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父さんな、ラーメン屋で食っていこうと思うんだ  作者: メモ帳ぱんだ


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13/20

第13話 嵐の前触れ

 開店日、営業が始まる十八時になって表を見ると、すでに数人の客が並んでいた。

 多分、全員がラーメンマニアだ。

 行列に慣れた規則正しい並び方と服装で、それと分かる。


 先頭に立っているラーメンマニアは、俺に向かって誇らしげな顔をしている。

 あとで近所の人から聞いたところによると、先頭の彼は、朝から並んでいたらしい。

 ラーメンマニアの中でも奇行種、新規開店の一杯目ハンターだ。


 彼らがここに並んでいる理由は、だいたい察しがつく。

 おそらくラーメンマニア達が並んでいるのは、記者の谷口さんの雑誌にページを一つ割いてもらったおかげだろう。

 ちなみに誌面の評価はかなり辛口だ。

 曰く『スープは濃く複雑で美味いが、ラーメンとしての完成度は並』。


 あの人の普段の超辛口レビューを知らなければ、貶されているようにすら思えるだろう。

 だが、この記事は彼にしてはかなり良い評価だ。

 彼のレビューで「美味い」という言葉を使っているのを見たのは、俺にとってこれが初めてだった。

 開店日にわざわざ並んでいるようなマニア達も、それは分かっているんだろう。


 そして、悔しいことに彼の指摘は的確だった。

 実際、あの日より麺は多少マシになっているが、まだまだだ。

 理想には程遠い。スープを吸うための麺、という段階に留まっている。


 そう考えて、俺は一度頭を切り替える。

 今日は試食会じゃない。開店の日だ。


「じゃあ、気合い入れていきましょう!」


「「はい!」」


「ただいま開店です! いらっしゃいませー!」


 客は慣れない食券機に、少し戸惑っている様子だった。

 それでも何とか購入し、食券を渡してくる。


 麺の硬さ、油の量、カエシの濃さ。

 好みを一つずつ聞いていく。


 卓上には豊富な調味料。

 ラーメンには選択肢が必要だ。


 まずは、最初の客達の反応を見る。

 悪くはない。

 マニア達はまずスープを啜り、少しだけ放心したような顔になる。

 そして、もう一度スープを啜った。


 このマニア達の作法には理由がある。

 実はこの時代、ラーメン屋はあまり麺にこだわっていなかった。

 どこの店も、製麺所から仕入れたものをそのまま使っているだけだ。

 ラーメンマニアも、令和ほど麺には拘らない。

 彼らの目当ては、あくまでスープだった。


「うまい、だがなんだこの複雑な味は……」


 一人がぽつりと呟いた。


 その感想も想定の範囲内だ。

 醤油豚骨ラーメンのスープで最も重要なのは、舌に与える情報量だ。

 鶏油、本体、カエシ。その三つだけではない。

 本体のスープそのものも、層になっている。


 上層には鶏油とレンゲの中で混ざったスープ。

 半乳化した鶏からの強烈な旨み。

 非乳化の豚骨出汁。


 一度食べただけでは、きっと理解できない。

 数回食べて、ようやくスープの設計思想が見えてくる。


 マニア達は、ようやく麺を食べる。

 スープを吸った低加水の麺。

 麺の食感を犠牲にして、スープを運ぶための麺。

 これもまた、一つの答えだと思っている。


 やがてマニア達は仲間内で何やら話をしながら店を出ていった。

 店内が、少しだけ静かになる。


 一人だけ残っていた客に声をかける。

 昔からの知り合いだ。


「荒物屋さん、俺のラーメン、口に合わないって言ってませんでしたっけ」


 開店時のざわつきが落ち着き、店内に少し余裕が生まれた。

 その空気の中で、荒物屋のおじちゃんは一服しながら俺の方を見ていた。


「それにしても、ラーメン八百円って、ちょっと高すぎないか?」


 ガラガラの店内で言われると、なかなか説得力がある。

 基本的にラーメンは五百円に抑えるもの。

 それがこの時代の常識で、破ることは許されなかった。


 俺は一瞬だけ言葉を選ぶ。

 そして、自分に言い聞かせるように口にした。


「豚骨醤油は大阪じゃウチが初めてだからね。

 俺が相場を作るんですよ」


 そう口にしてはいたが、内心はかなり不安だった。

 このラーメンは濃厚だ。原価率が高い。

 チャーシューや麺のコストも、正直馬鹿にならない。


 数字は、容赦なく現実を突きつけてくる。

 この八百円という値段でも、一日に百杯売れなければ赤字になる。

 店は二十席。五回転が必要だ。


 五回転というのは、普通のラーメン屋なら相当な繁盛店だ。

 この価格帯で、そこまで客が来るかどうか。

 賭けの要素は大きい。


 そもそも、この時代のラーメン屋の黒字ラインは一般的に五十〜六十杯と言われている。

 この店が、どれだけスープに金をかけているか分かるだろう。


 初日以降は、近所の知り合いがぽつぽつ来るだけだった。

 想定していたピークは来ない。

 厨房の中は、雑談で賑やかだ。


 満席を想定し、人員を厚めに配置した結果、店内はかなり暇だった。


 今日は寸胴一つ分、つまり百人前のスープを用意していたが、まったく客が来る気配はない。


 この店は雑誌で紹介されたとはいえ、この時代はまだラーメンブームは起きていない。

 谷口さんの記事が載っているような本格的なラーメン雑誌は、マニアしか読んでいないのだろう。


 時間を持て余し、俺は従業員教育に回ることにした。


「寸胴のスープは表面に油が浮いてますよね。

 これを掬うと、味がかなりブレるんです」


 一度作ったスープは、どうせ捨てる。

 そう割り切って、従業員達の練習用に回す。


 俺は良い例と悪い例を実演し、彼らに試食させた。


「底からスープを取る。

 そして最後に、表面の油を少しだけ足すのが良い例です」


「同じスープなのに、全然味が違いますね」


 表層の油だけを掬った一杯は、不味くはないが単純な味だ。

 誰でも違いが分かる。


「よし、次は湯切りの良し悪しで、味がどれだけ変わるか見せますね」


 暇すぎて、色んな食べ比べ会まで開けるほどだった。


 開業して数日は、ラーメンマニアがちょくちょく来たり、近所の人が顔を出したりする程度だった。


 匂いや行列で迷惑をかけることになるため、オープン記念として最初の数日は近所の人に、ほぼタダ同然で振る舞った。


 それが広まったのか、商店街の人達がよく来るようになる。

 席が埋まることも、少しずつ増えてきた。


 大赤字だ。

 だが、スープを捨てるよりは食べてもらった方がいい。


 しかし、ワイワイと近所の人と雑談しながら楽しく働けたのは、最初の週だけだった。


 八日目。

 雑談する余裕なんてなくなった。


 なぜなら、その日から店の前にできた行列を捌き続ける、地獄のような日々が始まったからだ。

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