24:不穏な話
「昨日の襲撃に公爵家が関係している?」
とキャスリーンが思わず聞いたままを口にし……慌てたアルベルトの手で口を押えられた。
小柄なキャスリーンに彼の手は大きく、口どころか鼻まで覆われてしまう。
「キャス、声が大きいぞ」
「ふぐぐ」
「いいか、これはあくまで仮定の話。それも極一部の者しか知らされていない。本来であれば末端の騎士であるキャスに話して良いことではない」
「ふぐっ……ぐっ……」
「だから声を潜めて……す、すまん!」
じょじょに息苦しさを覚えてキャスリーンがペチペチとアルベルトの手を叩けば。それに気付いた彼が慌てて手を放した。
その瞬間、キャスリーンが自由になったとぷはっと息を吸う。危なかった。
「悪いキャス、大丈夫だったか?」
「……だ、大丈夫です。それより、公爵家が絡んでいるってどういうことですか?」
「まだ確定ではないんだが、エルウィズ家の子息令嬢が何人いるか知ってるか?」
「確か、子息が五人、ご令嬢が四人、猫五匹ですね」
「あぁ、そうだ。……猫?」
「シャムの雄が二匹、雌が一匹、サビの雌が二匹だったはずです」
「……そうか。それで最近エルウィズ家の当主が跡継ぎを決めようとしているらしくてな」
もしかしたらそれが昨日の馬車襲撃に関与しているのかもしれない、そう考えてキースがついてきたのだという。
それを聞き、キャスリーンが疑問を抱くと共に首を傾げた。
貴族の跡継ぎ争いが激しいというのは聞いたことがある。
聖女として王宮奥の謁見の間に籠り、騎士として平民も入り混じる第四騎士隊に所属するキャスリーンの耳にも届くのだからよっぽどだ。
とりわけエルウィズ家は大きく、子息は次男のキースを含めて五人もいる。となれば争いも過酷だろう。
だが、それが分かっても聖女が関係する理由が分からない。いかに聖女の癒しの力といえど、跡継ぎ争いを癒すことは出来ないのだ。
それを問えば、アルベルトが僅かに言い淀んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「……聖女は、次代に力を繋げるだろ」
「そうですが、それが?」
「だから、その……次代を……そのだな……」
「アルベルト隊長?」
どうしたんですか? とキャスリーンがアルベルトの顔を覗き込む。
いったい何が言いたいのか、藍色の瞳が泳いでおり、「それが」だの「だから」だのと一向に話が確信を突きそうにない。
話を急かすのは好きではないが、これは言及しないと進まないか……そう考えキャスリーンが促そうとした瞬間、スッと背後に人影が現れた。
「つまり、無理やりだろうが聖女との間に次代を作っちゃえばこっちのもんってことだ!」
と、オブラートの欠片も無い発言と共に現れたのはローディス。
「つまり、無理やりだろうがコウノトリをとっつ構えてキャベツ畑で缶詰しちゃえばこっちのもんってことだ!」
と、オブラートに包み過ぎてわけがわからなくなっているのはロイ。
突然の登場と、そして温度差のある発言には驚くほかない。だが流石にここまで言われればキャスリーンも察しがつき、不穏な事柄に顔色を青ざめさせた。
彼等が言う聖女とは、他でもないキャスリーンのことだ。そして無理やり次代をということはつまり……。
「そ、そんなこと……」
有りえるわけがない、そう言いかけてキャスリーンが言葉を飲み込んだ。
アルベルトが険しい表情で瞳を伏せ、小さく首を横に振っている。キャスリーンが言おうとした言葉を、『有りえるわけがない』という言葉を、まるで否定しようとしているかのように。
「仮にも相手は聖女様だ、そんな横暴な手段を取るとは思えない。……が、聖女の力が一子相伝な以上、有効的な手段なのは確かだ」
「そんな、私の……いえ、キャスリーン様の意思は」
キャスリーンの悲痛な訴えに、アルベルトの眉間の皺がより深くなる。
だが表情こそ憤りを宿しているものの、それ以上なにか言う事はない。次いで彼は己の胸の内を晴らすように深く息を吐き、双子へと向き直った。
「お前達、何があってもキャスリーン様を守るんだ。いいな」
睨み付けるかのような鋭さでアルベルトが双子を見つめる。
藍色の瞳は冷ややかを通りこし、凍てつくかのような威圧感を感じさせる。
それに頷いて返す双子も普段からは想像もつかぬ真剣さを見せている。普段であればどんな命令にも間延びした返事で返すのだが、今に限っては騎士らしく短い返事で応えている。その声色は、まるで当然のことだと言いたげだ。
頭一つ以上差がある高さで交わされるやりとりに、キャスリーンが気圧されるように彼等を見上げた。
痺れるような空気が漂っている。その空気に当てられ、なんと声を掛けていいのか分からなくなってしまう。
そんな彼等を見上げていると、ふとアルベルトと目が合った。
ゾクリとするような藍色の瞳。その眼光の鋭さに背が震える。
「何があっても、必ず、俺達がキャスリーン様をお守りするんだ」
そう告げるアルベルトの声は低く重い。
騎士仲間であるキャスを鼓舞するようでいて、聖女であるキャスリーンに誓うかのような深い声。
その声がまるで心臓に溶け込み跳ね上がらせるようで、キャスリーンは早鐘を打ち始める胸元を押さえつつ上擦った声で「はい」と答えた。
聖堂のある村までは馬車で一日も掛からないという。朝に出れば途中何度か休憩を入れたとしても暗くなる前には辿り着けるだろう。
だがあくまでこのまま何も無ければの話である。そう案じるように話すアルベルトに、並んで馬を走らせていたキャスリーンが強張った表情で頷いて返した。
振り返れば二台の馬車が着いてくるのが見える。
一台は聖女が乗っている馬車。もちろん車内に居るのはキャスリーンではなくナタリアだ。時折ポンと白い綿が窓から放り投げられているあたり、今回もまたクッションが犠牲になっているのだろう。
そんな馬車を守るのはローディスとロイ。先程の真剣みを帯びた態度もどこへやら、今は楽しそうに飛んでくる綿をキャッチしている。
そしてキースの乗った公爵家の馬車、その馬車を守る第一騎士、しんがりを務めるブレント……と続いている。
「大事になってしまいましたね」
「ん?」
「行って帰ってくるだけの旅だったのに。奇襲に、それに公爵家の問題まで。巻き込んで申し訳ありません」
元を正せば、この旅の同行にアルベルトが選ばれたのはキャスリーンのせいだ。本来であれば旅の同行は第一騎士隊から選ばれるはずで、ナタリアが引っ掻きまわさなければアルベルトは今頃普段通りの生活を送れていた。
それを詫びれば、アルベルトがクイと手にしていた手綱を操った。緩やかに走らせていた馬を誘導し、キャスリーンに寄せてくる。
いったいどうしたのか、そうキャスリーンが尋ねようとするも、それより先にアルベルトの手が伸びてきた。
「アルベルト隊長?」
「……さすがに馬上で頭を撫でるのは難しいな」
片手で手綱を握り、もう片方の手を伸ばしながらアルベルトが唸る。空を掻く彼の手はどうやらキャスリーンの頭を撫でようとしているらしい。
大きな手があと少しと言いたげに伸ばされる。それを見てキャスリーンが笑みを零し、自らもまた手綱を引いて愛馬に指示を出した。
もちろんアルベルトへと近付くように。距離を詰めれば、彼の大きな手がポンと頭に乗った。数度撫でられ、さすがに長くは続けられないとゆっくりと離れていく。
「あんまり深く考えるな。大事になったなら、そのぶん何か変わるかもしれないだろ」
「……何か」
「あぁ、人生を切り開くって言っただろ。聖女と騎士の二人分の人生を切り開くなら、これぐらい大事の方が良いかもしれない」
そう話すアルベルトの言葉に、キャスリーンが数度ぱちんと瞬きをした。
真面目な彼らしからぬ楽観的な考えではないか。だがその楽観的な考えは励ますためであり、それが分かってキャスリーンが小さく笑みを零した。
確かに、ここまで大事になれば『行って帰ってだけの儀式ごっこ』では済まされない。
無事に王都に戻れたとしても、奇襲をかけてきたのが本当に公爵家の関係者ならば犯人を暴かなければならないし、無関係であったとしても誰が仕組んだのかを探る必要がある。
もちろん聖女自ら動きはしないが、真相によっては今後の儀式についても考えねばならないだろう。
問題は山積みだ。だが逆に言えば、問題が山積みだからこそ、以前のようなお飾り聖女ではいられない。
「そうですね、これでキャスとして認められればもしかしたら……。それに聖女として一人前だと認めて貰えるかもしれない」
そうキャスリーンが意気込み……次いでポンと視界の隅に映り込んだ白い影におやと視線を向けた。
何かが飛んできた。
どうやらアルベルトも気付いたらしく、彼も同じようなタイミングで視線を落としている。
そんな二人の視界に、再びポンと白いものが飛び込んできた。
これは……綿だ。
もしやと振り返れば、後ろについて走っている馬車からまた一つ白い綿が飛び出てきた。
……先程までは双子に向かって投げられていた綿が、どういうわけか今は前方へと投げられている。むしろ前方というよりキャスリーン達に向かってだ。
誰が投げているか。言わずもがな馬車内にいるナタリアである。
そんな馬車に並走するのは……。
「どうか落ち着いてください。先頭の二人はいつもあの調子なんです、けして二人の世界に入っているわけじゃないんです! 怒りの綿は、怒りの綿はどうぞお許しください!」
「あれは別に見せつけてるわけではないんです! あの調子なんです、常日頃あの調子なんです! どうか怒りをお収めください!」
と、わざとらしく車内に訴えるローディスとロイ。言葉でこそ聖女を宥めているが、真意では煽っているのは言うまでもない。
なにせ双子は瓜二つの顔つきでニヤニヤと楽し気に笑っているのだ。そのうえキャスリーンと目が合うと「俺達にはお構いなく」と言って寄越す。
これにはキャスリーンもアルベルトも慌てて手綱を引き、それぞれの愛馬を引き離した。




