8 既存の三幕構成を「クライシス」の内訳に捉え直す理由
前回のおさらいとして、三つの構成要素「システム」「クライシス」「ソリューション」が意味するものとは既存の脚本術で言われている「三幕構成」であり、それぞれの要素がこの三幕構成のうちの「日常」「対立」「解決」に該当するものであることを解説した。それに付随して、その三幕構成は主人公の視点から見た三幕構成であり、このブログで言述している三幕構成とはこのうちの「クライシス」の内訳を「発生」「解明」「収束(解決)」としたものであること、また、既存の三幕構成には「なぜ主人公がストーリーに巻き込まれていくのか」を十分に説明できていないこと、その理由は主人公を巻き込む出来事というのは主人公とは異なる別の位置から独立した経緯として発生するものであり、それが何らかの原因で主人公との接点が生まれて次第に席巻されていく、という形を取るので、既存の三幕構成ではそういった外から発生する「外部要因」とのれっきとした関係性を十分に説明できていない、そういった根拠が下地にあるためにストーリーの流れ、いわばフローチャートのような一連の過程を証明するには既存の三幕構成は不十分である、という結論が導かれる、そういった話をしたと思う。
ここでは、「ソリューション」と「役割」の関係性を解説する前に、まずは前述したこれらの内容をもう少し掘り下げてみようと思う。具体的には、「なぜ、三幕構成には本来的に問題提起の代名詞でもある危機、つまり「クライシス」を出来事を羅列したものとして組み込むことを必要とするのか?」、という疑問を解消することである。
既存の三幕構成のうち、主に敵対者と接点を持つことになる「対立」と、その決着をつける「解決」のパートの部分には「外部要因」の主たる存在、敵対者が密接に絡んでおり、その存在が「外から介入している」以上、単に「対立」「解決」という表現だけでは「なぜ対立するのか?」「なぜ解決する必要があるのか?」というそもそもの疑問を解消できず、それらの疑問への答えを明確に提示できるようにするためには、このブログにおける「クライシスという出来事から見た三幕構成」からの視点が必要になる。なぜなら、既存の三幕構成ではそれぞれのパートが主人公の立ち位置に立った主観的な流れになっており、その「外から介入する外部要因」、つまり、敵対者、あるいはそれがもたらす危機というものを、どうしても「外の世界」のものとして認識せざるを得ない構造になってしまっているからである。つまり、視点の規模が一番最小の要素に絞られているため、その「外の世界」を外部化してしまい、認識できない状態になってしまっている、ということである。故に、ストーリーという大きな流れを真に理解するにはその説明だけでは不十分なのだ。
以上が「なぜ、「クライシス」としての三幕構成を既存の三幕構成と組み替える必要があるのか?」、その疑問に対する答えである。
この視点に加えて、「そもそもにおいて、なぜ三幕構成は「出来事の羅列」でなければならないのか?」という問いへの答えを新たに発展させていこうと思う。その下地となる前提として、「なぜ、ストーリーの変化は出来事の羅列なのか?」という問いに答えてから、それを起点にしてその問いを追求していこうと思う。
複数の記事にまたいで、クライシスを出来事の羅列として新たな三幕構成としていることを解説しているわけだが、先の「そもそもにおける疑問」をまだ十分に説明できていないような感覚がある。その根拠を解説するには、ストーリーの本質である「変化」は「危機という問題提起」によって起こされる、という初期段階で述べた部分と再び関わってくることになる。とはいえ、このことについては何度も言及している。しかし、新たに三幕構成を定義した「クライシス」を意味する「出来事の羅列」に関しては、そのワード自体は何度か登場させてはいるものの、そうである所以、つまり根拠となる理由の解説に関してはまだ十分に解説できていないような感覚がある。
それをまずは「なぜ、ストーリーの変化は出来事の羅列であると言えるのか?」という問いにして解説していこう。
ストーリーの本質は「危機という問題提起」であることは何度も言及しているが、この「危機」と呼ばれるものは敵によって主人公あるいは世界が窮地に陥る、といった意図的に引き起こされた「自発的誘因」であり、この「自発的誘因」が「危機」という最大限の出来事として、ストーリーで一番大きな課題という定義を持って話の流れを進行させるものである。
ここで述べている「自発的」とは、自然発生した出来事ではなく、敵などの何らかの意図によって半ば必然的に引き起こされる出来事を、自ら意図的に引き起こしたという含みを込めて「自発的」という表現をしている。また、「要因」や「原因」などといった表現を使わずに「誘因」としている理由は、そういった意図的に危機を引き起こすように導かせる、もっと限定的な表現をすれば誤導して危機へと繋がるように敵対者が状況をうまく操る、という意味を込めて「誘因」としている。
重複した表現になるが、自発的に危機を起こすということは、何らかの状況を意図して引き起こさせるための「状況作り」が必要であり、この「状況」は言わずもがな、「危機」を意味する世界の均衡の混乱や崩壊、あるいは消滅、滅亡などといった状況である。この「状況作り」のためにはある程度の段階を踏んでいく過程を必要とし、それが小、中、大と次第に発展してからこそ、最終的に「危機」と呼べるほどの大規模な窮地を描けるようになるわけなのだ。
この段階を踏んでいく過程、つまり「小、中、大」といった一連の流れは全て敵対者、あるいはその立ち位置に付随する存在たちによって起こされるものであり、それらは「事件」や「アクシデント」といった形で具現化する。この「事件」や「アクシデント」に該当する要素こそがまさに意図的に引き起こされる「出来事」というものであり、「自発的誘因」と呼ばれるものの具体的な表れである。これらが「意図的に引き起こされる出来事」であるということは、その意味合いからして十分に理解できるものであろうと思う。
そして、これらの「事件」や「アクシデント」は、敵対者の立ち位置に該当する登場人物でしか引き起こすことはできない。「敵対者」であるがゆえに元々そういった役割を持つ運命をはらんでいるのだ。過去の記事にあった文脈に言い換えれば、敵対者の役割は「危機を起こすこと」であり、それは完全な「宿命」あるいは「定め」として位置づけられている、ということは、前回の記事においていくらか解説はしている。
敵対者が危機を引き起こす運命を持っているということは、ストーリー上でその下地となる「事件」や「アクシデント」が発生することは必然の流れであり、それが連続して「意図的に引き起こされる出来事」という形でストーリー上に展開するということが、「危機」―ストーリーの代名詞である「問題提起」―を発生させる理由になる、ということになる。
ここまで述べてきて先ほどの問いに対する答えを出すとするなら、「出来事の羅列」とはこういった敵対者による「自発的誘因」が段階を踏んで連続的に発生していく一連の流れのことであり、その意味で「自発的誘因」とはその規模を次第に大きくしていく「危機」のことを総合的に言い表している、という結論が導かれる。つまり、「ストーリーの変化」が「出来事の羅列」とイコールになる理由は、「ストーリー=変化」の等式を証明する問題提起の代名詞「危機」とは、敵対者が起こす「自発的誘因」によって「意図的に引き起こされる出来事」としてストーリー上に連続的に発生させる、というプロセスだからこそ、「ストーリー=変化」=「危機」は「出来事の羅列」であるということを意味している。もっと極論的に換言すれば、「危機」が意図をもって必然的な「出来事」として連続的に引き起こされるので、両者は同等の意味を持つものとして成立する、ということである。
もう少し入念に説明すると、「出来事の羅列」とは「次第に肥大化していく危機」のことを意味しているので、「ストーリーの変化」(危機という問題提起)=「出来事の羅列」の図式が成り立つ、ということであり、先ほど「ストーリーの変化」=「出来事の羅列」と表現した理由は「危機」というワードがどちらにも含まれていることからそのような根拠があってのことである。したがって、「ストーリーの変化」は「出来事の羅列」とはいえど、その本質は「危機という問題提起」であることに変わりはない。
「出来事の羅列」という新たな表現が出てきたからといって「ストーリーの変化」の本質が全く別の何かに変わったわけではないことを、強調しておきたい。
ここまで来て、ようやく始めの問い「三幕構成を出来事の羅列として捉え直す理由」の視点に立つことになる。
「ストーリーの変化」は「出来事の羅列」という連続した「危機」であることを証明した一方で、既存の三幕構成である「日常」「対立」「解決」はどういった一連の流れを組んでいるのか、その内訳を解説する必要がある。その上で、両者を比較して最も「変化」に近いものが「クライシスとしての三幕構成」である、ということを証明しなければ、わざわざ既存の三幕構成を再構成する根拠を成立させることができない。
とはいえど、この記事の冒頭で復習の形でその根拠をほぼ答えてしまっていることも事実である。改めてそれをなぞらえると、既存の三幕構成には主人公の視点から見るといった、視点の規模が一番最小のものに絞られているため、出来事の羅列という「外の世界」となる別の独立した経緯と主人公との接点をうまく説明しきれていない、という話だった。つまり、ストーリー全体における「規模」の違いが説明不足の証拠になっている、ということだ。
次回は、既存の三幕構成の内訳の解説と比較、そしてその「規模」について深く解説していく。
具体的には「なぜ、ストーリー全体で一番規模の大きい要素を三幕構成に位置づけることが、捉え直す理由になるのか」という問いにして、新たにお伝えしていこうと思う。また、それが再構成する根拠になる、ということをお伝えしていく。




