「俺はお前が嫌いなんだよ!」 (2)
小学校からの知り合いの『イケメン君』に、
「俺はお前が嫌いなんだよ」
と、
いきなり、高三になって言われちゃったんだけど。
(中学の時は、言いたくても、言えなかったんだな)
と、
しみじみと感じてしまった。
その時は、既に、底辺不良中学を卒業して、
二年も経っていたからね。
その間に、
散々、底辺不良中学の卒業生に逃げられていたので、
もう慣れちゃったんだよ。
だって、
『校長室へバイクで突っ込んで、工業高校を退学になった』という伝説を持つ先輩にまで、
挨拶に行ったら、
逃げられたんだぜ。
でもね。
不思議な事に、
中学を卒業して四十年後の同窓会では、
『チョンキー』が、
「顔面サンド? 馬鹿でい!」
と、嬉しそうに話かけて来てくれた。
『チョンキー』とは?
もちろん、
コイツも、街で私を見掛けたら、
自転車を反転させて、猛ダッシュで逃げた奴なんだけど。
コイツも惜しい人生を送った。
コイツの家は、
ブロック工場だった。
昔は、
個人の家で、物作りをしていたんだよ。
コイツの自宅の庭には、大きな池が有って、滝も流れていた。
今の人は、
『底辺不良中学』 = 『貧乏』
というイメージを持っておられるかも知れないが、
【一億総中流】の時代は、
【一億総貧困】の現在とは、反対なんだよ。
例えば、
Fラン大学とか、
貧乏臭いイメージだけど、
昔は、
『御金持ちの御坊ちゃまが行く所』だった。
だって、大学進学率自体が低いから、
金が無いのに、そんな大学へ、わざわざ行く人なんて、いなかったんだよ。
話はズレるが、
「○総理は苦労人」って、マスコミが【偽情報】を流していたけど。
あの時代の苦労人は、
国立大学ヘ行くんだぜ。
国立大学は、
月謝が千円で、
入学金免除や授業料免除が充実しており、
奨学金は、
給与か無利子貸与が主流だった。
その奨学金を出す団体は、
T大だけで、百以上有った。
学生寮は、
自治寮で学生が運営していた。
親の所得が低い人が、優先して入寮出来、
寮費は百円。
ただし、
政治活動に巻き込まれる可能性が。
私は、
中○根政権の時代に、
中曽○総理が卒業した旧制高校の学寮に行った事が有る。
その寮の門だったか? 玄関だったか? 忘れたが、
一般道から目立つ所に、
大きな立て看が掲げて有った。
その看板に書かれていたのは、
「中○根内閣打倒!!」
卒寮生が現職の総理大臣だったのに。
まあ、
もし、仮に、
中曽○内閣が打倒されていたら、
電電公社の民営化も国鉄の民営化も起きず、
日本は、
【一億総中流】のままだったかも知れないが。
話を戻すと。
高度経済成長期は、
中小零細企業の経営者でも、個人事業主でも、
それなりに良い想いが出来たんだよ。
労働者にも、
機械化が進んで無かったから、お零れが回って来て。
最悪なのは、
公務員だった。
私の父は、公立高校の教員だったからね。
お年玉が、
高度経済成長の頃は、
何時も、周りの連中よりも少なかった。
それが、
オイルショックが起きたら。
私が通っていた底辺不良中学では、
個人事業主の子供が多かったんだけど、
蕎麦屋の息子が、
「今年は景気が悪いから、お年玉を貰うな!」
って、
親から言われたそうだ。
『チョンキー』の家も、
ブロック工場だったから、
オイルショックの煽りを受けて、
倒産した様だ。
その家さえ残っていればね。




