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ゼロから学ぶハリウッドストーリー創作講座  作者: 森本純輝
序章 ストーリーとは
12/20

4 実際のストーリーで何を問題提起とするのか

このブログを開始してから年数はかなり経っているとはいえ、まだ記事数の蓄積が足りないこともあって、一番始めに重要となる抽象的な概念から入るのは、それもある意味「必然」であり、抽象度の高い内容から入ることはそれを元に構成されている更なる細かい基盤を一つずつ解説するのに不可避な道ではあるとは思っている。

とはいえ、読者は早く創作の本質的な部分に関わる情報を得たいとはお思いだと勝手ながらに認識しているので、そろそろ具体的な話に移っていこうかと思っている。


今回の記事のタイトルである「実際のストーリーで何を問題提起とするのか?」という問いを形成する一番基礎的な仕組みに関しては、前回の記事でお伝えした通りである。ここでは、前回の記事になぞらえた内容を語った上で、「実際にストーリーを創作する上で一番最初に認識すること」を提示する。それに加えて2番目の記事「変化を構成する問題提起」で答えそびれてしまった「目的や到達点はどこから生じるのか」という問いにも文章の途中で説明していくつもりだ(下記に追記)。その他にも様々な項目を解説していこうと思う。


とはいえ、様々な項目を説明するととても長い文章になってしまうので、今回は下記の項目をいくつかの記事に分けて投稿することにした。

それは以下のようになる。


①実際にストーリーを創作する上で一番最初に認識すること(今回と次回以降に分けたもの)

②実際に問題提起する上で使う三つの構成要素

③問題となる「クライシス」は「システム」上の不和から始まる(ここまでを本記事のタイトルに沿った内容とする)

④キャラクターから創作したい人が初めに認識すること


ちなみに、最後の4番目の項目では先ほどの「目的や到達点はどこから生じるのか」という前回の問いに答えられるようにしてある。①~④の全ての項目は問題提起に関する記述であり、最後の4番目は一つ手前の3番目の項目で実際の創作の手順を少しばかり解説するので、それに付随して別の方法からの創作アプローチを付加させた形にする予定である。つまり、おまけだと思って読んで頂ければと思う次第である。


それでは順番に始めていこう。




前回の記事「なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか」の内容にはストーリーの本質は因数分解であり、だからこそ「問題提起」という作業が機能することをお話した。もう一度細かくおさらいしておくと、ストーリーが因数分解の性質を持つのは、元々一つだったものが二つの要素に分かれるからであり、それが原因と結果という要素に置き換わるからだ、という内容だった。その原因と結果が再び一つに結び付くために「変化」というプロセスを必要とする、というものだったと思う。


この前回の記事で紹介した際に「問題提起として自ら問題を引き起こすことでストーリーが生まれる」というような内容を書いたと思うのだが、これを別の表現に言い換えた場合、改めて問題提起によってストーリーが生まれることの本質が見えてくるはずだ。

その因数分解は自ら引き起こすものであるが故に「自作自演」だということもお話したが、自作自演ということは意図的に問題が起こされるという表現にも換言できるはずだ。つまり、「ストーリーには必ず問題という出来事が意図的に発生する」ということだ。この文脈にある「意図的に」という表現は「自作自演」の意味もはらんではいるが、実際に問題提起を行うことになった際に必要となってくる考え方としてこの表現を「何らかの目的を持ったもの」という表現に置き換えた場合、ストーリーの作者自身という視点から見て、そこにある程度の奔放さ、あるいは自由が含まれていることに気づくかもしれない。自身の意志で自由に作っていいということと何らかの目的を持ったものという二つの表現はある意味「何でもあり」ということでもあり、そこに幅の利く創造性や多様性が生じるということでもある。だが、その「自由さ」が何らかの意図、つまり何らかの目的として創造を始めた時、そこには作者の思考の「型」が生じるはずであり、自由に創造していいとはいえ、作者特有の思考パターンが生み出すある程度限定された創造物が想定されるとは考えられないだろうか。作者がそれまでに影響を受けてきた様々な事象物や経験などから創造されるものが変わってくるということは、意図的に起こす「問題提起」さえも人によって変わってくる、ということが言えると思う。

問題提起、つまり、どのような問題を起こすのかという疑問を投げかけることは最終的にどんな目的をもってどんな終着点、つまり、結果が決定されるのか、ということと、それだけでなくそれを引き起こすことになった原因さえもその思考方法によって変わってくるということに他ならず、それが問題提起の本質から逸脱した、あるいは本来の問題提起の在り方からそれた問題を作ってしまうことにもなりかねない。何を問題提起とするのかということは、本来的にそれが果たして「問題と言える事柄なのか」という部分を理解していることでもあり、それが徹底していなければ、問題として決めたものが実は問題ではなかったりする、といった事態が発生しなくもない。

そう考えるとすると、意図にたとえある程度の奔放さ、自由さはあっても思考が問題提起の本質から離れないようにするための「規定」あるいは「基準」が必要になってくるはずだ。

そう考えた時、問題提起で起こされる問題とは何なのか、どういうものなのかという定義が必要になってくるわけであり、その問題の意味をある程度定めておくことでそういった事態を事前に回避できることにも繋がってくる。


では、ストーリーにおける「問題」とはどういったものなのか?

ストーリーでは何らかの緊迫したシーンや鬼気迫る状況などといった五感に臨場感を与えてくれる表現がほとんどのストーリーには見受けられる現象で、それが起きるのは主人公などの登場人物がある程度の「切迫した事態」に陥っている必要があるからでもあるわけだ。

この「切迫した事態」とは一体何なのか?

それは「危機」というものであり、「問題」の本質、あるいはその正体といったものはこの「危機めいた状況」なのだ。この「危機」が主人公を追い込み、絶体絶命の状況に陥った時こそ主人公がその本来の真価を発揮する、という設定が物語に大きな起伏を生み出す最大の醍醐味となるわけなのだ。そして、その「危機」はもちろん主人公が自ら生み出したものではなく、主人公以外の存在によって「意図的に」引き起こされたものであることは、ストーリーを作ったことのある人なら、認識できるだろう。


この「危機を意図的に作っている存在」とは何なのか?

それが「敵対者」、つまり主人公にとっての「敵」となる存在のことであり、設定によっては敵が作った環境などによって間接的に主人公を追い詰めたりすることはあれど、本質的にはこの「敵」が「危機」と呼ばれる状況を作り出すのである。


この考えを元の「問題という出来事が意図的に発生する」という点になぞらえると、「問題」という「危機」を起こしているのはこの「敵」と呼ぶ「敵対者」であることを、先に明示しておかなければならない。また、先にあった「意図的に」というのは、たとえ作者が生み出すものにしても、その頭の中ではこの「敵」が自ら問題を引き起こすことを念頭に置いておくべきである。要は問題提起は敵という立ち位置の者によって設定できる、というわけだ。


とはいうものの、いきなり「敵の設定から作り込め」と言われても、作者によっては「世界観を先に設定したい」人や「主人公の輪郭から入りたい」人もいるだろうし、「結末から作りたい」という人もいることだろう。もちろん、創作の仕方や方法は千差万別であり、それによってこそ創作の醍醐味は生まれるものだろうし、そこに「こうしろ」という強要はしないつもりである。


とはいえ、始めに認識しておくことは「問題提起」であることはこれまでの記事の中で再三にわたってお伝えしているわけだし、ある程度の基準を設けておく必要はあると思っている。


では、一番始めに何をすればいいのか?

それが「実際のストーリーで何を問題提起とするのか?」という問いに繋がってくる。始めに押さえておきべき要点は「問題提起」であるわけだが、その発想方法によっては世界観から始めることも主人公から始めることも結末から始めることもできる。必ずしも「問題提起」と呼ばれる作業が敵から始まるわけではないことも認識しておいて欲しい点ではある。


次回の「実際に問題提起する上で使う三つの構成要素」では「システム」「クライシス」「ソリューション」という構成要素を解説すると共に、それぞれが互いにどのような作用を及ぼし合うのかについても説明していくつもりだ。


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