第3話 決意
父親の葬儀は、思いのほか賑やかなものになった。
線香の匂いが絶えず漂い、人の出入りで空気が落ち着かない。
この商店街の知り合いが、全員来ているのではないかと思うほどだった。
「アツシくん、今回は残念だったね」
「ありがとうございます」
声をかけてきたのは、米穀店の店主だった。
その後も、顔を上げるたびに視界の先に誰かが立っている。
荒物屋、魚屋、金物屋。
今では街中からほとんど姿を消してしまった業種の人たちばかりだ。
一人ひとりが、短い言葉で悔やみを告げてくれる。
その背中を見送りながら、俺は思った。
これは、日本がいつの間にか失ってしまった風景なのだと。
父は商店街の行事には必ず顔を出していた。
昭和のこの時代には、まだ地域とのつながりが残っていた。
ほとんどが個人事業主だ。
店を空けるのは簡単なことではないはずなのに、それでも時間を作って来てくれている。
「忙しい中、ありがとうございます」
葬儀場の外で、来てくれた一人ひとりの顔を見ながら、深々と頭を下げる。
頭を下げる角度や間の取り方に、妙に神経を使っている自分に気づいた。
昔の俺なら、きっとこんなふうにはできなかっただろう。
エリート意識に塗れた、クソ生意気な青年だった。
荒物屋のおじさんが、ふいに俺に声をかけてきた。
「キミみたいな息子を持てて、あいつは幸せだったと思うよ」
一瞬、返事が出なかった。
本当にそうだろうか。
俺は、親不孝な息子だったと思っている。
昔から、頭だけは良かった。
大学に行くと言い出したとき、ラーメン屋を継がせたかった父と大喧嘩した。
それ以来、ほとんど会話らしい会話をしていなかった。
全員を見送り終え、骨壷を抱えた母のそばに立つ。
人の気配が引き、急に周囲が静かになった。
「父さんって……慕われてたんだね」
「あの人はね、忙しくても近所付き合いだけは欠かさなかったから」
葬儀が終わり、実家に戻る。
一階はラーメン屋とバックヤード、二階が住居。
すべてが店を中心に作られた家だ。
都市部にしては広い立地なのに、風呂さえない。
この家は、父の生活と労働に合わせて形作られていたのだと、今さら気づく。
床の間に座り、母と向かい合う。
昨日から、ほとんど寝ていない。
通夜をしていたためだ。
古い時代の通夜は、その名の通り、夜の間ずっと棺のそばで過ごすものだった。
令和では、もう殆ど廃れた風習だ。
目が乾き、時間の感覚が曖昧になっている。
「母さん、そろそろ一旦寝たら?」
「大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
そう言いながらも、母はその場を動こうとしない。
こうして落ち着いて顔を見るのは、いつ以来だろう。
母は、まだ若かった。
俺を十六のときに産んでいるから、四十手前くらいのはずだ。
沈黙が降りる。
母は骨壷を膝に置いたまま、俺の顔をじっと見ている。
その指先が、わずかに震えていた。
やがて、言いづらそうに口を開く。
「お父さんが守ってきたラーメン屋を……継いでくれない?」
普通なら、あり得ない話だ。
俺が入ったのは、就職倍率が軽く百倍を超える超名門商社。
将来が約束されたエリートコースだ。
それに、この家は持ち家だ。
売れば、一生暮らしていけるだろう。
近くではJR東西線の北新地駅が開業する予定で、この辺りの地価は急激に上がっている。
儲からないラーメン屋を続ける理由は、どこにもない。
そんな考えが、頭をよぎる。
沈黙は、数分続いたように感じられた。
「……いいよ」
自分でも驚くほど、すんなりと言葉が出た。
母の目が大きく開かれる。
きっと、ダメ元だったのだろう。
「え、でも……凄い会社に入ったばかりでしょ。いい大学も出て」
俺は、少し笑いながら答えた。
「母さんが言ったんじゃないか」
そして、一つだけ条件を付け加える。
大きく息を吸ってから、言った。
「俺は、母さんがまったく想像できないようなラーメンを作ると思う。
それでも、許してほしい」
母は完全には理解していない様子だったが、それでも頷いた。
俺の手を握り、何度も礼を言う。
「今日から、店は一旦臨時休業しよう。母さんは無理しないで」
前科があるからな。
この世界の話ではないけど。
最低限の手続きを済ませ、俺は東京に戻った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
会社で課長に退職届を出したときの反応は、想定通りだった。
ほとんど話したことのない部長まで同席し、辞める必要はないと言われる。
「キミは、主任への最速昇進候補だ。考え直してくれないか」
この仕事が向いていることは、俺も分かっている。
前世では、同期数百人の中で最速で部長まで上り詰めたのだから。
だが、後悔を繰り返したくなかった。
あの再開発されたビルを眺めるたび、何度も襲ってきた、あの感情。
理屈ではなかった。
「すみません。辞めるという決意は固いです」
「……そうか」
しばらくの問答の末、退職届は受理された。
親父のラーメンが時代遅れだったことは、分かっている。
朝三時に起きて仕込みを始める。
この昭和の世界でも、異常な労働環境だ。
早死にして当然だった。
俺は、ただ親父のラーメン屋を継ぎたいわけじゃない。
同じものを出しても、時代に取り残されて潰れるだけだ。
仕込みの途中で倒れ、報われなかった父の名前を、記録に残したい。
全国の中で存在感の薄い大阪のラーメンを、日本一にしたい。
俺には、その力がある。
未来のラーメンを知っているという知識がある。
くだらない夢かもしれない。
でも、それが俺がここにいる理由なんだと思う。
だって、それが――
俺が最後に願ったことなんだから。




