エピソード 2ー7 幸せになるために
「アリスが連れ去られた……って、誰に?」
「それは、その……ブレイク様、です」
「――なっ!? あいつがここに来たのか!?」
「先ほど尋ねてこられたんです。ですが、リオン様が留守なのはご存じのようで、目的は最初からアリスさんだったようです」
「アリスが目的……」
そう言えば、クレアねぇがアリスを連れてきた時、ブレイクがこちらを伺ってた。もしかして、あの時からアリスに目を付けてたのか?
……いや、詮索は後だな。とにかく、今はアリスを助けないと。
「それで、アリスが連れて行かれたのはいつだ?」
「……助けに、助けに行って頂けるんですか? ブレイク様に逆らったら、どうなるか判っていますよね?」
「……判ってるよ」
ブレイクを敵に回すってことは、キャロラインさんを敵に回すってことだ。最悪の事態を覚悟しなきゃいけない。
だけど、それでも、アリスを放っておけるはずがない。
「マリーはいざという時に頼む。クレアねぇなら話くらいは聞いてくれると思うからさ」
俺はそう言い残して、アリスを助けに行こうと踵を返す。そんな俺に、マリーが声を掛けてきた。
「アリスさんが連れて行かれたのは今し方なので、急げば追いつけるはずです。どうか、アリスさんをお願いします」
「任せろ。アリスは必ず連れ戻す!」
離れを飛び出した俺は、そのまま本宅へと向かう。日はいつの間にかすっかり沈み、本宅へと続く道は蒼い月の影響で青白く染まり始めていた。
俺は所々に掲げられたかがり火の灯りを頼りに、屋敷へと続く道を走る。そうして屋敷へとたどり着く道の中程。俺はアリスと男が言い争うような声を聞いた。
「いいかげんにしろ! 俺に逆らえる立場だと思っているのか!」
「私はリオン様の奴隷で、貴方の奴隷じゃありません!」
「あいつの奴隷なら、俺の奴隷も同然だろうが! ごちゃごちゃ言わずに、さっさと服を脱いで跪け!」
あ、あの腐れ兄っ! アリスになにをやらそうとしてるんだ!?
俺は拳を握りしめ、声が聞こえる茂みの方へと走る。
「私のご主人様はリオン様だけです! 貴方の言う事なんて聞きません!」
「いいかげんにしろ。お前が言うことを聞かぬのなら、あいつを酷い目に遭わせてやっても良いのだぞ?」
「――っ」
「ふっ、どうやら身の程を知ったようだな。さぁ、早く言うとおりにしろ」
「この卑怯者!」
「……卑怯? 貴様、この俺が卑怯だというのか!? ふざけるなっ!」
パァンッと乾いた音が響き、それとほぼ同時にアリスのくぐもった声が響く。それとほぼ同時、俺は茂みを突っ切り、少し開けた場所に飛び出した。
そうして俺が見たのは、右手を振り抜いた姿のブレイクと、頬を押さえて膝をつくアリスの姿だった。
「――アリス!」
俺は全力でアリスの元へ駆けよった。
「……リオン、様? どうして、ここに……っ。私は大丈夫ですから、リオン様は戻って下さい」
アリスが縋るような目をしたのは一瞬。直ぐに突き放すような態度を取った。理由は考えるまでもない、さっきのブレイクの脅しを聞いて、俺の心配をしてるのだろう。
ったく、人の心配なんてしてる場合じゃないだろうに――と、苦笑いを一つ。安心させるように、アリスの桜色の髪を優しく撫でつける。
「……リオン様?」
「大丈夫だよ、アリス。約束、しただろ?」
一緒に幸せになるって――と、声には出さずに呟く。
「……リオン、様。……はい、はいっ!」
「よし、良い子だ。それじゃ話を付けるから待ってろよ」
俺はもう一度だけアリスの頭を撫でて立ち上がり、改めてブレイクへと向き直る。彼は怒りに身を震わせていた。
「……きっさまぁ、何故ここに居る?」
「それはこっちのセリフです。アリスをこんな場所に連れてきて、一体どうするつもりですか?」
「はっ、そんなのは決まっているだろう。その美しい娘はお前にはもったいない。俺の女にしてやろうというのだ」
予想通りの、ゲスな答え。それだけでキレそうになるけど、ここで短気を起こしたらアリスを護れないと必死に怒りを抑え込んだ。
「……アリスは俺の奴隷です。いくら貴方が相手でも、勝手はさせません」
「なにを言うかと思えば。俺に逆らえると思ってるのか? その女を差し出さないなら、在ること無いことを母上に報告してやっても良いんだぞ?」
……本気で最低だ。しかも厄介な事にこの世界――特にこの屋敷の中においては彼の言い分がまかり通ってしまう。
俺が罰を受けるだけならまだしも、ミリィのようにアリスが放逐される可能性だってあるし、アリスが正式にブレイクの奴隷とされる可能性だってあるだろう。
「ようやく自分の立場が判ったようだな。さぁ、諦めてその娘を置いて去れ」
好き勝手言いやがって。そんな要求飲める訳ないだろ。
「どうした、俺の言う事が聞けないのか? 心配せずとも、飽きれば返してやるぞ?」
好色そうな顔で下卑たセリフを口にする。かがり火の炎に照らされて揺らめくブレイクの顔は、一層おぞましく映った。
今すぐその顔をぶん殴ってやりたい……けど、ダメだ。
体格差を考えたら勝てるはずがないし、もし力尽くでこの場を乗り切れたとしても、より大きな権力という力に負けては意味がない。
……落ち着け。ここで判断を誤ったらアリスを救えない。冷静になって考えないと。
力尽くは論外だ。かと言って、許しを請うて聞いてくれるような相手じゃない。だから、この場を乗り切るには、ブレイク自身に諦めさせるしかない訳だけど……
ブレイクの目的はアリスそのもの。そしてその理由はアリスに欲情してるから。つまりアリスに魅力がなければ、ブレイクは興味を示さなくなる?
だとしたら――
「……アリス、俺を信じてくれるか?」
俺は小声でアリスに尋ねる。間髪を入れず、アリスはこくりと頷いた。
「なにをこそこそ話している?」
「大したことじゃありません。貴方の夜伽をつとめるように命令しただけですよ」
俺は内心の怒りを抑えて立ち上がり、丁寧な口調で語りかける。
「……ふんっ、ようやく観念したか。初めから素直に差し出しておけば良いのだ」
「すみません。その通りですね――兄さん」
ブレイクが気をよくした瞬間、俺はサラッと兄と呼んだ。直後、あの日と同じようにブレイクの顔が怒りに染まる。
「……貴様ぁ、今なんと言った?」
「え、なんですか兄さん。俺が何かおかしな事を言いましたか、兄さん?」
「ふざけるなっ! 俺を兄と呼ぶなと言っただろうが、この薄汚い妾の子供がっ!」
あの日と違って投げるモノがないからだろう。直接殴ろうと迫ってくる。だから俺は彼が距離をつめる前に、その一言を口にする。
「なにか勘違いしていませんか? 先に俺を弟だと認めたのはそちらでしょう?」
「……なんだと?」
その言葉は聞き捨てならなかったのだろう。ブレイクは足を止めた。
「アリスは俺の奴隷なんですよ?」
「それがどうしたと言うんだ!」
「はっ、まだ判らないんですか?」
「だから、どういう事だと聞いているだろう! 良いから早く言え!」
「だ、か、ら、こういうことですよ」
俺は座ったままのアリスを背中から抱きしめ、その豊かな胸を鷲掴みにした。
「――ひゃんっ」
俺を信じてくれているのだろう。驚いたアリスが声を上げるが、抵抗する素振りはみせない。それを良いことに、俺はアリスの胸をもてあそんだ。俺の手の動きに合わせて、アリスが甘い声をこぼす。
……と言うか、大きいなとは思ってたけど、本当に凄いな。俺の手が小さいせいもあるんだろうけど、物凄く柔らか……そういやこの世界にブラって存在するのか?
…………いや、深く考えるのは止めよう。
「貴様、さっきからなにをやっている!?」
「なにって、判らないんですか? こういうコト、ですよ」
俺は胸を掴むのとは反対の手で服の襟を引っぱり、アリスの首筋をあらわにした。その白い首元にはキスマークが残っている。
かがり火の明かりでそれがブレイクに見えるように向きを調整し、わざと下品な笑みを浮かべて見せた。
「アリスは俺が一年掛けて、毎晩じっくりと自分好みに躾けたんですよ。何をすれば俺が喜ぶか、どんな風に振る舞えば男が魅了されるかを、ね」
「なんだと……?」
……ん? なんだこの反応。もしかして、アリスが俺のところに来た建前上の理由すら知らなかったのか? おいおい、それくらい調べてから来いよ。
でもまぁ、その方が好都合だ。
「兄さんは、そんなアリスを抱きたいって言うんですよね? 同じ女を抱くから兄弟。この意味、兄さんにも判りますよね?」
「なっ、き、きさま……」
脳の血管が切れて倒れるんじゃないかと言うくらい真っ赤になっている。そんなブレイクに、俺はとどめの一言を口にする。
「あぁ、すみません。兄さんじゃないですね。俺が自分好みに躾けた女に魅了されて、後から抱きたいって言うんだから、そっちが弟ですね。……そうだろ、弟くん?」
「ふざけるな――っ!」
激怒したブレイクが走り寄ってくる。それを見た俺は、さり気なくアリスが巻き込まれないように移動。その瞬間、ブレイクに殴り飛ばされた。
「調子に乗るなよ、薄汚い妾の子がぁ! ちょっとお前をからかっただけ、誰がお前が抱いた女などに興味を持つものか!」
ブレイクは吹き飛んだ俺に罵倒を続け、更に追い打ちの蹴りを入れ続ける。
それが十発を超えた辺りでようやく怒りが治まったのか、ブレイクは荒い息をついて立ち去っていった。
俺は芝の上に転がったまま、ブレイクが完全に見えなくなるのを確認。それからたっぷり三十秒ほど数えてから起き上がった。
「……………はぁ。助かったぁ」
瞬間、アリスが縋りついてくる。
「リオン様っ、リオン様リオン様!」
「……アリス、大丈夫か? 酷いこと、されてないか?」
「私は、私は平気です。それよりリオン様は大丈夫なんですか!?」
「俺は大丈夫だよ。ちゃんと殴られる時は受け流したし、蹴りの方も防いだから」
嘘だ。殴られた時は受け流したけど、倒れているところに加えられた蹴りは防ぎようなんてなかった。体格差もあるし、かなりのダメージを貰ったけど……そこはアリスを安心させる為にやせ我慢しておく。
「ごめんな。アリスを貶めるようなマネをして」
「私は良いんです。でも、あんな風に挑発するなんて無茶すぎます! もしかしたら殺されてたかも知れないんですよ!?」
「いや、それはさすがに……無いとは言い切れないのが怖いなぁ」
損得勘定で言えば有り得ないけど、短気なブレイクのことだ。もし剣でも持ってたら、反射的に俺を斬っていた可能性は否定できないな。
「それが判ってたなら、どうしてあんな無茶をしたんですか!?」
「他にアリスを助ける方法がなかったからだよ」
「私はっ、私はリオン様を犠牲にしてまで助かりたくありません!」
「アリス……?」
「リオン様が蹴られている時、私がどんな気持ちだったか判りますか?」
「俺が蹴られてる時?」
そういや、アリスは止めに入らなかったな。もしアリスが止めに入ってたら、ブレイクの怒りがアリスにも向くかもって心配してたんだけど。
「私が手を出したら、リオン様の好意が無駄になってしまう。そう思って、必死に助けたい気持ちを我慢したんです」
「そっか。俺の意図を察してくれたんだな」
「そう、ですよ。だけど私は助けに入りたかった。リオン様を身代わりにするくらいなら、私は自分が我慢した方が良いです。だから、もうあんな無茶は止めてください!」
「アリス……」
アリスは決して自分を軽く見ている訳じゃない。いつだって幸せを求めて、全力で生きている。そのアリスが、俺が傷つくなら、自分が我慢した方が良いって……
うわ、どうしよ。アリスが俺と同じように考えてくれてるって判って、ちょっと――いや、かなり嬉しい。
「……リオン様は言いましたよね? 自分は幸せにならなきゃいけないって。それなのに、自分を大切にしないでどうするんですか? それとも、幸せになりたいって言ったのは嘘だったんですか?」
「……嘘なんかじゃないよ。でも、だからこそ、だよ。幸せになりたいからこそ、無茶をしてでもアリスを助けようと思ったんだ」
「どういう、意味ですか……?」
「……アリスと一緒だよ。俺だってアリスが犠牲になるのは嫌なんだ。アリスを見捨てて、自分だけ助かりたいなんて思わない。そんな風に自分だけが助かっても、幸せになれないって思うから」
俺に縋りつくアリスの体をギュッと抱きしめる。
「リオン、様?」
「言っただろ、一緒に幸せになろうって」
一年前と同じ――けれど少しだけ込められた意味の違う言葉。今まで体を強ばらせていたアリスが、その身を俺に預けてくる。
「……信じても、良いんですか?」
「俺の気持ちは嘘じゃない。俺を信じてくれるなら、全力でアリスを護るよ。だってそれが、俺が幸せになる条件の一つだからな。……だけど」
さっきは舌先三寸でブレイクを煙に巻けたけど、もしブレイクが恥も外聞もなく在ること無いことを報告したら――明日にでも俺とアリスは引き離されるだろう。
そんな状況で、信じても大丈夫だなんて保証できるはずがない。
「この屋敷において俺の地位は最低だからな。さっきはなんとかなったけど、次は力が及ばないかも知れない。それでも――」
「それでも、私はリオン様を信じます」
「良いのか? 護るって気持ちに嘘はなくても、実際に護りきれるか判らないんだぞ?」
「気持ちが本物なら十分です。それに、私は護られるだけじゃありませんよ。私も自分の幸せの為に、リオン様を護ります。だってそれが、私が幸せになる条件の一つですから」
アリスは少し照れくさそうに微笑んだ。
「そっか。それじゃ、お互いが護り合わないといけないな」
「――お互いの幸せの為に、ですね」
「そうだ。そして、まずその為には、今回の件を上手く処理する必要がある」
「ブレイク様がまだ何かしてくるかもしれないと?」
「……判らない」
ハッキリ言って、ブレイクがどう動くか想像も出来ない。今回の件を隠したくて口をつぐむか、それとも在ること無いこと言いふらして俺に復讐するか。
「判らないから、最悪を想定しなくちゃいけないと?」
「そうだ。最悪を想定して取り越し苦労で済むなら良いけど、楽観視して最悪な目にあったら取り返しがつかないからな」
ブレイクが在ること無いこと言いふらせば、恐らくキャロラインさんは敵に回る。
そうなると、キャロラインさんに対抗、もしくは交渉する手段が必要な訳だけど……クレアねぇじゃ荷が重いだろう。
だとすれば、可能性のある人物は一人だけ。
「父に会うしかないな」
「……ロバート様、ですか? 味方になってくれるんですか?」
「どう、かな……」
たぶん、話は聞いてくれるとは思う。けど、味方をしてくれるかは判らない。そして味方をしてくれたとしても、全てを護れるかどうかは微妙なところだ。
だけどそれでも、ほかに手段がなければしょうがない。俺が――俺達が自由に生きて幸せになる為に、可能性を信じて進むだけだ。
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