379.朱蜻蛉突破録 9
――増えたのは、返って好都合だった。
エイルは黒いドラゴンの一頭を森に誘い込みつつ、この状況を歓迎していた。
早い内から看破していた。
この魔物には問題なく勝てる、と。
「――おっと」
追い駆けてくる黒いドラゴンが振り上げた前足が、不自然に伸びて降ってきた。――元は液体だけに、体積を越えなければある程度変形もできるようだ。
斬り崩しても吹き飛ばしても元に戻る様子を見ていただけに、これも予想できる動きだった。
怖いのは、例の爆散だけだ。
あれは標的を曖昧にしか狙わない無差別攻撃である。
それだけに非常に読みづらいし、飛び散る速度はともかく範囲が広すぎてかわしきれない可能性が高い。至近距離でされたら終わりだ。
だが、森なら。
木々や地形で身を庇えば、充分回避できる。
他の外敵も多く存在する森は、危険な戦場ではあるが、考え方次第で有利に働く一面もあるのだ。
――まあ、それはともかく。
「……そろそろいいかな」
他の人たち、特に「黒鳥」の人員とは充分に距離を取った。
今ここでなら、誰にも見られる心配はない。
首尾よく黒いドラゴンも付いてきているし――狙い通りの状況を作ることができた。
ここまで上手くいっていいのか、と思えるくらいだ。
「手早く行こう」
逃げるのは終わりだ。
いつ誰が来るとも知れないし、何よりちょっと時間が惜しい。
密集した森の中、エイルは手頃な広さのある場所を見付け、黒いドラゴンと向かい合う。
早い段階から黒いドラゴンの攻略法と、後々必要になるだろう要素は割り出せていた。
リッセがやられたこと――というより、誰かが毒にやられることは予想できていた。
それも一人二人ではなく、大勢がやられるだろう、と。
エイルの予想では、黒いドラゴンの討伐には成功するが半数以上が毒を食らって行動不能になる、だった。
――だからこそ、「黒いドラゴンの素養」が必要だと判断していた。
ドラゴンのあの動きからして、絶対に「毒を操作する素養」を持っている、と予想を立てた。
仮に持っていないまでも「毒に関わる素養」を持っているだろう、と。
半数以上が毒に倒れる。
毒にやられた範囲によっては、死者が出る。
ならば――「毒を操作する素養」は、全員が無事に生き残るために必須である。
エイルはそう考えていた。
これがあれば、毒の中和ができるかもしれないし、カロフェロンに頼めば毒消しの特効薬も作れるかもしれない。とにかく無駄にはならないだろう、と。
「メガネ」による強制情報開示を使えば、「魔物の素養」も登録できることは、すでに実証している。
そう、必ず黒いドラゴンから「素養」を登録しなければいけなかった。
というか、あの戦闘がもう少し続いていれば、いずれどうにか仕掛けていたと思う。
さすがに人命が懸かっている今、出し惜しむつもりはない。
だが、状況的に隠せるのであれば、やはり隠すべきであるとも思う。
つまりこの状況ということだ。
――だが、一つだけ問題があった。
黒いドラゴンは、毒の液体で構成されている。
つまり、液体に「メガネ」を掛けさせることができないのではないか、ということだ。
しかしそれも、無事解決した。
「――君との出会いに感謝してる」
柔らかくふさふさの毛を撫でるが、どうやら彼女は不機嫌なようだ。
「いいから早く戻せ」という意志が伝わってきたので、撫でるのも程々にして、猫の召喚を解除した。
ドラゴンという強い生命体が住む森は、元は灰塵猫という魔物である彼女には、かなり居心地が悪いらしい。「こんなところで呼ぶな」とまで伝わってきた。「呼ばなくてもよかっただろ」とも。隙あらば呼びたいし撫でたいし抱き締めたいエイルの気持ちなんて知ったことじゃないそうだ。なかなか辛辣な猫である。それも猫っぽいが。
――ともかく。
戦闘はすぐに終わった。
今エイルの目の前には、「砂」で固めた黒いドラゴンが、真っ黒な彫像のようになってぴくりとも動かず立ち尽くしていた。
灰塵猫は、言ってしまえば「砂を物理召喚する素養」を持っている。
エイルもすでに猫から登録済みだが、今回は必要な砂の量が多そうだったので、呼び出して協力してもらった。
ちなみに「素養」の名前は「乱砂」。
灰塵猫は目くらましで使用する。
今回は、「魔力の変質」を使って「とにかくめちゃくちゃ水分を吸って固まる砂」を発生させた。
幸いこの砂は見たことがあったし、触ったこともあったので、楽に再現できた。
これで、生きたまま捕獲したことになる。
突如増えた黒いドラゴンではあるが、きっと体内に魔核を持っているはずだ。
魔核は、魔物の身体を維持する魔力の源である。
ここまで分離して動いている以上、たとえ分体的なものであったとしても、このドラゴンを動かしている源がないわけがない。
きっと完全に取り除けば殺せるだろうが、その魔核を残したまま固めた。
だから、まだ生きているはずだ。
そして、液体ではなく物質になった今なら、問題なく「メガネ」を掛けさせられる。
――都会とか人の多いところとかで猫を飼うならトイレは必須だよ。私のところは砂で固めて――
先日行った大帝国で、猫屋敷の主とそんな話をしたことを思い出しつつ、エイルは強制情報開示を行うのだった。
「なんだこれ」
エイルが想像していたより早く、応援がやってきた。
グロック、レクストン、ライラを欠いた全員が駆けつけてきた。
「ああ、触らない方がいいですよ」
見た目はあまり変わらないが、確かな実体を持って固まっている黒いドラゴンに手を伸ばすのは、エイルの姉である。
ホルンなら触っても大丈夫だとは思うが、一応注意しておく。
固めはしたが、砂はしっかり毒液を吸っている状態だ。
毒を中和しているわけでもないので、割と毒素は剥き出しになっているのだ。
「――ねえ、これって」
「――猫に頼みました」
「――あ、そうか。あの猫って灰塵猫だもんね」
毒を食らったはずなのにもう復帰しているリッセが小声で聞いてきたので、しれっとそう答える。――嘘はついていない。
「それより君の毒は?」
「もう大丈夫。秘蔵の薬剤を惜しみなく使ったカロンの毒消しだからね」
それは何よりである。値段を聞くのは怖いが。
――エイルが睨んだ通り、黒いドラゴンは「毒に関する素養」を持っていた。自由自在に操作できる、とまでは行かないが、きっと役に立つだろう。
「それで、毒のサンプルは回収しましたか?」
彼らがここに来た以上、ほかの黒いドラゴンは、もう討伐されてしまっているだろう。
となると、毒を回収できる機会は、今ここだけということになる。
「え、どうだろ。毒を吸った布とかはあるはずだけど、現物はないかも……あんたたち回収した?」
リッセはリオダインとベルジュに視線を向けるが、彼らも首を横に振っている。
戦闘で忙しかったのだろう。回収どころではなかったようだ。
「――じゃあ彫像の欠片でも持っていきましょうか」
こうして、名も知らぬ黒いドラゴンとの戦闘は、終わったのだった。
「あれ? なんだこれ?」
――もう一つ謎を残して。




