でも、私はどうなるのかしら……)
自分は誰か知らない人と、その家とそして聖女の力を繋ぐためだけに結婚させられてしまうのか。
そう考えると胸が痛む。だが問えばナタリアの口から決定打を聞かされそうな気がして、キャスリーンが手綱を握り直した。軽く引けば愛馬が更に歩みを緩める。
馬車との速度の差が出始め、「キャス?」とナタリアが名前を呼んでくる。
だがキャスリーンはその呼びかけにどう答えて良いのか分からず、
「キース様の様子を見てきます」
そう告げて馬車を見送った。
最後尾まで行き、愛馬の歩みを早めて先頭まで戻る。
だがすぐさまアルベルトとの会話に詰まり、また逃げるように後続へ……。
何度も往復するキャスリーンに誰もが疑問を抱き、双子は心配そうな表情で声を掛けてくる。第一騎士隊には何か異変でもあったのかと問われ、中には巡回が必要なら変わると言ってくれる者もいる。
だがそれらに対してもキャスリーンは心ここにあらずと言った返事しか出来ず、誰のところにも長居することなく手綱を操り続けていた。
そうして聖堂のある村に辿り着く。
無事に着いたと皆が安堵するが、キャスリーンからしてみれば『もう着いてしまった』という焦燥感しかない。むしろ、どうして今こんな気持ちの時に辿り着いてしまったのかと切なささえ抱く。
アルベルトとはいまだ碌に話が出来ず、何故こんな気まずい空気になってしまったのかも分からない。今となっては軽い報告でさえ重苦しい緊張を感じてしまうのだ。
ここまで来たら先日のような奇襲も無いだろうし、残すは聖堂で一晩過ごすだけである。
(まさかこんな気持ちで儀式を迎えるなんて……)
キャスリーンの胸の内に言いようのない感情が募っていく。
今すぐに逃げ出したいくらいだ。まだ嫌だと泣き言を言って、もう少し待ってくれと喚いて、周囲の呆れを募らせてでも儀式を先延ばししてほしいとさえ思える。
だが勿論そんなこと出来るわけが無い。そして出来ないと分かっていても願ってしまう自分が情けなく、キャスリーンが溜息を吐くと共に愛馬から降りた。心の憂鬱さが影響しているのか、足取りも重い。
(儀式を迎える時にはもっと晴れやかな気分のはずだったのに……)
一人前の聖女になれるという期待、今まで騎士として務めさせてくれた周囲への感謝、そしてこれからは聖女として仲間を支えていこうという決意……そういったものが胸に宿っているのだと思っていた。
少なくとも、初めてキャスを名乗って騎士服を纏った時はそう思っていた。
だからこそ期限付きの騎士業だったのだ。儀式までを自由に過ごし、心残りなく聖女になるために……と。
だというのにいまだキャスとしての生活に未練が残り、仲間を騙していたことへの罪悪感が上乗せされる。そのうえアルベルトとは碌に話も出来なくなり、これがキャスとしての最後なのかと思えば泣きそうだ。
「こんな気持ちのまま、いったい何になれるっていうの……」
そうキャスリーンが呟き、愛馬を連れて厩舎へと向かう。
何もかも中途半端、理想とは程遠い現状に胸が苦しく涙が出そうになる。
だが泣いても居られないのは、グイと強引に腕を取られたからだ。驚いて顔を上げれば、そこに居たのはアルベルト……。
彼の藍色の瞳がジッと見つめてくる。それが今だけは鋭く胸に突き刺さるような気がして、キャスリーンがか細い声で彼を呼んだ。
「……アルベルト隊長」
「キャス、話がある」
アルベルトに告げられ、キャスリーンが返事をしようとし……言葉を飲み込んだ。
彼の背後にキースの姿が見える。それと同時に、馬車内で聞いた彼の言葉が脳裏を過ぎる。
聖女は次代に力を繋げるため、誰か知らない人と結婚をする。
誰か、アルベルトではない誰かと……。
(それならいっそ、この気持ちに気付かない方が……)
痛みすら感じかねないほどの苦しさを覚える胸元を押さえ、キャスリーンがアルベルトを見上げた。
藍色の瞳。この瞳に見つめられ緊張したのはずっと昔、出会った直後のことだ。直ぐに彼の優しさに触れ、そして彼の為人が分かると共に彼の視線を暖かなものに感じるようになった。
だが今は鋭さを宿しているように思え、キャスリーンが逃げるようにそっとアルベルトから身を引いた。腕を掴んでいた彼の手が放れる。
「……キャス」
「もう着替えなきゃ……儀式もあるし……」
「儀式が終わったらどうなる? キャス、聞いてくれ俺は……!」
急くようなアルベルトの声にキャスリーンの肩が震える。これ以上彼の声を聞くのが辛く、遮るように「もう行かなくちゃ」と呟いて踵を返すと共に走り出した。
アルベルトが呼んでいる気がする。だが彼の声を背に聞いても立ち止まることは出来ず、どうしようもなく叫びたい気持ちを押さえつけるだけだ。




