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父さんな、ラーメン屋で食っていこうと思うんだ  作者: メモ帳ぱんだ


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第7話 俺の一杯

 俺は二階から鍋を数個と寸胴を、何度かに分けて持ってきた。

 腕にずしりとした重みが伝わる。


 寸胴を火にかけ始めた瞬間、ブワッと広がる動物性のいい匂い。

 豚骨とブロイラーによる、遠慮のない香りだ。

 さっきまでの「優しい匂い」とは、質が違う。


 記者の谷口さんが、思わず口を開いた。


「また、さっきのものとは極端に違うモノが出てきましたね」


 声の調子が、わずかに上ずっていた。


 ずっと大人しくしていた遥香ちゃんが、目を輝かせてカウンターから厨房を覗き込んできた。

 さっきまでとは、表情が違う。


「へぇ、家系(いえけい)ラーメンねぇ。関西でそれは通用するのかな」


 ……やっぱりこの人、かなりのラーメンマニアだな。

 なぜ知っているのか、後で理由を聞いてみよう。

 この時代、家系は横浜の一部で流行っているだけの、かなりローカルなラーメンだ。

 東京でさえ知名度は高くない。関西なら尚更だ。


「このスープは豚骨醤油ベースではありますが、家系そのものではないんですよ」


 あえて軽く言う。

 説明しすぎると、食べる前から先入観になってしまう。


 荒物屋の親父さんが、眉をひそめて口を開いた。


「それ、本当にラーメンなのかい?

 白いスープなんて、初めて見たよ」


 この時点で家系を食べたことがあるのは、遥香ちゃん一人だけだ。

 記者の谷口さんも、どうやら純粋な豚骨ラーメンしか経験がないらしい。

 このラーメンは、関西ではまだ未知の存在だ。


 あらかじめ温めておいた丼に、カエシを入れる。

 続けてスープ、仕上げに鶏油。

 白く濁ったスープは、丼の中で一瞬にして黄金色へと変わった。


 その変化を、谷口さんはじっと見ていた。

 麺の湯切りをしたところで、谷口さんがぽつりと呟いた。


「なるほど……奇抜なだけじゃなくて、基本はできていると……」


 東京ではラーメンブームで、脱サラ組が次々と店を出している。

 湯切りすら満足にできないまま、ラーメン屋を名乗る人間も多い。

 彼も、俺をその手の一人だと思っていたのだろう。

 だが、俺は商社で商材開発のために何度も試作を重ねてきた。

 本職ではないが、場数は踏んできた。


 最後に、麺線を整える。

 麺の向きを揃え、見た目を整える。

 この一手間で、丼の印象は大きく変わる。


 実はこの作業、この時代ではまだ一般的ではない。

 ラーメンが写真に撮られSNSにアップロードされるようになってから、徐々に広まっていく所作だ。


「はい、どうぞ」


 ラーメンを並べていく。

 どデカくて分厚いメンマ。

 ちゃんと密度のある、味が抜けていないチャーシュー。

 表面に浮かぶ鶏油の膜が、光を受けて揺れる。


 理屈を吹き飛ばすほどの匂いが、立ち上る。


 谷口さんが、思わず息を呑んだ。

 一口、レンゲですくう。

 そして、間を置かずにもう一口。


「うまい……。

 濃い……なんだ、この味の階層構造は」


 俺は落ち着いて答えた。


「それが、豚骨醤油の魅力なんですよ」


 このスープは、鶏油、本体、カエシの三段階で味が残るよう設計している。

 初めての人には、確実に衝撃が来る。

 三段階で、はっきりと押してくる。


 その後も谷口さんは、スープを啜り続けている。


 麺を食えよ、と内心で小さく突っ込んでいると、谷口さんはようやく麺を啜りはじめた。

 そして、メモを取り始める。

 どうやら、本気になったらしい。


「麺は少し低加水で、細麺気味ですね。

 伸びるのが早そうですが、そこはどうされます?」


「席をカウンターだけにして客の回転を早くしようかと。

 あと、替え玉方式で行こうと思います」


 実は、麺自体は今までと同じだ。

 製麺所に頼み、寝かせる時間だけを調整してもらった。

 加水率を下げれば、スープはよく吸う。

 その代わり、食べるまでに時間との勝負になる。


「私、本家よりこっちの方が好きかも」


 聞けば、遥香ちゃんは家系の直系二店舗に行ったことがあるらしい。

 この時代、直系はたった二店舗しかない。

 それは完全制覇を意味する。

 可愛い顔をして、なかなか筋金入りだ。


「このラーメン、醤油の後味がマイルドなんだよね。

 本家は美味しいんだけど、あそこがちょっと苦手で」


 遥香ちゃんは続ける。


「きっと関西人の舌に合うように、特別な醤油を使ってるんだよね」


 惜しい。

 カエシの設計はいじっているが、醤油そのものに大きな工夫をしているわけじゃない。


「まぁ……そんなところですね」


 俺はそれ以上、何も言わない。

 商売のタネを、試食会で全部ばらすほど甘くはない。


 遥香ちゃんは、何も言わない俺の顔を見て、意味ありげに口元を緩めた。

 そして、当然のように俺へ手を伸ばす。


「ライスちょうだい!」


 家系といえばライスだ。あらかじめ用意していたライスを渡す。

 このラーメンのスープは濃い。

 ご飯にかけると、別の顔を見せる。

 やっぱり、この人は分かってる側の人間だ。


 周りもそれに釣られて、次々とライスを頼み始めた。


 荒物屋のおじちゃんは腕を組み、唸るように言った。


「これは……ワシにはキツイな」


 その割に、スープは完飲している。

 気づかないふりをして、俺は続きの言葉を待つ。

 しばらくして、彼は口を開いた。


「これを毎日食べたら、胃もたれするんじゃないか?」


「確かに、毎日は食べられません」


 俺は、真正面から答えた。


「今までのラーメンが『毎日食べるもの』なら、

 これは『たまに無性に食べたくなるもの』です」


 荒物屋のおじちゃんは唸ったまま、黙り込んだ。

 母は、ラーメンを食べ終わっても、何も言わない。


 沈黙が、店の中に落ちる。

 均衡を破ったのは、谷口さんの一言だった。


「すみません……雑誌用の写真、撮るの忘れてました。

 もう一杯、作ってもらえますか?」


 店の中に、小さな笑い声が広がった。

 あの谷口さんを、そこまで夢中にさせた。

 それだけで、今日は十分な手応えだ。


 もう一杯ラーメンを作りながら、

 俺はこの試食会の結末を静かに思った。

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