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393.竜人族の里で 2





 里での生活が始まり、数日が過ぎた。


 朝が一番早いのはリッセで、二番目はベルジュである。

 最初こそエイルやサジータも早かったようだが、どうやら交渉事の時間に当てるために一時的に早起きしていたようだ。


 慣れない環境での慣れない生活が、少しだけ安定してきた昨今だが――料理人の朝が早いのは、どこの世界も変わらない。


「――よし」


 朝の支度をして、台所とやや大きなテーブルがあるだけという家屋に入り、ベルジュは食材に手を伸ばす。恐らくは客人用に作られた台所と食卓なのだろう。


 森の腹の中にあるとは思えないほど広大な竜人族の里には、当然のように広大な畑があった。

 そしてそこでは、主食は肉だと思われがちな竜人族の主食が、普通に育てられていた。


 ちなみに四足紅竜(ラウジオ)の子が四頭ほど、畑を守護していた。

 作物を害獣から守るという立派な役目を担っているのだ。


 この環境で育てられている物に興味津々なベルジュは、案内人も置かず不用意に畑に近づき吠えられたり体当たりされたりと、激しく威嚇されたものだ。


「――そぉいや!!」


 まあ、不用意に体当たりしてくる四足紅竜(ラウジオ)は逆に受け止めて投げ捨ててやったが。ベルジュとて暗殺者の訓練を受けてきた者、弱いわけがない。


 そんな竜人族の主食となっている食べ物は、小麦によく似た……というか、小麦の品種改良版というか、環境に適応したと思われる黒い小麦だった。


 竜小麦。

 元は普通に小麦と呼ばれていたそうだが、外から里を訪れた学者が「竜小麦」と呼び出したのを機に、それが通称となったいう。


 その竜小麦だが、最初に見た時は病気だとベルジュは思った。前に同じように黒くなった小麦を見たことがあったからだ。


 しかし、黒いのは外皮だけである。

 皮を剥けば、中には白い……とは言い難いが、やはりダメになっているとしか思えないほど赤黒い実が育っていた。


 ――ただ、なかなかうまいのだ。この一見病気みたいな小麦は。


 分けてもらった竜小麦は、三種類。

 精製前の黒い小麦と、皮ごと臼で挽いた黒と赤の混じった粉と、外皮を取って中身だけ挽いた赤の色が強い粉だ。


(殻の風味はいいが、多すぎるとぼそぼそで口当たりが悪い……何か繋ぎになるものがあれば……)


 そんなことを悩みながら、比率の試行錯誤が続いている。


 ひとまず、今日も竜人族の奥様方が教えてくれた比率で生地を作る。


 カリッとした口当たりが面白いクルミのような木の実も砕いて混ぜ、合わせると楕円形になるフライパンの蓋部分に生地を貼り付けてセットする。蓋の上部には穴が開いており、蒸気がこもらない作りになっている。


 この貼り付けた生地が平べったいパンとなり、竜人族及び最近では自分たちの主食となっているのだ。





 穀物の色が違う。


 そう聞いてベルジュが思い浮かべたのが、森の至るところにあるという毒の沼の存在である。


(――地面が毒性を帯びているのか?) 


 そうかと思えば、育つ穀物には人に害を及ぼすようなものはない。


 色こそアレだが、品質は良いと思う。味もいい。

 ベルジュが「己の体質」で確かめたのだ、間違いない。カロフェロンにも畑の土を調べてもらったが、毒性はないとのことだ。


 その上、一部の穀物や野菜は、育ち方が異常だ。

 竜小麦は年に四回も収穫期が来るし、外の世界で似た野菜も育ち方が早い。


 特に芋は要注意らしく、外見も中身も黒い上に、育つのも異様に早く、また放置すると際限なく広がっていくとか。

 数十年に一度は不手際で森に広がり、芋を好物とするドラゴンや虫龍が大量発生することもあるらしい。


(――そういえば、エイルが黒い大葱を複雑そうな顔で食ってたな)


 「嫌いか?」と聞いたら「味はいいけど色が受け付けない。でも嫌いじゃない」と、複雑なことをやはり複雑そうな顔で言っていた。

 なんでも彼の故郷の村の特産品で――ベルジュ同様、腐っている色にしか見えないから、だそうだ。


 すっかり慣れたトカゲの肉も上手にさばき、野菜と一緒に鍋に入れて行く。


 大柄なベルジュは大雑把そうに見えるが、その実繊細で細やかな料理を得意とする。

 ややいい加減な男の料理も嫌いじゃないが、微に入り細を穿つからこその料理人だと思っている。個人的なこだわりだ。


「――朝飯できたぞー!」


 ベルジュが呼ぶと、個人用テントからエイルやリオダイン、セリエ、サジータが出てくる。

 リッセは訓練を切り上げてくるので、森からやってきた。


 ちなみに、よくリッセと一緒に猫が戻ってくる。今日も一緒だったようだ。

 そして猫はベルジュの用意した飯を食ってすぐにどこかへ行ってしまう。台所に入らないならなんでもいい。


 カロフェロンは近頃はテントにこもり錬金関係の作業に没頭しているので今は手が離せないか、もしくは一段落して死んだように寝ているかのどっちかだろう。

 彼女についてもいつも通りなので、あとで様子を見に行くことにする。


 平べったい赤いパンと、少し変わった風味の汁物。


 この二つが、竜人族の里の、郷土料理である。





 自然と、あるいは集まるべき時間がここしかないからか、朝食だけは一緒に食べるようになった。


 昼はそれぞれで済ませているからともかく、夕食時も集まっていいのかもしれないが――理由としては、ベルジュの不在が大きいのかもしれない。


 ベルジュはあらゆる里の料理を知るべく、夕食はどこぞの家に厄介になり、そこで夕食を食べている。

 同じ里に住む者であっても、味の好みがあれば好きな料理も違うものだ。


 各家庭でほんの少しだけ違う味、違う料理が存在し、そこからまた新たな料理が発生して確立していくこともある。


 各家庭にしかない料理がある。

 そう考えると、ベルジュの興味はまだまだ尽きない。


 いずれは三食集まって食べる時も来るかもしれないが、それは今ではないと、ベルジュは思っている。


 まだまだ学ぶべきことがあり、まだまだ知り尽くしていないからだ。


 ――特にドラゴン料理は、まだ手付かずのままである。時間も手間も掛かるものが多いようなので、後回しにしている。





 朝食を済ませた後、ベルジュは戦うための訓練をする。


 訓練にはあまり熱心な方ではないが、いずれはどんな肉でも自分で狩れるほど強くなりたいとは思っているので、欠かすことはない。


 一応秘術の訓練もするが、どうにも手応えはさっぱりだ。


 そろそろサジータからアドバイスを貰った方がいいかもな、と思いながら、ベルジュは汗を拭って再び台所に立ち戻った。


 ――下ごしらえは、朝の内に済ませてある。


 地面に埋め込んだ壺――簡易氷室のようなところから、寝かしておいた竜小麦の生地を出す。


 全体的にしっとりとし、水分がよく行き届いている。


(この小麦、やはりすごいな)


 色こそ傷んでいるようにしか見えないが、触ってみるとすぐにわかる。

 ベルジュも数えるほどしか触ったことがない、高級小麦と比べて遜色がないのだ。


 独特の風味はあるが、これはこれでいいとベルジュは思っている。まあ外皮を完全に取ってしまえばこの風味もかなり薄くなるはずだ。


 生地を練り、麺棒で広げて、コップを使って型抜きをし、更に手のひらで薄くしてフライパンに並べて火に掛ける。


 ジリジリと炙られる生地から、焼きたてのパンのような匂いが立ち込めると――


「――ベルジュ!! 勝負だ!!」


 奴らが来た。


「いらっしゃい」


 と、家屋から顔を出したベルジュの前には、同年代よりやや下の、竜人族の女の子が三名いた。


「もうすぐできる。茶の準備を頼んでいいか?」


「――うるさい! これを食え!」


「――食え!」


「――よそ者が! 食え!」


 彼女らが皿だの織物の箱などを差し出してくるので、ベルジュはそれらを一つ一つ確かめて行き――


「あんまりおいしくないな……」


 ぼそりと一言漏らすと、三人は屈辱に顔を染めた。


「もうすぐできるから茶を頼む」


「「ぐぬぬ……!」」


 はっきりしているのは、今日も負けたということだ。


 ――彼女らは、結婚を控えている……あるいは意中の者がいる、うら若き竜人族の少女たちである。


 料理上手は人気がある、というのはこの里でもまかり通る常識らしく、この少女三人は特に里でも料理が上手い方だと噂されていた。


 自他ともに認める料理上手たちが、料理人だと言って食べ物を求めて方々を回るベルジュに興味を持つのは、当然の成り行きだった。


 ――「ウワァうまい! 竜人族の女は美しいだけではなく料理も上手いのか結婚してくれ!」とでも言わせてやるつもりだった。そしてフッてやるつもりだった。そんな箔を付けたい年頃だった。


 しかし、得意料理を作り、いざ相対して食わせてみると……というのが、因縁の始まりだった。





「どうぞ」


 悔しげに呻きながらも茶の準備をしていた少女たちに、薄焼きクッキーを乗せた皿を差し出す。


 少女たちは悔しげな顔をしながらそれに手を伸ばし――ニヤリとした。


「なぁにこれ? 味しないじゃーん」


「パリパリしてるだけじゃーん」


「ていうか薄いパンじゃーん」


 ニヤニヤしながらパリパリさせている少女と同じ席に座るベルジュは、彼女らと同じように薄焼きクッキーを手に取る。ちなみに語尾に「じゃーん」と付けるのがナウい若者言葉だと信じている、田舎の弊害をばっちり受けている子たちである。


「砂糖を入れてないからな。ハハライの婆さんから貰ったジャムだ、これを乗せて食べるんだよ」


 皿と一緒に小瓶も出したのだが、少女たちは誰も見なかった赤いジャムを乗せて、ベルジュは薄焼きクッキーを口に放り込んだ。


 酸味が強い赤いベリーの砂糖煮は、竜小麦から香り立つ程度の甘味と風味に絡み合い、見事な調和を醸し出す。


 想像した通り、うまい。

 凝ったものではないので味は素朴だが、竜小麦の味を楽しむならこれで充分だ。


 ――ジャムはパンに付けて食べるもの。


 外の世界では普通にあるものだが、里においては常識を覆すような新発明に、鬼のような顔で恥辱に耐える少女たちはあっと言う間に皿を片付けるのだった。


「で? おまえらの持ってきた物の作り方は?」


 ただの餌付けではないし、ただの発想の披露ではない。

 これもまた、ベルジュにとっては料理を知るための大切な交流である。





 ――なお、少女らの許嫁や想い人たちが、すでにベルジュに睨みを利かせていることには、まだ気づいていない。





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