第16話 開店一ヶ月
店を開店してからの一ヶ月間、仕事以外をしていた記憶がほとんどない。
だが、その積み重ねの結果、店長業務はケンジくんに任せられるようになり、スープ作りにもバイトを入れられる体制は作れた。
とはいえ、スープに関しては機密保持の都合もあり、全てをバイトに任せているわけではなく、材料の投入などは俺か母が担当している。
それでもなお、長時間かかる火の番や攪拌を任せられるのは大きい。
そうした分業体制のおかげで、俺はかなり自由に動けるようになっていた。
具体的に言えば、睡眠時間は倍になり、今後の展開についても、落ち着いて考えられるようになっていた。
明日は店の定休日で、今日はスープの仕込みも必要ない。
だから俺は、会社のオフィスでのんびりしていた。
社長用の席に腰を下ろして、俺は机を撫でる。
「この椅子、初めて座ったかもしれない……」
オフィスといっても、湾岸部に購入した中華料理屋の二階だ。
畳を剥がし、オフィスチェアを数台並べただけの簡素な空間だ。
そこへ遥香ちゃんが話しかけてきた。
「昨日で開店から一ヶ月、ようやく落ち着いてきたね」
「そうだね。遥香ちゃんが事務作業を全部やってくれてるから本当に助かるよ」
一応は俺の会社だが、実務のほとんどは遥香ちゃんが回している。
現実には、途中から俺は二階に上がるのすら面倒になってしまい、社長印まで渡してしまっている始末だ。
「ところで、もらってる領収書集計しているんだけど、
これラーメンの材料費って間違ってない?」
そう言って渡された資料に目を通す。
わかりやすい財務資料だ。
今月の北新地店は売上二百十万円、トッピング込みで換算すると約千六百杯分といったところだ。
材料費は八十八万円。
やっぱり豚骨が高いな。豚骨だけで三十万円かかっている。
「うーん、間違ってないように見えるけど」
「いや、原価率が高すぎるでしょ。八百円でラーメンを売ってるのに、原価率が42%もある!」
あぁ、それか。
この時代の一般的なラーメンの原価率は二割前後だ。
俺が高いと思っていた親父の店でさえ、25%だった。
しかもそれは四百五十円のラーメンで25%だ。
比較すれば、同業者に知られたら43%なんて正気じゃないと思われるだろう。
「二百十万の売り上げで、利益が五万ちょっとって、
そもそも収益構造に問題があると思うの」
確かに数字だけ見ればその通りだ。
世界中を探しても、ここまで原価率が高いラーメンはそうそうない。
参考までに言えば、うちの原価率は家系よりもかなり高い。というのも、実はこの時代の家系は、令和と比較するとかなり薄い。
家系ラーメンは今も進化を続けている。
その結果、あそこまで濃いラーメンになっているのだ。
ちなみに家系総本山と呼ばれる店は、創業者の気分次第で味がコロコロ変わることで有名だ。
「どうしてもスープにこだわると、どうしてもこの原価になってしまうんだよね。
再来月からは豚骨を大量購入できるから、原価は五%ほど下がる予定だ」
豚骨は関西だと需要が少なくて値段が高い。
だが、仕入れルートも見直しているし、再来月からは大量購入で25%下げられる契約ができているので、原価はかなり改善するはずだ。
「原価率38%でも、まだ異常に高いんだけどね……」
そして問題は原価だけじゃない。
うちの店は人件費も相当高い。
売上に占める人件費率は、驚異の51%だ。
二店舗しかないのに、俺と遥香ちゃん、母親の三人が正社員だからな。
来月からはタケシくんも増える。
それに高時給のバイトが六人もいる。
つまり、持ち物件でなければ大幅な赤字になっている計算だ。
ここまで整理して考えると、少し経営が雑だったかもしれない。
振り返れば、ラーメンマニア気質の悪いところが出た。
趣味じゃないんだから、ちゃんとしないといけない。
結果的に、有名人の来店による初期ブーストがなければ普通に大赤字だった。
このラーメンは原価が高い。それは仕方ない。
だからこそ、売る数を増やすしかない。
千六百杯。一般的なラーメン屋から見れば売れている数字だが、まったく足りない。
昼営業も始める予定なので、この客足が続けば来月は四千杯強は見込める。
そこで視線を上げると、遥香ちゃんはジト目でこちらを見つめたままだ。
「さすがにこれだけ売れてるのに、利益が五万しかないのはおかしいからね。
税務署とか、銀行に目をつけられると思うんだよね」
確かに、利益を圧縮して脱税しているのではと疑われてもおかしくない。
それでも俺は、胸を張って遥香ちゃんを安心させた。
「来月からなんとかなると……いいんだけどな」
「もう、適当なんだから」
とはいえ内心では反省している。
スープの味をよくするために、ガラを入れすぎたかもしれない。
味で妥協するべきだろうか。
そう思って遥香ちゃんの顔をちらりと見るが、そこまでは求められていない様子だ。
つまり、今は回っているなら良しということだろう。
原価率を高くしすぎると、量が売れた時に採算が取れなくなる。
現状の千五百杯規模では人件費すらペイできず、トッピングで稼いでいる構造だ。
結局のところ――
俺の夢は、もう俺一人のものじゃない。
従業員の夢も背負っている。
そして、有能な遥香ちゃんにはもっと給料を出してあげたい。
そのためには利益が必要だ。
だから俺は、利益を出すための方策を本気で考え始めた。




