足掻く者たち
絵里加は劇団の練習に毎週通った。
柔軟体操に発声練習。笑いながら練習して次は何を公演するか話しを聞く。
練習が終わったら皆で賑やかにお茶をする。世界が広がって行く。仲間が増えて行く。
ある日恐怖という芝居の練習をした。一人一人がすごい迫力だった。
(ウーン。目の前に何かとてもとても恐ろしいものが見えているって事だよね?)
「次は絵里加ちゃん、やってみて!」
(取り合えず、ゾンビが目の前にいたら怖いかな? やるっきゃない!
女は度胸だ!舞台と一緒だ!)
そうするとゾンビが目の前に見えてくる。顔色を変え、後ずさり悲鳴を上げる。
(やば!あんまり怖く感じない!ちょっと断末魔のゴキブリ入れようか?)
-ジタバタジタバタ-
周りは何も言わなかった。多分初心者がそうそうできる演技ではなかったのだろうが、みんなはベテランだから当たり前のはず。
次の劇団の演目は「オズの魔法使い」に決まった。
「絵里加ちゃん、ドロシーやってみない?」
(あの可愛い女の子? 台詞いっぱいあるよね? 無理無理無理!!)
「…無理だろう」
私の顔を見た八木さんが言ってくれた。
「私がドロシーをやるわ!」
そう言ったのは確かにドロシーが似合いそうな、いつも笑顔の可愛らしい礼子さんだった。
女優は役によって雰囲気が変わる。「クリスマス・キャロル」の時には礼子さんは「羅生門」の鬼婆のようだった。でも今はとっても可愛いドロシーだ。
すごい台詞たくさんあるし、一つ一つの台詞に感情移入して発声してる。
少女らしさ。伸びやかな歌声。
そう、今回はたくさん歌があるミュージカルだったのだ。
「今回はチケット無しで無料でやる。場所は市民ホールで「こどもの日」にやる。客は400人は入れたい。この先を見つめてまず知名度を上げて、次は有料でも来てもらえるように頑張ろう!!」
三鷹さんが熱く語った。誰一人それにノーという人はいなかった。リーダーは三鷹さんなのだ。彼のビジョンについていくだけだ。
絵里加の役はマンチキン。ホビットのように陽気で明るい種族だ。竜巻にのったドロシーの家が、悪い魔女を押し潰して、虐げられていたマンチキンたちを救うのだ。マンチキンは歌って踊ってドロシーを歓迎する。
もちろん衣装は手作りだ。
「このフワフワした布を私にどうしろって言うの? できないわ! お母さんお願い!」
青い布は買ったけどマンチキンの衣装を縫ったのは…当然、絵里加の母だったw
舞台当日、400人のお客さんの前でのびのびと歌って踊って楽しんだ。もう緊張することはなかった。
絵里加の舞台だと家族も友達も呼んだ。
「お父さんお母さん、来てくれてありがとう」
「みんな、来てくれてありがとう」
その日が社会人劇団としては最高の舞台だった。
しばらくして礼子さんが結婚した。結婚式に呼ばれてびっくりした。白無垢の綺麗なお人形さんが置いてあると思っていたら、なんと礼子さんだったのだ。まるで人形みたいで、生きてるとは思えないぐらい綺麗だった。
もう一人の女優さんの結婚式にも呼ばれた。とても堂々としていて、見るからに「私は女優」という迫力だった。
そして女優さん達が減っていくと、劇団としては芝居が成り立たなくなる。社会人劇団は仕事が優先する。次には家庭だ。新婚生活の土日を芝居に当てるなど、もちろん夫が許さない。
次の公演の予定はまるで立たないまま、やがて絵里加はその劇団から遠ざかっていった。
そんな時、同じ学部の理恵子から言われた。
「私の芝居を手伝いに来ない?」
「うん興味ある。行ってみたい。手伝ってみたい」
理恵子が脚本を書いた芝居に出た。
白いフワフワした衣装を手作りしたのは、やはり絵里加の母だったw
そしてびっくりしたのは、東京には 無数の小劇団が乱立しているということだ。芝居の小冊子を開けば、今日の舞台が山のようにある。小さな公演は小さなスペースで50ぐらいの座布団を並べて、それで1200円くらいのチケットで売るのだ。
理恵子の知り合いの舞台を見た時だった。
「聞いて聞いて! 根室さん今度テレビに出るんだって!」
理恵子が言った。根室さんは舞台の主役だ。盲目の演技が凄かった。
「本当? 見る見る! いつやるの?」
「木曜日の9時で刑事役なんだ! 見ようね!!」
その番組が始まるのをテレビの前で待っていた。いつ出るのかいつ出るのか? そう思いながら。番組の最後の方に、たった一言の台詞だけで刑事役として出た。
(すごい頑張ってるけど、10秒もなかったし顔も映らなかった…)
100人ぐらいの観客が入る舞台を見に行った。主役の人の演技力は素晴らしかった。後日、深夜番組でメインキャストに選ばれているのを見た。でも絵里加には、あの時感動したほど素晴らしくは見えなかった。
ある芝居仲間が言った。
「テレビに出るのはすごいことなんだ。そこまで行ける役者は滅多にいないんだよ」
無数の劇団の中で足掻いて足掻いて、それでもテレビという栄光をつかみ取れるのは一握りなのだ。
あまりにフィクションがなさすぎて、こちらは書き直しが必要かもしれません。




