第15話 店長任命
俺は、スープの仕込みを一生懸命やってくれているケンジくんの様子を眺める。
開店から二週間ほど経ち、かなり安心して見ていられるようになってきた。
主要工程をセントラルキッチンでやっているから調理が楽というのもあるが、彼はコツコツ進める仕事が向いているんじゃないだろうか。
「ケンジくん、今日は次のスープはいつ作る?」
「開店してから一時間後、十九時くらいから作ろうと思います」
今日のスープは百五十人前を用意している。
この店だと、最大でも百四十杯が限界だろう。
ピークタイムでも、想定していたほど回転率が出ていない。
もちろん、ピークタイム以外は行列ができていないという事情もある。
リピーターの増え方を見る限り、そのうち夜営業中は常時行列を維持できそうだ。
そうなれば、夢の二百杯の大台も見えてくるだろう。
回転は現時点では改善できないので、その次に打てる手は限られてくる。
そこからさらに杯数を伸ばす手段は、一つしかない。
「ランチタイムもやるしかないよなぁ」
とはいえ、そう簡単に話は進まない。
この店には営業時間を延ばせない事情がある。
俺は毎日、スープに十時間ほどつきっきりで張り付いている。
今はスープ作りを手伝ってくれる人材を育てているが、まだOJTの段階に過ぎない。
となると、現場を任せられる人間が必要になる。
店長を任命して、採用からバイト管理まで任せないと、この店の営業時間は延ばせない。
店長候補は、やっぱりケンジくんかな。
彼はこの店のキーパーソンだ。
彼以外に麺とスープを仕上げられるバイトは、まだいない。
いっそ、完全に身内に取り込んでしまうのもありか。
「そういやケンジくん、店長やる気ある?」
「えっ、店長っすか」
「そのうち昼営業もやりたいけど、採用やシフト組みは俺一人じゃ手が回らないし」
もちろん独断じゃない。
これは、あらかじめ母や遥香ちゃんと相談して決めた待遇だ。
正社員として月給二十万、ボーナスも出す。
俺の言葉に、ケンジくんは即決した。
「やります!」
大卒初任給が十五万円の時代だ。
飲食店の給与として二十万円は、かなり高い。
人を雇うなら、給料はそれなりの待遇にしないといけない。
いくら工夫しても、この仕事はかなりのハードワークだ。
「あと、次の店長候補も育てて欲しいんだ。
この店以外にも増やしたいからね!」
「はい!」
店長に何を任せるかは、もう決めている。
俺は店長に、クリエイティブさや経営センスは求めない。
それは現場の裁量が強い既存のラーメン店の常識とは違うだろう。
だが俺は、商品開発と現場は分けるべきだと思っている。
もちろん、理想としては、毎日キッチンに立ち、客の反応を見ながら開発する形だと思っている。
理想なのは分かっている。
実際にやっている人もいる。だが、そんな働き方をすれば、大半は過労で潰れると思う。
そんな話をしていると、横から声が飛んできた。
「と、いうか。火神さん。最近、ちゃんと寝てます? 目の下のクマ酷いですよ」
そうなのかな……?
実は母や遥香ちゃんからも働きすぎだと怒られている。
知り合い全員に言われているくらいだから、相当ひどい顔なんだろうな。
店長も任命したことだし、俺もゆっくり休むかな。
「じゃあ、店のことは新店長に任せて寝させてもらうよ」
店の立ち上げというのは、本当に忙しい。
飲食店ってのは本当に大変だよなぁ。
その言葉に甘えて、少しだけ横になることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
少しだけ仮眠するつもりで二階の住居部分で寝たが、
起きると、すでに営業時間が終わった後だった。
「やっぱ、疲れてたのかぁ」
下に降りて店に行くと、営業は終了してみんなが雑談をしていた。
今日は少しスープが余ったらしく、皆が賄いでラーメンを食べていた。
今日は、ホール担当の一人、近所の主婦のフミさんがザルを振ってくれるようだ。
「フミさん、俺にも一杯作ってください」
俺の分も出してもらう。
弱々しいザルの振りだ。
湯切りが見るからに甘い。
まだ、客には提供できないレベルだな。
今日はチャーシュー麺があまり売れなかったらしく、俺の賄いにはスープが見えないほどチャーシューを盛り付けてくれる。
嫌がらせかと思うほどの量だ。
「俺は、こんなにチャーシューいらないんだけど」
「マジすか……? このチャーシューめちゃくちゃ美味いのに」
タケシくんはトングで俺の丼にあるチャーシューを減らしてくれる。
純粋な好意から増やしてくれたようだ。
実は俺、今朝もチャーシューの改良に取り組んでいた。
死ぬほど試作したから、チャーシューには飽き飽きしている。
「火神さん、このチャーシューめっちゃ柔らかいし美味いですよね
最初は生かと思ってギョッとしたんですが」
このチャーシューはロゼ色をしている。
生かと誤解されるほどだ。
実は、これは低温調理している。
生焼けということは絶対にない。
ちゃんと中心温度を測る手順を作っているから安心だ。
「見た目はともかく、お客さんの評判はなかなかいいんだよね」
個人的には珍しくもないチャーシューだが、この時代ではかなり珍しく、評判を生んでいる。
トッピングの品切れが続いていたので、多めに用意しようとして、今日はミスってかなり余らせてしまったみたいだけど。
カウンターには中心温度を測っていることや、食べても安全である旨の手書きの張り紙が増えている。
相当聞かれたんだろうな。
保健所からも問い合わせがきて、製造現場も見せた。
「これでも、かなり加熱した方なんだけどなぁ」
中心部以外は、火が入りすぎない程度に加熱してある。
そんな説明をしながら、俺も一枚つまむ。
試食で食べ飽きたチャーシューを、光に透かして眺めてから口に運ぶ。
うん、美味い。
令和で食べ慣れた味だ。
「これ、分厚く切って提供できないんですか? 食べたいってお客さん多いんすけど」
今は透けるほど薄い。
「温めるオペレーション作るの面倒だっただけだから、別にメニュー増やしていいよ」
この薄さなら、スープに通すだけでちょうどいい温度まで上げられるから採用しているだけだ。
厚く切って食べたい人がいるならそれもいいだろう。
チャーシュー麺の裏メニューみたいな感じで、厚切りを出してあげればいいんじゃないだろうか。
「業務用の電子レンジで温めてね。湯煎じゃ中まで温まらないから」
俺はどんなチャーシューでも好きだ。
中華そばのパサパサの肉も、二郎系の分厚い肉も、時代の先をいく低温のチャーシューも。
だが、冷たいチャーシューだけは許せねえ。
チャーシューを温めることすらできない店は、ラーメン店失格だとさえ思ってる。
くだらない持論を頭の中で転がしつつ、
そんなことを考えながら、湯切りがまだ甘いラーメンを美味そうに食べている仲間たちを、俺は眺めていた。




