第十八話 真実に一歩、近づく
帰宅後、台所から何かいい匂いがしたので、顔を覗かせる。ガスコンロの前に立っていたのは、紘子だった。
「あれ、母さんは?」
「今日、町内会の食事会。聞いてなかったの?」
「あ、ああ、なんか、言っていたかも。今日だったんだ」
きちんと聞いてなかったんかい、という鋭い視線が突き刺さる。
「ごはんは一時間後に炊き上がるから」
「おう」
「その間に、ちょっといい?」
「え?」
「話がある」
ミケさんと共に紘子に呼び出される。
こんなふうに呼び出されるのは初めてだ。いったい、何があったのか。
ウサギの壁紙が張られた紘子の部屋には、久しぶりに入った気がする。
床の上に置かれた座布団にミケさんと並んで座っていたら、部屋の主がやってくる。
お盆を持っていて、上にはオレンジジュースとクッキーがあった。それを、テーブルの上に置いて勧められる。お腹が空いていたので、ありがたい。
どうやら、手作りクッキーらしい。修二に持って行ったら喜びそうだけれど、今は言わないほうがいいだろう。
「たくさん、食べすぎたら夕食が入らないから」
「あ、うん。だよね」
遠慮しつつ、クッキーをいただく。ミケさんもお腹が空いているのか、チョコチップクッキーを手に取って食べていた。
「それで、話って?」
「修二お兄ちゃんのことについて」
「あ、うん」
紘子は無表情のまま、話しだそうとしない。こういう時は、急かさないほうがいい。
ミケさんと共に、二枚目のクッキーを食べつつ待つ。
「ダキニ天……」
「え?」
「山の中に、祀られている」
ポカンとする俺の隣で、ミケさんがハッとなる。
「ああ、そういうことでしたか!」
「え、どういうこと?」
「ダキニ天を祀っている寺は、稲荷と呼ばれているのです!」
「え、じゃあ、ダキニ天っていうのは、狐の神様なの?」
「いいえ、ダキニ天は狐の神ではありません。狐と繋がりが強いために、稲荷神として祀られているのです」
「そ、そうなんだ」
そんな神様がいたなんて、知らなかった。俺がやっているアプリゲームにも出ていなかったし。
「日本の神様について、詳しいつもりだったけれど」
「兄さん、ダキニ天は日本の神様ではない。元々は、仏教世界の神様」
「あ、そうだったんだ」
お寺で祀られる稲荷神は、ダキニ天のことらしい。
白狐に跨った姿で描かれることが多いのだとか。
「インドの神、ダーキニーと呼ばれる神は、夜叉と呼ばれる、人の血肉を食べる恐ろしい存在。信仰すると福をもたらずが、信仰をやめると厄をもたらすと云われている」
「もしかして、修二の彼女にとり憑いていたのは、その、もしかして、ダキニ天、だった?」
「わからない。でも、修二兄さんの彼女には、狐の耳と尻尾が見えた。だから、もしかしたらダキニ天の眷属が、修二兄さんの命をダキニ天に献上しようと思って、とり憑いていたのかも」
「な、なるほど……」
紘子にはずっと、視えていたようだ。だから、「あの女狐め!」なんてことを言っていたのか。
「でもなんで、黙っていたんだ?」
「見間違いだと思った。私が……修二兄さんと付き合う女の人を見て、妬ましいと思うあまり、狐がとり憑いて修二兄さんを騙しているのではないかと、思っていたから」
「う、そっか」
紘子はたまに、そういうことがあったらしい。
いじわるをする同級生に仕返ししたいと思ったら、どこからか風が吹いて同級生が突然転倒したり、体育の授業が嫌だと思ったら雨が降ったり。
「だから、今回のことは、私がそうだったらいいのにと望んだから、狐憑きに騙されているように見えたのだと」
「今回ばかりは、違ったと」
「たぶん」
「私が目撃したのも、ダキニ天の眷属かもしれません」
妖狐ではない。狐の神使でもない。だったら何なのか。しかし確かに、狐に関連する何かだ。ミケさんはずっと、判断できない状態だったのだとか。
「ひろこは、どうしてダキニ天の仕業だと気づいたのですか?」
「昔、母方のお祖父様に聞いたことがあって」
日本マニアのお祖父さんは、幼い紘子にこの土地の神様について語っていたのだとか。
その中に、ダキニ天の話を聞いていたらしい。
ミケさんも、ダキニ天については知っていた。ダキニ天について、低い声で語る。
「白い狐に跨った、鬼の化身ダキニ天。死者の心臓をむさぼる、残酷な女神」
「その言い伝えが本当ならば、修二は呪われていたのではなく──」
ミケさんの言葉を聞いた紘子が、何かに気づいたように肩を震わせる。
「もしかして、修二兄さんは、死ぬ運命にあった?」
「かも、しれないですね」
けれど、運命は変わった。大森さんにとり憑いていた狐はいなくなり、修二の容態は快方へと向かっている。
「でも、安心はできない」
「どうして?」
「修二兄さんの心臓を食べそこねたダキニ天が、このまま大人しくしているとは思えないから」
信仰をやめただけで祟るという噂があるくらいだ。
修二のことを、見逃してくれるとはとても思えない。
「ちなみに、ダキニ天のお寺はどこにあるの?」
「山の中」
ザックリとした情報を提供いただき、本当にありがとうございましたと頭を下げたい。
「とむのお祖父さんに聞いたらわかるのでは?」
「あ、そうか。電話を──」
「長くなるから、メールのほうがいい」
お祖父さんの話を長年聞き続けた紘子は、ありがたい助言をしてくれた。
久しぶりだから、話をしてもいいんだけどね。




