7.郷田氏との訴訟問題
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コンビニでの夜勤をこなし、明け方午前4時をまわったころだった。
バックヤードから仕入れの品を搬入し、陳列棚にせっせと商品を並べていると、尻ポケットに入れていたスマホがブルった。
液晶画面を見て、思わず舌打ちする。
アパートの大家からだった。
今月の家賃は滞納していないはずだ。金の支払いに関しては堅実にこなしていたのだ。
となると、階下の部屋に水漏れでもしているというのだろうか? 水道を締め忘れたことなどありえないと思うが……。
そもそも、まだ夜も明けきらない朝の4時に、どんな緊急の電話だというのか?
店内に客は見当たらない。さっきまで長距離ドライバーのおっさんたちが買い物をしていたが、うまい具合に閑散としていた。同じシフトの相棒も、規約にうるさい男ではない。
電話に出てみた。
すぐ、大家のおじさんが息を弾ませてまくし立てた。
話を要約するとこうだ。
深夜、不眠症の大家がアパートの各階の消火器の点検をしていたとき、長阪さんの部屋の前を通りかかると、めずらしくドアが半開きになっていたそうな。
不審に思い、声をかけるが返事はない。
玄関をのぞき込んだところ、なんと三和土に長阪さんが倒れているではないか。痛みを訴え、悶絶しているというのだ。
これはただごとではないと、大家さんはすぐ救急車を呼んだ。
とるものもとりあえず、一緒に総合病院へ行き、医師の診断を仰いだ。
精密検査の結果、長阪さんは胃がんに侵されていることが明らかとなった。しかもステージ4で、他の臓器にも転移しており、手の施しようがないという。余命いくばくもないと告げられた。
身寄りがないといっても過言ではない長阪さんのこと、沖縄の親族には伏せてくれと病床から釘を刺された。
仕方なしに大家は、隣人であるおれに応援を要請したわけだ。彼の着替えと貴重品を病院まで運んでくれないかとの連絡だったのだ。いまだ診察が続いているらしく、大家は席を外せないのだと。
10年以上の付き合いをしているならともかく、たかだか数カ月、それも指折りで数えるほど一緒に食事しただけにすぎないおれに頼むとは、いささか荷が重い。
ここまで干渉すべきなのかどうか、と首をひねりつつ、仕方なしにその願いに応えるのだった。引き受けたおれも相当お人好しだと思う。
店長に電話をかけ、事情を説明すると、しぶしぶ了解をくれた。
どうせ終業時刻まで1時間足らずだ。
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というわけで、大家さんの奥さんにご同行願い、マスターキーを使って長阪さんの部屋にあがり込んだのだった。
そびえるような本棚に囲まれた長阪さんの部屋は、長いあいだ老人臭を吸収して、独特な臭いで淀んでいた。
一緒に飲み食いしたときには気づかなかったが、こうして彼がいない今、8畳間には人生の寂寥感までが染みついているようだった。
「とりあえず私が適当な衣類を見繕いますから、里中君は保険証と財布を探してみて。スマートフォンはそこにあるようだから、あとで荷物に収めましょう」
と、奥さんはテキパキした動きで、タンスの引き出しを開けはじめた。
長阪さんの几帳面ぶりはここにも健在で、下着をはじめとする衣類はきちんとアイロンをかけ、整然とたたまれていた。
奥さんは、よりによってこんな明け方に、夫からこき使われたことに不平をこぼしていたが、そのうち衣類をボストンバッグに収納する作業に集中するようになった。
おれは早くも財布を見つけ、その中に健康保険証やらクレジットカードの類があることを確認した。
他になにか持っていくものはないか、部屋を見まわしていたときだった。
本棚の片隅に、輪ゴムでまとめられた封筒の束が眼についた。
気にかかり、おれはついつい封筒を手にしていた。
当然のことながら長阪さんに宛てられたもので、差出人は『郷田 克彦』とある。
達筆。いずれの封筒も郷田氏から出されたものだった。
いけないとわかりつつも、誘惑に逆らえなかった。
いったい郷田氏とどんな関係で、長年にわたりどんなやり取りをしたのだろうか? こんなにも続く男同士の友情とは興味深い。
むしょうにのぞきたくなった。
試しにその中のひとつ、封切られた手紙を抜いた。
せっせと荷物を詰める大家さんの奥さんには背中を向け、読んでみる。
そこに書かれていたものは、意外な内容だった。
長阪さんとなんらかのトラブルがあったらしく、なんと長年訴訟問題になっており、積年の思いを書き連ねてあったのだ。
どんな理由で訴訟に発展したのか、遡って別の手紙を開けてみることにした。
――そこからおおよそのことがわかった。
それは大学時代、長阪さんとその郷田氏の文学青年はよきライバルとして、たがいに切磋琢磨してきた。
しかしあるとき、ちょっとした文学賞のコンテストで、長阪さんの長編小説が最優秀賞を獲得したらしい。
そこまでなら、アパートの隣人として、おれも鼻が高い。
彼は思い出話を語って聞かせてくれたとき、挫折したような口ぶりだったので、賞に無縁の活動しかしなかったのかと思いきや、なにを謙遜したのか。
ところがその受賞作にケチがついた。
その作品こそ、郷田氏の構想ノートからヒントを得て書かれた『パクリ』だと糾弾しているのだ。いくら作家の卵とはいえ、許されざる行為にちがいない。
おれは奥さんに気づかれぬよう、さらに過去の手紙に遡るべく、一番古いものに眼を通した。
消印は50年もの昔だ。封筒は黄色く変色していた。どうやらそれが最古らしい。
郷田氏いわく、あるとき彼の部屋で長阪さんと酒を飲んだことがあった。
おたがい酒が入り、創作活動の談話に花を咲かせた。
そのうちトイレに行くのに、郷田氏が席を外した。
長阪さんはそのすきに、こっそり郷田氏が創作に行き詰まってボツにした原稿用紙や構想ノートの類の入ったダンボールを覗いただろうと言及しているのだ。
証拠はない。あくまで郷田氏の推測に過ぎないと思う。
とはいえ、登場人物こそちがえどボツになった構想そのものや、テーマ、着眼点、問題提起がそっくりだったという。
その構想ノートをヒントに長阪さんが作品を書きあげたに決まっている。こんな卑劣なことは許されるはずがない。おれはおまえを訴え、徹底抗戦すると結んであった。
怒りの論調で殴り書きした筆跡からでも推し量ることができる。
この長年にわたる一方的な手紙の数々からして(最近のもので8年前であった)、どうやら長阪さんが純文学の筆を折ったのも、案外この件が絡んでいるのかもしれない。
おれからすれば、彼が郷田氏の構想ノートから拝借したものを足掛かりに小説を完成させ、コンテストに送り、みごと最優秀賞を獲ったのかもしれないし、単に郷田氏の嫉妬からくる被害妄想にすぎないのかもしれない。少なくとも客観的に見て、おれにはジャッジはくだせない。……と、隣人として長阪さんの肩を持ったつもりだ。
さすがにおれは、見てはいけないものを見てしまったバツの悪さに、顔をしかめた。
ひと通り、荷物をまとめたおれと奥さんは、一路総合病院へと急いだ。




