768.牽制と逃走
俺は大回りしながらアイノスの周囲を飛び回る。
ステータスの差と、基本戦術や動きの癖がバレてること、んでもって奴の〚ヴォイドエッジ〛のせいで、全く反撃に出るチャンスがねえ。
緩急付けて不規則に逃げ回ってんのに、肩に、足に、腕に、奴の放った斬撃が走る。
どうにかダメージを〚自己再生〛で打ち消していくが、これじゃこっちが先にバテちまう。
〚ヴォイドエッジ〛が〚次元爪〛と似ていると俺は考えたが、決定的に違うところが一つあった。
それは〚ヴォイドエッジ〛は腕を振るう必要もなく、ノーモーションで複数展開が可能なところである。
いや、マジでシャレにならない。
こんなもん、正面から相手にしたら、テュポーンでも数秒でミンチにされる。
『逃げ回っているだけか? くだらない。とっととボクに押し潰されて、消え失せろ』
俺を追うアイノスの周囲に、大量の魔法陣が展開される。
そして、その同数の、物理的な距離を超越した斬撃が放たれる。
俺はどうにか今までは身体の端で受けていたものの、ついに受け損なって腹部を大きく裂かれることになっちまった。
「グゥッ……!」
大量の血が飛び散り、激痛が走った。
高度が大きく落ちる。
こんままじゃ、腹の中の臓物が出ちまう。
それに、地面に叩き付けられりゃ、大きな隙を晒すことになる。
そうなったら最後、〚ヴォイドエッジ〛の嵐に巻き込まれて命を落とす。
俺は敢えて高度を落とし、身体を丸めて腹の傷を押さえ込み、そのまま〚転がる〛へと移行した。
飛行の勢いを乗せて、初速からほぼ最高速でぶっちぎる。
追ってくるアイノスから距離を稼ぎつつ、左右へ跳ねて〚ヴォイドエッジ〛を躱す。
身体を丸めている間は、傷口から臓物が漏れることもない。
俺は丸めた腹部に力を込めて圧迫しつつ、〚自己再生〛で早急に肉をくっ付ける。
単純に強いスキルを物量でゴリ押ししてきやがって。
なるほど、戦いに不慣れな奴が半端に頭を使うより、よっぽど凶悪な戦法だ。
さすがはこの世界の管理者様だ。
どういうスキルで、どう戦えば強いのか、よくご存じらしい。
『おい、相方ァ! 逃げ回ってるだけじゃ勝てねえぞ! せめて、もうちょっと反撃しねぇと!』
相方からお叱りの声を受けることになった。
いや、〚ヴォイドエッジ〛と正面から撃ち合うのは無茶だ。
単純にアレ、予備動作不要で並行展開できる〚次元爪〛だからな。
その上でアイツ、人読みと単純な速さだけでこっちの〚次元爪〛に対応できるんだぞ。
『こうしてる間にも〚自己再生〛連発させられて、どんどんMPがなくなってんじゃねえか! ジリ貧でジワジワ追い詰められるくらいなら、こっちから仕掛けてやった方がスッキリするぜ』
そうでもねえよ、相方。
俺はお前がいなくなってから、伝説級以上同士の戦いを何度も凌いでるんだぜ?
逃走は、時として最大の攻撃になる。
『あァ? どういうことだ?』
奴のステータスを見てみろ。
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〖アイノス〗
種族:--
状態:ドラゴニム、憤怒
Lv :255/255(MAX)
HP :99999/99999
MP :95974/99999
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MPは確実に削れていっている。
〚ヴォイドエッジ〛は高威力、高射程、連発可能で隙皆無のクソスキルだが、その分ちゃんとMPを消耗してる。
攻撃スキルは狙ってちゃんと当てねぇと、回復に回せるはずだったMPのリソースと割が合わなくなっちまう。
おまけにアイツは、距離を詰めあぐねてる上に、俺が大して攻撃しねえせいで、折角使った〚ドラゴニム〛のMPも無駄にしてるってわけよ。
実質的に、相手の攻撃を安定して凌げる盤面を維持することは、ダメージを与えることにも等しい。
相手のMPを削る自信があるなら、逃げることに注力しちまってもいいってことだ。
『言ってることはわかったぜ。ただ、全然避け切れてねぇし、MPはあっちのが上なんだから、こんな戦い方してたら先にバテちまうぞ!』
今の話は、一方的に攻撃を受けてるようで、消耗MPが僅差なら緩やかに殴り合ってんのと変わんねぇって話だ。
この盤面でのMPレースで多少損を引かされたって構わねえ。
まずは情報量の差を埋めてぇんだ。
あっちは各スキルの細かいMP消耗度合いも、俺の戦い方も、俺のクセも、全部把握してやがる。
だからこの、比較的消耗の差を抑えて穏やかに戦えてる盤面を維持して、相手の主要スキルのクセや、消費MP量を見極める。
命懸けの戦闘経験の差なら、絶対俺の方に分があるはずだ。
〚ヴォイドエッジ〛も、スキルのクセと性質さえ見極められれば、もっと余裕をもって捌けるようになるだろう。
アイノスのヤローに、目にもの見せてやるよ。
結果的に消耗MP量じゃ俺の方が押されてるが、アイノスだって熱くなり過ぎちまってる。
いくらなんでも〚ヴォイドエッジ〛を乱発し過ぎだ。
消耗の激しい〚ドラゴニム〛を用いたのも、攻撃力を高めて決着を急いた以上に、防御力を高めて受けるダメージの減少を狙いたかった、という理由もあるはずだ。
つまり、脅えで効率の悪い手を取っちまってる。
これまで王座に座って、世界を俯瞰して嘲笑ってた奴だ。
いきなり何の覚悟もないまま、同格相手との戦闘に放り出されて、はい実戦闘となれば、冷静でいられるわけがない。
それも今、奴はラプラスへの怒り心頭で、平静を見失ってる。
焦りで攻め過ぎて、そして脅えで守り過ぎだ。
俺は果てのない異空間の中を、全力で転がり続ける。
ここ、もしかして、滅茶苦茶広いんじゃねえのか?
こりゃ、案外〚転がる〛センパイだけで、MPの半分くらい削れるかもしれぇな。
ちらりと背後を見る。
直線距離で、一直線にアイノスが飛来し、追い掛けてくる。
『ボクにこのスキルがあること……忘れてるんじゃないだろうねえ?』
アイノスが、竜化した前脚をこちらへ向ける。
奴の爪先がキラリと光ったかと思えば、グワンと視界が揺れた。
アイノスお得意の、最速の精神攻撃スキルだ。
脳を直接鷲掴みにされ、激しく振り回されたかのような、強烈な不快感。
視界が緑になったかと思えば、チカチカと明滅する。
腹の底から胃液が込み上げてくる。
「ガァァァアアッ!」
相方が咆哮を上げる。
意識がはっと戻って背後へ目をやれば、相方が懸命に首を伸ばし、避け損ねた〚ヴォイドエッジ〛を顔面で受け止めていた。
顔面が拉げ、体液が飛び散る。
相方……すまねぇ!
俺は咄嗟に、尾で地面を叩いて跳び上がり、そのまま〚転がる〛から〚飛行〛へシフトし、敵の追撃を躱した。
それからすぐに〚自己再生〛で相方の頭を治していく。
だが、まだ漠然とした不快感が、俺の頭を支配していた。
こんな状態じゃ、完全には立て直せねぇ。
油断したときにまたかましてくるんじゃねえかと思えば、それが怖くて、動きに集中もできない。
『ったくよ、どうしちまったんだよ! 急にフラフラしやがって!』
アイツのお得意技らしい。
どういう原理なのかはまるで掴めねぇが、完全にノータイムで相手の脳に負荷を掛けられる精神攻撃だ。
ミーアの石碑にも、あの技への言及があった。
『奴は基本的に、全てのスキルを使えると思っておいた方がいい。当然だが、私がこれまでに見た何よりも遥かにステータスが高かった。加えて、当時私の持っていたあらゆる耐性を貫通した、正体不明の凶悪な精神攻撃スキルを持ち、それを攻撃の主体に扱う。恐らく対抗する術はないので、精神力で堪える他にない』
あんなんで常に揺さぶれてたら、こっちの精神が持たねぇぞ。
『ヴォイドエッジ』とあの精神攻撃を交互にかまされたら、こっちはそれだけでお手上げだ。
しかし、アイノスのスキルを見た今だからわかるが、恐らくは〚アカシックレコード〛によって使用可能となった、何かしらの魔法スキルなのだろう。
あんな回避不可能な理不尽なスキル、今まで見たことがねぇ。
恐らくあのクソスキル〚ヴォイドエッジ〛と合わせて、実質的なアイノス専用俺ツエエセットなのだろう。
ふざけたことしやがって。
……いや、本当に、そうなのか?
突如、疑問が浮かび上がった。
俺は今まで、アイノス以外で、あのスキルを見たことがないのか?
あの不快感……理不尽さ、回避の困難性。
俺はあのスキルを、何か別の場所で体験してるんじゃねぇのか?
記憶というか、感覚というか。
何か……既視感があるような気がする。
ちらりと背後を見る。
〚転がる〛を崩され、無理に飛行に転じたせいで、大分距離を詰められている。
こんままじゃ〚ヴォイドエッジ〛の乱れ打ちと共に、〚ドラゴニム〛で強化された奴の鉤爪が俺へと飛び込んでくることになる。
そして恐らく、衝突の際、あの精神攻撃を並行してかましてくる。
下手すりゃこっちは、まともに身体も動かせないまま、一気にHPを削られて、そのままお陀仏だ。
『……なあ、おい、相方ァ。もしかしたらあのスキル、オレらなら対応できるんじゃねえのか?』
な、なんだって?




