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じゅっ、て音が、耳にこびりついて離れない。
光波に飲まれたあの人。
少なくとも二〇年~三〇年ほどの歴史があっただろう、あの人を構成する、何もかもが蒸発する音。
人間一人って、あんな、あっさり、消えてしまうものなのか?
うそ、だろ……? なあ、
「ああ~どうどう、殺じぢゃっだねぇ~」
…………。
奴の、汚泥を煮込むような声。
天田が、穂香を庇いながら跳ぶ。
僕も、春花さんを抱え、四方から降り下ろされる凶器を蒼光剣で斬り捨てながら逃げ回る。
そして改めて、赤の騎士を見た。
「あんだ達の初殺人の様子も、ぢゃんど配信じであげるがらねぇ~。ファンが増えるどいいねぇ」
炭化した皮膚と肉が削げ落ちて、ボロボロの人体模型みたいな姿になった、赤の騎士。
こうしている間にも、剥き出しになった筋繊維が驚異的な速度で代謝、復元しつつある。
「ふざけないで……」
僕の腕の中、春花さんが震えている。
「アンタが仕向けたからでしょうが、この卑怯者!」
「春花さん」
僕は、そっと彼女を制した。
もう、赤の騎士に道理は通じない。
こいつは、もう東山さんじゃない。
言葉を交わすだけ、痛みが増えるだけだ。
だから、
「この後、僕が合図したら、天田の補助をお願いします」
この感情は、なんだろう。
怒り? 恐れ? 悲しみ?
色々混ざりすぎて、僕自身にさえわからない。
「天田。赤の騎士に対しては、技の中二要素が強いほど効きが悪くなる。
なるべく、おばさんでも理解できるような、わかりやすい攻撃を心がけてくれ」
今だ動揺を隠せない様子の天田も、穂香を離して、ゴルフクラブを構え直した。
「赤の騎士」
僕が、ぽつりと奴を呼びつける。
奴は、まだ人間ぶって、小首をかしげてくる。
「この人達を、元に戻せ」
そんな事、聞き入れるはずがない。それでも僕は、あえて言った。
「できない相談だねぇ」
筋肉を剥き出し、全身真っ赤な化け物騎士は、また頭を振った。
「もう、手遅れよぉ。この人たちみんな、もう体とか脳の芯が壊れてるんだから」
赤の騎士の、露出した表情筋が、笑みらしきものを浮かべた。
「穂香、本当か」
「……本当。あいつは、何一つ嘘を吐いてない。
この人達は皆、私達を襲う以外の機能を破壊され尽くしてる。
魔法が解けても、誰一人、もう助からない」
そうか。
穂香の前では、誰も嘘をつけないからな。
「もうひとつ。僕が心の中で考えている事を、天田に転送することは?」
「出来る」
いちいち聞かないでよ、と言う想いが伝わってくる即答だ。
「これで、遠慮は要らなくなったでしょ。
下らない綺麗事は捨てて、さっさと赤の騎士を殺してしまって」
今から僕のしようとしている事を、妹だけが知っている。
彼女の嫌悪に満ちた皮肉も、今ばかりはしっくり来た。
僕は、ここからの流れをしっかりと念じた。
穂香の瞳が、翡翠色に光る。
僕の思考が、天田と春花さんに転送される。
二人の顔に、理解の色。
「天田さん、強くなって……」
緊張に震える春花さんの声。
天田の体に射し込む、補助魔法の光。
彼の巨体は見る見る質量を増し、更なる巨大化を遂げる。
大きめに着ていた服が、パツンパツンに張りつめる。
「天田を加速、四倍速」
「刹那万戦撃!」
天田が、赤の騎士の前に瞬間移動。
瞬きひとつ。
すでに天田は、赤の騎士に一〇〇を超える殴打を叩き込んでいた。
皮膚の再生に入っていた赤の騎士の全身が、痛々しく弾ける。
けど、やっぱり、赤の騎士に加わる衝撃が弱いように見える。
けど、それは想定内。
今回、刹那万戦撃に求めたのは、天田が一瞬で距離を詰める事――つまり、移動手段となる事だ。
天田は、赤の騎士の背後を取っていた。
ゴルフクラブを思いきり振りかぶり、横薙ぎにフルスイング。
名前の無いただの殴打は、赤の騎士の背中をもろに直撃した。
背骨とか、翼の骨は間違いなく砕けた事だろう。これには、さすがの騎士もつんのめり、背を折った。
けどやはり、決め手には欠ける。
天田ノートを読む限り、あいつの必殺技は、どれもこれも普段の十倍を越す威力が期待できる。
しかし、逆に言えば。
ただ殴るだけでは、必殺技の一割も成果が出ないとも言える。
実際、赤の騎士は、すぐさま立ち直り、天田に斬りつけようとする。
天田は、これを跳んでかわす。大袈裟なほど高らかな跳躍だ。赤の騎士への追撃を諦めて退避してしまったんだ。
何故なら。
「地球よ、喰らえ」
僕が地面に手をついて、そう唱えるからだ。
次瞬。
世界が、凄まじい勢いで揺れた。
僕は、橋の真下の地面を左右に割った。
こう言う、即席の谷を作る行為も“地割れ”って言うのかな。
術者である僕すらも、足元をすくわれて転倒する。
視界が滅茶苦茶に撹拌されて、まともに物が見えない。
そんな中で、再び春花さんを抱き寄せて跳躍。
遠く、天田が穂香を保護してくれた様も確認。
途方もない崩落音を鳴り響かせながら、橋が崩落してゆく。
川の水が滝となり、砕けた橋が無情になだれ落ちてゆく。
もちろん、赤の騎士に狂わされた人達も、みんな。
赤の騎士の姿が見えた。
彼女もまた、大きく開かれた大地の顎に落ちて行く。
飛行して脱出――する様子は無い。
さっき、天田に背中を打たれた時、翼が折れたからだ。自己再生は間に合うまい。
高くから見下ろす僕と、落ちて行く騎士。
遠くから、お互いの目が合った気がした。
赤の騎士は、深淵に消えた。
そして。
開かれた口は、いずれ閉じるものだ。
「嚥下しろ」
僕が大地に命じると、左右に割けた谷が再び閉じた。
大地の閉じた衝撃で、また世界が揺れる。
腕に抱えた春花さんが、僕の服をぎゅっと握るのが感じられた。
小谷辺大橋は、見る影もないガラクタ山と化した。
赤の騎士を含め、落ちた人々は挟まれて跡形もないはずだ。
明日以降、この惨状は、謎の局地的大地震として物議を呼ぶに違いない。
けど、僕の手で赤の騎士を殺すには、これしかなかった。
地割れに落とされて、挟まれる。
これほどシンプルな事象に対して、“わからない”も“難しい”も無いだろう。
僕は、言葉も無く、天田達の所へ跳び移る。
「穂香、赤の騎士の生死はわかるか?」
淡々と、その文字列を口にした。
穂香は、唖然とした面持ちながらも、瞳に翡翠色の輝きを宿らせる。
橋の残骸――赤の騎士が喰われた辺りを、じっと凝視して、
「死んだ。
あの女の生きた思考が、検知出来なくなった。
記憶も辿ってみた。
あの女は、グチャグチャの挽肉になって、地中の養分になったよ」
そうか。
死んだんだ。
僕の膝は脱力した。
それで僕は、その場に座り込むような姿勢となった。
肉体的なダメージは無いのに、足腰に力が入らない。立てない。
何だろう、視界が滲む。
生ぬるいものが、目から頬を伝う。
僕は、何を感じているのだろう。
春花さんの加護で、感覚と洞察力が鋭敏になっているのに、
自分の事がわからない。




