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長阪さんはエナジーバンパイア  作者: 尾妻 和宥


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5/10

5.「それってエナジーバンパイアじゃない?」

◆◆◆◆◆


「僕は元来、おくて(、、、)なんだと思う。あのとき、もっと彼女――奈緒に素直な気持ちをぶつけていたら、運命は変わったかもしれない」と、ほろ酔いになった長阪さんは、またしても蒸し返した。肉にはいっさい手をつけず、延々こんな話を続けるのだから参る。「年を取ってから、ああすればよかったと、後悔することばかりだ。気づくのが遅すぎるんだ、いつも。後手後手にまわして損をする」


「いまさら後悔しても」


 わざわざおれのために、ふるさと納税の返礼品で取り寄せた飛騨牛ミニロインステーキ。せっかく焼いてくれたのに、これでは心から味わえない。

 長阪さんはビールの入ったコップを手にしたまま、窓の外を見た。銀杏の木から何匹ものアブラゼミがわめいていた。


「まるで僕は蝉そのものだ。幼虫みたいに土の中で長いことくすぶっている。やれ、やっと成虫になり、日の目を拝めると思ったら、残された時間はあまりにも短すぎる」


「そんなこと、おっしゃらずに。まだ時間はあります」


「いんや――里中君はなにもわかっちゃいない。僕のような愚鈍な人間は、幸せをつかむことができないのさ。なるべくして(、、、、、、)こうなった(、、、、、)負けるべくして(、、、、、、、)人生に(、、、)負けた(、、、)




 もはや弾は尽きた。おべっか(、、、、)が見つからない。

 正直なところ、おれには長阪さんが、まんざら不幸には見えなかった。

 そりゃ結果論で言えば、彼は好きだった奈緒さんとも別れなくちゃならなかったし、若いころから寝食も忘れるほど夢中になれる趣味を持ち、なにより夢を追いかけてきた。志半ばで断たれはしたが。


 なるほど、ひいき目に見てもうまくいったとは言えまい。婚期を逃がし、出世街道からも見放された。

 しかしながらいまは多様性の時代である。

 シングルでも人生を謳歌している人は無数にいる。なにも職場で上昇志向を持ってのしあがっていくのがすべてではない。それがために家庭を犠牲にするケースだってあるのだから。


 世の中には、なにか夢を追いかけたくても、肝心の目標すら見つけられない人の方がむしろ圧倒的に多いのではないか。

 漠然と、日々をなんとなく生きてたっていいはずだ。生き甲斐が見つけられなくたって。――それの、どこがいけない? 


 内装クロス貼り職人のおれの親父が、よく苦言を呈したものだ――夢ばかり追って、現実を直視しない人間をとことん軽蔑した。

 父からすれば長阪さんは、まさに現実逃避の社会不適合者でしかないだろう。もっとも、それは父の主観にすぎない。客観的に見て、父のように凝り固まったつまらない人間よりかは、おれには羨ましく思えるが。

 ただしこれだけは言える。――長阪さんの場合、行動を起こすのが遅すぎて、チャンスをことごとく失った。それは確かだ。




「こんなはずじゃなかった。僕の思い描く未来は、こんな惨めなものじゃなかった」


 彼は眼鏡を取って涙を流した。しまいにはやけ酒を浴びるようになった。

 見ていられなかった。

 そんなときは話の腰を折ってしまおうが、二人の間に沈黙が落ちたのを見計らって退散するのが一番だった。


 おれもお人好しだ。

 なにを好き好んで、老人の思いどおりにいかなかった人生の恨み節を聞かされなきゃいけないのだ。苦行にも等しい。


 適当に相槌を打ち、同調したり、慰めたりと気遣いしたあとは、どっと疲れた。

 ましてや他人のネガティブな愚痴ばかり聞かされた日には、かえってこちらまでマイナス思考に捉われ、その疲労感たるや、まるで吸血鬼かなにかに生血を吸い取られたみたいにぐったりした。


◆◆◆◆◆


 バイトの先輩であり、付き合うようになった女の子――美伽みかさんにこの話をふってみることにした。

 たまたま夜間のシフトがはずれた時間であり、美伽は固定シフト制で昼間を担当していた。おれたちは引き継ぎの時間に愛を育んだのだ。

 彼女の公休日にLINEで呼び、喫茶店に入って、おれはその話題を口にした。


「里中君、それって典型的なエナジーバンパイアじゃない? 気を付けないとメンタルやられちゃうかもよ」


「エナジーバンパイア?」


「そ。バンパイアは老いも若きも、男女も関係ない。その手のネガティブ思考の人って、どこにでもいるものなの」




 本来、エナジーバンパイアは心理学的に定義された専門用語ではなく、主としてスピリチュアルな概念として使われるようだ。それもどちらかと言うと、女の世界で拡散され、『できるだけ避けたいタイプの人』を指すんだとか。


 エナジーバンパイアとは、つまりこうだ――。

 その手(、、、)のタイプはやたらと頼ってきたり、相談してきたり、依存してきたりする人が該当するという。

 一緒にいるだけで体調を崩したり、異様に疲れたり、自分のエネルギー(それこそ生命力からはじまり、メンタル、下手をすると運気まで)を吸い取られていくような気がするんだと。言い得て妙である。


 あくまで『気がする』は主観の問題ではある。その手のタイプと付き合って、ストレスを感じるか否かは個人差もあるし、なにより相性の合う合わないは大きいところだろう。

 いずれにせよ、本人にとってエナジーバンパイアとなり得る人間は、近しい家族をはじめ、友だちや学校、職場内など、社会の至るところに潜んでいるという。


 しかもエナジーバンパイア本人には、自分が誰かのエネルギーを搾り取っているという自覚はないだけにタチが悪い。だからその人間性を顧みることさえできない。

 傾向としてエナジーバンパイアは、不平不満や愚痴、自己否定が強く、他人の意見に耳を貸さない。依存的で、なにかにつけて頼ってきたり、ふりまわしてくることが多い。


 エナジーバンパイアは一見すると、『いい人』に見える。誰にも気さくで優しく、朗らかで、みんなから慕われているタイプもあるという。

 しかしながら付き合っているとエスカレートするケースもある。やたらとプライベートを詮索してきたり、頻繁に会いたがったり、他の友だちと仲良くしていると不機嫌になったり……。極端な話、相手を支配しようとするそうな……。




「おいおいおい、長阪さんがおれを支配しようとしてるだなんて、怖すぎるよ。いくらなんでも、それぐらいわきまえてるだろ。いい年した、分別のある大人なんだし」


「呆れた。君は筋金入りのお人好しね。ここは愛媛の山奥じゃないの。しっかり自分の身は自分で守らないと、いまにえらいことになるわよー。お年寄りがみんな、悟りを開いてるって思ったら、おおまちがい」


「いやぁ……。やっぱり幽霊なんかより人間の方が怖い」と、おれは頭をかいた。ストローをくわえ、アイスコーヒーで喉を湿したあと、身を乗り出した。「で、美伽さん。結局のところ、どう対処すればいい?」


 彼女は対策としてこう助言してくれた。


「せっかく築いた人間関係なんだし、できるなら壊さないに越したことはない。おたがいに円満に関係を保つには、距離感も必要かと」


「距離感ったって、おれのお隣さんなんだって! こんな薄っぺらな壁一枚向こうの人なの。一緒に飯食べる誘いを断ったあと、壁の向こうからため息が聞こえてくんだよ。そんなの聞かされた日は、たまんないって」


「それなら、引っ越すしかないのに」


「資金なんて、あるもんか」


「だったら、いっそのこと招待には一切応じない。私なら、『大学でいくらワクチン2回摂取しても、ソーシャルディスタンスを取るべきですって怒られたんです。もしかしたらおれ、保菌者かもしれないし、長阪さんに感染させちゃ悪い。だから今後いっさい遠慮しときます』って言い張る。ゴリ押し。それしかない」


「ところが、あの人には通じないんだ。何度断っても、明くる週やってくる。ナマハゲみたいに」


「いっそのこと、ガン無視しちゃう。そのうちおじいさんも諦めてくれるのを待つ。世代間ギャップを見せつけてやれば? 『若い人って気まぐれで、急に愛想が悪くなるんだな』って思って離れてくれたら儲けものじゃない」


「女って、わりと残酷だよな」

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