第670話 真夜中の事件 ―S side―
さわさわと気持ちのいい風が吹いている。
サクサクと歩く度に軽やかな音がする。
「………」
真っ暗闇の中、1人歩いて行く。
灯りなど必要ない。
夜でも昼間のように見えるから。
ジャリッと土を踏み、ジッと目の前の光景を眺める。
「………可哀想に…」
そっと膝をつき、触れる。
それと同時にボロボロと崩れていく。
「………これを見れば、悲しんでしまう……」
グッと手を握り、怒りを抑える努力をする。
そんなことをしても、怒りの収め所はないのだけれど。
立ち上がり、どうしてくれようか…、と考えていると、パッと周りが明るくなった。
「………ソフィー殿?」
声をかけられ、ゆっくりと視線を向ける。
「………ヒューバート殿……見回りですか?」
「はい……ソフィー殿はこんな所で何を――っ!」
姫様考案の(ということになっている)提灯の改良版、横に穴を開けて光を前方に向ける、いわゆる懐中電灯のような物を持って近づいてくるヒューバート殿。
そしてわたくしの足もとを見て息を飲む。
「こ、れは……!!」
唖然と視線を向ける所には、姫様のお気に入りである庭園の花壇。
そこに咲き誇っていた花たちが、萎れているのだ。
……いや、萎れている、なんて生易しい表現では物足りない。
朽ち果てている、と言えばいいのか。
触れるとボロボロと崩れていくのだから。
「なん、でっ!」
急いでヒューバート殿が走り寄ってきて、膝をついた。
「………恐らくお茶会の時に仕込まれたのだと思います」
「なっ……! あれだけ人目があったのに!?」
「花に触れている夫人や令嬢もいましたから、見えない角度で薬を仕込まれたら、分かりませんね」
「っ……!」
ヒューバート殿がわたくしを見上げてくる。
「どうしてそう冷静に、客観的に説明できる!? こんなっ! ソフィア様に対する悪意ある行為をされて!」
この頃わたくしに対して、本来の口調で接してくれるヒューバート殿に嬉しさを感じていた。
そして、こうしてぶつけてくれるのも、ある意味進展した、と言っていいのだろうか。
わたくしはゆっくりと口角を上げていく。
「――冷静、ですか」
「!?」
すぅっと目を細める。
「この、わたくしが? 姫様のためにと作った庭園を荒らされて、冷静にいられると……?」
「ぁ……い、や……す、すまないっ!」
何故かヒューバート殿が真っ青になって謝ってきた。
別に怒っていないのに。
「………わたくし以上に怒っている方もいらっしゃいますし、すぐに解決すると思いますよ」
「え……」
ざぁっと強い風が吹き、朽ちていた花たちが一斉に消えた。
「なっ!?」
ヒューバート殿が目を見開き、慌てて立ち上がって数歩後ずさった。
そしてボコボコと土が盛り上がる。
何らかの薬のせいか濁って毒々しい色になっていた土が、水を含んだ良い土に変わっていく。
土がなだらかになれば、ポポポンッと次々に元の花たちが生えてきて花を咲かせた。
「へ!? な…え!?」
訳が分からないヒューバート殿が、キョロキョロと辺りを見渡す。
精霊の見えないヒューバート殿には、一体何が起きたのか分からないだろう。
わたくしの目には、姫様と契約している究極精霊達が見えている。
ドス黒い空気を纏って。
花たちも、土も、水も、全てが自然の物だ。
究極精霊達が怒らないはずがない。
「………ランドルフ国に住みながら、精霊達を怒らせることを考えられるのが凄いですわね」
「………そ、れは……どういう……」
「ヒューバート殿、こちらに異常はありません。姫様の元にお戻り下さい」
「………」
笑って言ったのに、ヒューバート殿の顔色が悪い……というか、暗い……?
「ソフィー殿」
「はい」
「………俺は、ソフィー殿の心を打ち明ける……受け止める器量のない男に見えてるのかな……?」
「え……」
意味が分からず、ぽかんとヒューバート殿を見上げてしまう。
そんなわたくしを見て、悲しそうに微笑む。
なんで、そんな顔を……
「おやすみなさいソフィー殿」
「え、ぁ……」
わたくしが何かを言う前にヒューバート殿は立ち去っていった。
伸ばした手は虚しく、力なく元の位置に戻った。




