6.異様な悪夢
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いくらただで手料理を作ってくれたり、肴や酒代まで浮くとはいえ、エナジーバンパイアと一緒にすごすのは、さすがにうんざりしていた。
美伽の言ったとおり、長阪さんに誘われるたび、おれはなんのかんのと理由をつけて断るようにした。関係を断ち切る、とはまでいかないが、やはりべったりの間柄はよくない。心を鬼にした。
にもかかわらず土曜日に断ったのに、日曜も訪ねてき、そのうち平日も呼び鈴を鳴らしておれのご機嫌を窺うようなった。
居留守を使うようにした。
そうは言っても、しょせんアパートの隣人同士。ちょっと身じろぎしただけで物音を立ててしまう。物理的に気配を殺して生活できるはずもない。
呼び鈴をくり返し鳴らされ、そのたびに8畳間に反響した。
「里中君、いるんだろ? さっきトイレを流す音が聞こえた。いくら小出し小出しに流したってわかるさ」
長阪さんはドアに口を密着させたまま言った。
おれは両耳に手を当て、聞こえないふりをした。
そっとベッドのタオルケットを取って、頭からかぶった。
「里中君、寂しいよ。友だちじゃないか。今晩、鮪をご馳走してやろう。大間で獲れた本鮪の中トロ・赤身ブロックを手に入れたんだ。僕の部屋においでよ」
居留守を使おうにも限界があった。
せっかくの物件だったのに、このままでは引き払わなくちゃいけない。
新たな別の賃貸物件を借りようにも、敷金、礼金や仲介手数料を含めた諸々の経費と、引っ越し料金を捻出できるほど余裕はなかった。
美伽の家に転がり込めたらありがたいのだが……。それならば、すぐにでもアパートを引き払ってもよかった。
美伽は、両親と祖父母の二世帯住宅暮らし。いきなりおれが押しかけるのも憚られた。おれは持ち前の人懐っこさから、溶け込んでいく自信はあった。なのに美伽は、まだ交際して間もないのに、家に引っ張りあげるわけにはいかないと突っぱねたのだ。
――帰ってくれよ、長阪さん! 大間の鮪でおれを釣ろうって魂胆、乗るもんか!
タオルケットの防御などあってないにも等しいのに、全身を覆い隠し、さながら藁納豆になった状態で、おれは耐えた。
わざとらしく、寝息を立てた。さもドアの向こうに聞こえるように、豚みたいないびきをかく。
きっとおれは、大学とバイトの往復で、クタクタに疲れてるんだ。
せっかくバイトの定休日なんだ。そっとしておいてくれよ、長阪さん!
「やれやれ……。どうもお疲れのようだな。せっかくの鮪のブロックだが、一人じゃ食べきれない。わかった。またにするよ」
ドアの向こうにいる長阪さんが悄然と肩を落とす姿が見えるようだった。
隣の部屋へ退散していく物音がした。安普請の建材のせいか、またしても彼の生活音が筒抜けになった。大きなため息が洩れた。
外へ出かけるときも、帰宅して外階段をあがってくるときさえ、足音を立てず部屋に出入りした。とにかく長阪さんと外で出くわさないようにつとめた。
面と向かって誘われるのも回避したい気持ちもあったが、彼を傷つけまいとして、できるだけ会わないようにしたかったのだ。
美伽の言いつけどおり、おれは長阪さんの言葉すら無視した。そうするより他なかった。
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その日、寝苦しい夜になった。
またしてもおれは夢と現のなかで異様な体験をした。
部屋に気配を感じる……。
なんとか眼玉だけ動かし、ベッドの足もとを見た。
するとそこには人影が立っているではないか!
長阪さんに決まっている。いったい、どうやって部屋にあがり込んだんだ……。
じっさい、身体つきは長阪さんだった。お定まりのワイシャツにネクタイを締め、夏場だというのにジャケットを羽織っている。
ワシャワシャと、耳障りな呼吸音がした。人とは発声器官の異なる不吉な音だった。
様子がおかしい。というのも、彼特有の頭ではないのだ。きれいな白髪をぴっちり撫でつけた髪型ではない。
照明が暗すぎて、顔ははっきりわからない。
わからないなりに、やけに横に長い角ばったシルエットをしているように見えやしないか。
左右に飛び出た丸い突起物はいったいなんのつもりだ?
なにかの仮面をかぶっているように見えるが……。
影絵と化した長阪さんは手に細長いものを手にしていた。
なにやらストローのような、そのくせ先端が尖った棒。
それをグサリとおれの腹に突き立てやがった!
おれは痛みに身体をのけ反らせた。
やおらチュウチュウと吸いはじめたのだから、驚かずにはいられない。
なんと、おれの体液を奪い取っているのだ!
おれの身体は見る見るうちに干からびていく。
まるで生きながらクフ王のミイラになっていくようなものだ。命がどんどん流失していくのがわかる。
吸い取られるまいとして抵抗した。
「やめろ、じじい! おれから離れやがれ!」
どうにか夢から眼を醒ました。
スウェットはたっぷり汗を含んでいた。さながら精も根も尽き果てるほど疲れていた。
そばの小さいスタンドミラーを覗いてみたが、幸いにしてげっそりやつれた顔ではないことに、おれは安堵のため息をついたのだった。




