エピソード 3ー7 失って初めて気付く想い
それから、どれだけの日にちが過ぎただろう? 数週間か一ヶ月か、半年は経っていないはずだけど、俺はただ運ばれてくる食事を食べるだけの毎日を過ごした。
そうして肌寒くなってきたある日の夜。俺はどこからか聞こえる怒声に目を覚ました。
「……なんだ? 誰か喧嘩でもしてるのか?」
そう思って耳を澄ます。そうして微かに拾えたのは、人の悲鳴と賊という単語。
「賊って……この屋敷に? そんな馬鹿な」
グランシェス家が抱える騎士団の全てがこの屋敷にいる訳じゃない。むしろその多くは各地に派遣されている。
それでも、商人が住むような屋敷とは警備の人数が違う。そんな屋敷に賊が入り込むなんて有り得ない。
だけど事実として、外のざわめきは今もなお続いている。
「おい、誰か! 誰かいないのか!?」
俺は扉を叩きながら叫ぶ。外の様子が判らない以上、賊を引き寄せる可能性だってあるけど、このまま留まっていても来るのが助けだとは限らない。
なにより、アリスやクレアねぇが心配だ。それにクレアねぇは周りの人間が護ってくれるかも知れないけど、アリスはそうはいかない。
「誰かっ! 誰かいたら返事してくれ!」
必死に扉を叩き続けること数分。
「――リオン様、何処ですかリオン様!」
俺の待ち望んでいた声が響いた。
「アリス、こっちだ!」
「リオン様!」
足音が扉の前にまで近づいてくる。そして程なく、ガチャリと扉が外から開かれた。
「リオン様ご無事ですか!?」
「ああ、俺は大丈夫だ。賊とか聞こえてきたけど、一体なにがあったんだ?」
「皆さん混乱していて詳細は判りませんが、賊が屋敷に攻め込んできたようです」
「攻め込んでって……伯爵家の屋敷を襲撃するなんて正気の沙汰じゃないだろ?」
「そうですね。でも、最近領地に盗賊の目撃情報が多発していたんです。それで討伐隊を派遣して、屋敷が手薄になったところを狙われたみたいです」
「意図的に誘導されたって言うのか?」
「判りませんが……騎士の方達が押されているのは事実です。賊がここに押し入ってくるのも時間の問題だと思います」
「そんなに旗色が悪いのか……」
普通に考えたら信じられないけど、屋敷が混乱しているのは事実。今動かなければ、取り返しのつかない事態になるかも知れない。
「リオン様、まずは安全な場所に避難しましょう」
「そうだな……あぁいや、クレアねぇを探さないと。何処にいるか知らないか?」
「クレア様ですか? 残念ながら、ここしばらくはお会いしていません」
「そうか……」
最後にあった時は、明日から花嫁修業をさせられるって言ってたから……アリスも会ってないとすると、部屋に閉じ込められてるのかもな。
「よし、まずはクレアねぇの部屋に行ってみよう」
方針を決めた俺達はまずは廊下に。要所要所に置かれたランタンの一つを拝借し、その明かりを頼りにクレアねぇの部屋へと向かう。
だけどその途中。俺はグランシェス家の騎士と、賊らしき男の遺体を見つけた。
「ここで戦いがあったみたいだな」
俺はこみ上げる吐き気を押さえ、二つの遺体を観察する。相打ちだったのだろう。双方の体に致命傷だと思われる切り傷がある。
グランシェス家の騎士の力量がどれほどかは知らないけど……仮にも騎士を相手に相打ちか。ただの賊がここまで出来るモノなのか?
……いや、詮索は後だ。まずはクレアねぇと合流して安全な場所に逃げないと。
だけどその前に――と、俺は遺体に目を向ける。
倫理的に抵抗はあるけど、この状況ではそうも言っていられない。俺はなにか使えるモノはないかと、それぞれの持ち物をあさり始めた。
「……リオン様。それは……」
「言いたい事は判るけど、今は我慢してくれ。ここで死ぬわけにはいかないだろ?」
「そう、ですね……ごめんなさい」
「良いよ。それより、誰か来ないか見張っててくれ」
俺は遺体あさりを再開。それぞれが持っていた剣と、賊が持っていた油壺二つを回収。アリスに剣を一振りと油壺二つを手渡す。
「……私、剣はあまり得意じゃないんですが」
「知ってるよ。と言うか俺が得意じゃないのも知ってるだろ? でも、素手よりマシだ。いざとなったら投げつけて、その隙に逃げるくらいのつもりで持っててくれ」
「……判りました」
何処か神妙な様子で頷くアリス。
今更だけど、アリスって結構肝が据わってるよな。奴隷になるまで各地を旅してたそうだし、それなりに荒事になれてるのかな?
なんにしても、冷静でいてくれるのはありがたい――と、俺が考えていたその時、廊下の向こうから女性の金切り声が聞こえてきた。
それを聞いた瞬間、俺は思わずその声の方に向かって走り出す。
そして曲がり角を曲がった先。俺が目撃したのは、片腕を失いながらも奮戦する父と、その隣で震えるキャロラインさんの姿だった。
「父上、後ろです!」
父の背後に敵が迫っているのを見て叫ぶ――が、正面にも敵を抱えた父は振り返るのが遅れる。そして――パッと大輪の赤い花が廊下に咲き誇った。
だけど、父は斬られておらず、呆然とたたずんでいた。そして、そんな父が見つめる先には、ゆっくりと崩れ落ちるキャロラインさんの姿があった。
「貴様っ!」
我に返った父は怒りにまかせて一閃。キャロラインさんを傷つけた賊を断罪する。だけど、そうして生じた隙を、正面にいた敵が――
「させるかっ!」
俺は持っていた剣を投げつける。
とっさに投げたそれは、賊を傷つけるには至らない。が、そうして一瞬動きを止めた賊を、体勢を立て直した父が切り倒した。
「――キャロ! しっかりしろ、キャロ!」
父はキャロラインさんの側に膝をつき、その血塗られた体を片腕で抱き起こした。
「あな、た……無事、ですか?」
「あ、あぁ。わしは無事だ! だが何故だ、何故わしを庇った! お前はわしを恨んでいたはずだろう!? なのに、何故わしを庇ったんだっ!」
「恨んで、いました……わたくしの気持ちに、ちっとも、気付い、て……くれ、ない……から」
「……なん、だと? なにを、お前はなにを言っている!? お前には、思い人がいたはずだろうが!?」
信じられないと驚きの表情を浮かべる父に対し、既に瞳の光が失われつつあるキャロラインさんは弱々しく微笑んだ。
「いつ、の……話、を、して……いるの、です、か? ……わたく、しは……とっくの、昔に、あなた、を……あいし、て………………」
「キャロ!? しっかりしろ! 死ぬなっ、死なないでくれ! 頼むっ、キャロ、お願いだ! お願いだから待ってくれ!」
父が必死に呼びかける中、キャロラインさんの体はずるりと崩れ落ちた。
「キャロ! 死ぬなっ! わしを置いていかないでくれ! なぁ、キャロ? キャロ、頼む、頼むから……返事をしてくれ。キャロ、キャロ……」
キャロラインさんが死んだ。病気じゃない。事故でもない。
初めて人の手によって、人が殺された現場を目撃してしまった。そのあまりに衝撃的な光景を前に、俺は言葉が出ない。
それでも、ここにいるのはまずいと、俺はかすれるような声を絞り出した。
「父上……ここにいては危険です」
「……リオンか。お前がどうしてここにいる?」
「俺は、クレアねぇを探しに来たんです」
「そう、か。クレアは修道院にいるから心配ない」
「修道院……?」
「キャロの指示で、花嫁修業に行っている」
「そう、ですか……」
色々と思うところはあるけど、死者の悪口は言いたくない。それになにより、結果的にクレアねぇが安全な場所にいるのも事実だ。
俺は少し気持ちを落ち着け、これからのことに無理矢理意識を移した。
「では、残っているのは俺達だけですね?」
「……そうだな。ブレイクは騎士を護衛に付けて逃がしたし、使用人達にも逃げるように指示を出した。この屋敷に残っているのは一部の戦える者だけだろう」
「そうですか……では、一緒に逃げましょう。何処か安全な場所で腕を止血しないと」
腕からは今も血が流れ続けている。急いで血を止めないと手遅れになってしまう。
それに、屋敷の一番奥とも言える寝室付近まで賊が入り込んでいる。そこかしこでも戦いの怒号が響いているし、敵が押し寄せてくるのも時間の問題だろう。
ここでのんびりしている時間はない。
だと言うのに、父はゆっくりと首を横に振った。
「悪いが、わしはキャロを残してはいけぬ」
「……なら、父上がその遺体を運んで下さい」
片腕を失っているとは言え、俺が運ぶよりはマシだろうと提案する。だけど、父は再び首を横に振った。
「そうではない。キャロを一人では旅立たせぬと言っているのだ」
「それは――っ」
一緒に死ぬつもり、なのか?
「……父上。気持ちは判りますが。ここは逃げて生き延びるべきです」
「リオン、悪いがわしは逃げぬ」
「父上! 彼女は貴方を生かす為に身を挺したんですよ!」
「――判っている! だが、わしはキャロの想いに気付かず、ずっと寂しい思いをさせていた。だから最後くらいは、せめて側にいてやりたいんだ!」
「――っ」
父の想いを理解出来なかったと言えば嘘になる。
だって……俺も、紗弥を失った時は同じように思った。どうせもうすぐ死ぬのなら、このまま紗弥と一緒に――と。
だけど父は違う。出血は酷いけど、急げばまだ間に合うはずだ。
「父上、どうか考え直してください」
「もう考えは変わらぬ」
「グランシェス領はどうするんですか!」
「ブレイクはお前のことが絡まなければそこそこ優秀だ。それにスフィール家とは昔からの付き合いだ。放っておいても手を貸してくれるだろう」
俺は父のセリフに唇を噛んだ。本気でグランシェス家の心配をしていた訳じゃない。父に生きて欲しくて、そんな風に言っただけだったから。
「……すまない」
父がぽつりと呟く。
謝るくらいなら――と、喉元までこみ上げた言葉は無理に飲み下した。これ以上グズグズしている余裕はなさそうだ。周囲の喧騒は次第に大きくなっている。
もう、父の想いを変えるのは無理なのか? まだ聞きたいことが一杯あるのに、こんな形で別れるなんて……
「そんな顔をするな。お前にはミリィやクレア。それにアリスティアが居るだろ? 随分と仲良くしているようじゃないか」
一瞬、意味が判らなかった。
「……な、なんで父上がそんなことを知って?」
俺の問いに父は答えない。ただ、意味ありげな表情を浮かべただけだ。だけど俺はそんな父を見て、インフルエンザの時のことを思いだしていた。
あの時の父も、今と同じように……
「――リオン様、そろそろ限界です」
俺の思考はアリスに遮られた。
「……判った」
聞きたいことは沢山ある。言いたいことだって数え切れないほどある。だけど、俺はまだ死ぬ訳にはいかない。
だから、俺は父を置いていくと決めた。
「父上、俺は逃げます。逃げて生き延びます」
「そうか……それが良いだろう。二階の廊下の奥に隠し扉がある。そこから一気に地下へと繋がる階段があり、そのまま外に逃げ延びられるはずだ」
「……ありがとうございます」
俺はそのまま立ち去ろうとする。だけど、血の繋がった父との最後の別れと言う事実に後ろ髪を引かれ、もう一度だけと振り返った。
「……なにか、最後に言う事はありませんか?」
お前を愛している――なんて、洋画のラストシーンのような台詞を言って欲しい訳じゃない。だけどそれでも、一度くらいは家族として――と、そんな期待を抱く。
だけど、
「そうだな……ミリィとクレアは、お前が護ってやってくれ」
「あんたはっ、あんたはそうやって最後まで……っ!」
様々な想いが胸の内で膨れあがり、口からこぼれ落ちそうになる。だけど俺はそれを必死に飲み下した。そして父の遺言を叶えるべく、その言葉を胸に刻み込んだ。
「……判りました。二人は、必ず俺が護ります」
「そうか、お前が引き受けてくれるのなら、わしは安心して逝くことが出来る。お前は、わしの自慢の息子だからな」
「――っ」
その時に俺が抱いた感情はなんだったんだろう。喜び? それとも怒りだろうか?
……判らない。ただ一つ判っているのは、全てが遅すぎたと言う事実。
「さぁ、リオン。もう行くのだ。敵が直ぐそこまで迫っている」
父の言葉を聞くまでもなく、足音が近くから聞こえている。
ここまでやってくるのも時間の問題だろう。だから俺は、恨み辛みに感謝の言葉、言いたいことを全て飲み込んだ。
そして、
「……さようなら、お父さん」
最後の別れを告げて、俺はアリスの手を取って足音とは逆の方へと向かう。
「キャロ……すまなかった。わしはお前の気持ちばかりか、自分の気持ちにすら気付いていなかった。だが、ようやく理解したよ。失って初めて気付く想いもあるのだな……」
去り際に、俺は父の呟きを聞いたような気がした。






