第五話 元気になって
今日も今日とて、朝から神社へ赴いて父の手伝いをするために神社へと向かう。
初夏とはいえ、朝は少しだけひんやりする。
薄いシャツにネクタイ、上からベストを着こんだだけの中間服だと少し寒かった。これも、朝限定ではあるけれど。
周囲の田んぼは田植えが終わって、うっすら霧がかっていた。
霧に朝陽が差し込み、幻想的な風景を作り出している。
自転車に乗って、今日も弁当を運ぶ。
神社前の砂利道に自転車を停め、鳥居の前で一礼。朱の鳥居が並んだ階段を登っていった。
楼門の前に鎮座された小さな神使像。京都からやってきた神使見習いの狐太郎と狐次郎が神使像に化けた姿だ。
俺が来た途端に、変化を解いて近寄ってきた。弁当に鼻先を近づけ、くんくんと匂いをかいでいる。
『おお、その匂いは、いなり寿司ではありませんか?』
『せんか?』
「おっ、正解。すごいな」
『えへへ~』
『へへ~』
父やミケさんの元気がないので、母が早起きして作ったようだ。
『京都の稲荷神社の近くにも、おいしいいなり寿司を売っているお店があるんですよ』
『ですよ』
「へえ、そうなんだ」
『京風いなりは、五目御飯が入っていて、品のある味付けなのです』
『です!』
京都のいなり寿司は、三角形の皮にレンコンやしいたけ、ニンジンなどを煮込んだ具を酢飯に混ぜたものが入っているのだとか。
「うちのは、俵型でゴマが入っているだけだよ」
『シンプルなのも、またよし! ですよ』
『すよ!』
さらに、子狐達は匂いをくんくんとかいでいた。
『それから、からあげの匂いもします』
『ます』
「残念。これは竜田揚げだ」
『たつた、あげ、ですか?』
『ですか?』
「そう」
竜田揚げは下味を付けた鶏もも肉に、片栗粉をまぶして揚げたものだ。
「からあげは、小麦粉と片栗粉両方使うんだよ。うちでは、からあげはニンニク、竜田揚げはショウガを利かせているんだ」
『へえ~、そうなのですねえ』
『ねえ』
話を聞く間、子狐達は涎をたらたらと滴らせていた。
神饌に調理した料理は与えない。しかし、彼らはミケさん同様、母の作った料理が大好きのようだ。
「えっと、じゃあ、これで」
『え、ええ』
『ええ~』
狐次郎だけ、ショックを受けたような『ええ~』だった。すぐさま、狐太郎が狐次郎の頭を前足で押さえて黙らせている。
たくさんあるので、いなり寿司や竜田揚げの一つくらい分けてあげたい。
けれど、ミケさんは人と同じ料理を口にして、神使ではなく人と同じ存在に近づいてしまった。
きっと、じいさんもそうだったのだろう。
子狐達は、これからこの神社を守ってもらわなければならないのだ。
だから、心を鬼にして、弁当箱を抱いて楼門をくぐった。
「……ふう」
まずは社務所へ寄り、弁当を玄関に置いてくる。続いて、裏手にある掃除道具入れで竹ぼうきと塵取りを手に持った。
境内の掃除を開始する。
しばらくすると、父とミケさんが拝殿から出てきた。二人共、空気が重たい。
「父さん、ミケさん、おはよう」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、とむ」
とりあえず、早めに切り上げて何か食べたほうがいい。そう思ったので、弁当を勧める。
「あ、今日、母さんがいなり寿司を作ったんだ。竜田揚げも」
竜田揚げは家を出る一分前に揚がったやつなので、まだホカホカだ。
「温かいうちに食べようよ。味噌汁もあるし」
父はくたびれたような笑顔を浮かべ、頷いた。掃除道具を片付け、社務所に向かう。
社務所はおみくじやお守りを授与する場所で、奥は休憩や仮眠が取れるようになっている平屋建ての建物だ。うちの神社はここでのみ、飲食を許されている。
休憩室も兼ねている部屋は十畳で、昔ながらのちゃぶ台と棚、電気ポットに座布団があるだけだ。
ミケさんが真剣な表情でお茶を淹れてくれている。俺は、水筒の中に入れていた味噌汁を紙コップに注いだ。
「あ、なめこの味噌汁だ」
これも、父の大好物である。
三段ある弁当箱の中身は、一段目はいなり寿司、二段目は竜田揚げ、三段目は卵焼きとミートボール、それからミニトマト、キュウリとチーズを刺したピックが入っていた。
お弁当を見ていると、母の父に対する「落ち込まないで頑張って」という気持ちが詰まっているような気がした。
ミケさんがテーブルにお茶を並べていく。
「よし、食べようか」
「うん」
「いただきましょう」
手と手を合わせ、いただきます。
まずは、いなり寿司からかぶりつく。
味付けされたいなり寿司の中は、ゴマが混ぜられた酢飯だ。噛むと、いなり寿司の皮からじゅわっと甘じょっぱい出汁が溢れてくる。
続いて、竜田揚げを食べる。衣はサクサクで、中の鶏もも肉はジューシィ。肉は驚くほど柔らかかった。ショウガのピリッとした風味もいい感じ。
卵焼きも、中心が半熟でおいしかった。ミートボールも、ごはんが進む。たくさん食べすぎて喉が詰まりそうになったけれど、なめこの味噌汁で流して難を逃れた。
父も、よく食べていた。ミケさんも。朝から、お腹いっぱいになる。
お弁当は、綺麗になくなった。
「ふう!」
父は幸せそうな吐息をもらす。その表情には、先ほどのような翳りはない。やはり、ご飯の力は偉大なのだ。
「母さんに、心配かけさせたなあ。昨日も、せっかく大村寿司を作ってくれたのに」
父は落ち込むあまり、大村寿司を半分しか食べられなかったのだ。
「今は、塞いでいる場合ではない。できることを、探さなければ」
「うん、そうだね」
母の愛情たっぷりのお弁当のおかげで、父は立ち直ったようだ。
「母さんに、お礼のメールを送らないとなあ」
とりあえず、父は大丈夫そう。安心して、登校することができた。




