365.メガネ君、「あ、これは厄介事になるな」と予想する
サイの特急便に乗り、獣人の国に点在する街や村を辿りながら移動すること三日。
サイ獣人たちは馬のような速度で走り、しかし馬よりも器用に動き、また御者も必要なく、目的地までひたすら走った。
街に着いたら違うサイ獣人に代わり、同じようにまた走るのだ。
馬車のわずらわしさや面倒、気を遣う点が限りなく少ないせいで、非常に移動速度の速い旅となった。
個人的に嬉しかったのは、やはり大きな石などを普通に回避してくれることだ。
そのおかげで、車体の揺れで身体に掛かる負担が目に見えて違うのだ。
唯一心配だったのが、セリエの馬車酔いだが――
「……」
彼女は俺の肩に寄り掛かって寝ている。……今日もよだれが俺の袖にシミを……まあいい。これくらいなら我慢できる。
セリエ自身も酔い止めの薬を調合できるはずだが、今回は薬品のスペシャリストであるカロフェロンがいる。
彼女が用意した酔い止めの薬が効いているのだ。
セリエの希望で眠くなる成分が入っているそうで、この有様である。
酔うかもしれない馬車の旅より、寝て起きたら目的地、の方がよかったのだろう。
借りている特急便は、五人乗りの三台。
一台は、俺、セリエ、リッセ、カロフェロン、リオダインという親善団体メンバー。
二台目は、サジータ、グロック、オールドブルー、ライラ。
そして三台目に、ホルン、アインリーセ、ベルジュ、レクストンが乗っている。
身体の大きな者もいるので、ある程度重量で組み分けをしており、三日目まで組み合わせは変わらなかった。
――恐らく俺は意図的に「黒鳥」から引き離されたのだろうとは思うが、ほかはどうかはわからない。
まあ、ベルジュの肉トークがホルンに非常に受けているようで、姉の注意が一切こっちに向かないのは嬉しい誤算だった。
三日目の旅も何事もなく過ぎ、陽が傾く夕方には、予定していた街ハルハに到着した。
竜人族の里――のある森に到着するのは、あと二日ほどである。
何事もなければ。
「――ナスティアラで言うところのハイディーガみたいなものかな」
リッセが漏らした言葉は、サジータの「ドラゴンの住む森に近い場所だからね」という言葉から導き出されたものである。
ハイディーガも、冒険者の街と言われていたからだろう。
陽が落ちかけた頃に到着したハルハの街は活気があり、冒険者らしき武器を持った者の姿が多かった。
まあ獣人の国独自の文化があるようで、珍しいデザインの軽装の者が多いが。
急所や要所を守る革鎧や金属、あるいは鱗や骨素材の防具は着ているが、基本は薄着のようだ。
獣人によっては自前の毛皮を持っている者もいるが、そういうのはわりと剥き出しにしている人が多いのかな?
獣人の運動能力の高さを考えると、防具が逆に動きを阻害する要因になり得るのだろう。サイ獣人の身体能力もすごかったし。
「ここから先は人里がないんだ。あまり近づくと、気まぐれに森を抜けだしたドラゴンに襲われかねないからな」
この辺のことはグロックも詳しいようだ。
道中のこぼれ話で耳にしたが、グロックたち「黒鳥」は、俺たちの依頼のついでに、ドラゴンを狩りに来たそうだ。
というのも、このドラゴン狩りこそ、「黒鳥」のメンバーが一人前に数えられる試験のようなものなんだとか。
つまり――見習いやら下働きやら、あるいは下積みだったライラとレクストンのための旅なのだろう。
聞けば姉もアインリーセも、ドラゴン狩りはまだだったらしいが……でも実力的にはとっくに最前線に出ているとかいないとか。
まあ、黒皇狼狩りに出すくらいだから、とっくに戦力に数えられてはいるのだろうけど。
「――じゃあ俺たちは行くからな」
「――ああ、ありがとよ」
サイの特急便が使えるのも、この街までだ。
ここから先は徒歩移動ということになる。
とりあえず、まだまだ早いが、宿を取って夕食を食べてさっさと休むことにした。
「肉だ肉だー! 珍しい肉はどこだー!」
「おい待て。待てって。……あーもう」
駆け出すホルンとそれを追うアインリーセを筆頭に。
それぞれ「飲みに行こう」だの「買い物に行こう」だの「猫を……」だの言う連中を横目に、俺はとっとと宿に引っ込んだ。――俺の女装はまったくバレていないようで一安心である。
ここまでの道中の疲れを取るために、明日一日だけハルハの街に滞在し、疲れを癒してから出発することになっている。
旅の間、夜はしっかりベッドで寝られていたので、そんなに疲れはないが……まあ、特に日程に異論はない。
風呂に入って汗を流し、今日もこの国ではメジャーなトカゲ肉の入ったシチューを食べて、少しだけ秘術の訓練をして。
猫は、今日はカロフェロンの方に行ってしまったので、一人寂しく寝ることにした。
――猫の名前、本当にいい加減考えないとなぁ。
と、そんなことを考えながら眠りに落ちるのだった。
そして翌日。
なんとなく。
本当になんとなく。
その言葉を聞いた瞬間から、「あ、これは厄介事だな」と直感が働いた。
「――朱蜻蛉の目撃情報が出てるようだ」
今日一日は骨休めなので、なんの予定もない。
宿の食堂で一人で朝食を取っていると、やってきたサジータが挨拶もなくいきなりそんな本題に入った。
「……察するに、私たちの行程に障るんでしょうか?」
「恐らくね」
と、彼は俺の向かいの椅子に座った。
表情はいつも通りだが――こんなことを言い出す時点で、結構な問題なんだと思う。
何せ俺たちには「黒鳥」という優秀な護衛が付いている。
多少の障害なら、彼らがどうとでも対処するだろう。
だが、その聞き覚えのない、もしかしたらドラゴンの一種であろう魔物は、「黒鳥」が付いていてもあえて言うほどの存在である、ということだ。
「ストゥララからババリリデアに移動する時、馬獣人の集落が見つからないって話をしたの、憶えているかい?」
えっと……獣人の国に来て最初に行った街と、「黒鳥」と合流した港街だな。
「確か二日目でしたか? 野宿しましたよね?」
あの時、予定では、遊牧民である馬獣人のテントで一晩過ごすはずだった、とか言っていたはず。
「うん。あの方に野宿なんてさせられないからね。でもさせてしまった」
あの方というのは、ワイズのことだろう。
ここは公の場なので、個人名を出すのは避けたのだろう。サジータも暗殺者に名を連ねる者だから。
「その理由、恐らく朱蜻蛉だ。馬獣人たちはアレを避けるために流れたんだろう。
まったく。面倒なことになりそうだよ」
…………
「詳細がわからないとなんとも言えませんが、私たちはどうしても行かねばなりません。ならば取れる手段は限られるかと」
その朱蜻蛉とやらは、魔物だろう。
竜人族の里に行くのに邪魔であるなら、退治するなり追っ払うなりするしかない。
諦めるって選択は最初からないのだから。
「……まあ、そうだよね。このまま待つってわけにもいかないよね」
うん。今回の件は、ワイズ直々の命だ。
必要な休息時間は受け入れるが、時間の無駄でしかない足踏みなんてしてられない。
問題があるなら解決する。
障害があるなら取り除く。
それしかないだろう。
――幸い「黒鳥」の主力メンバーも強いし、俺たち暗殺者候補生たちも魔物との実戦経験は積んできている。そこらの冒険者よりは役に立つだろう。
つまり、戦力はそこそこあるのだ。
その朱蜻蛉がよっぽどの強敵じゃなければ、なんとかなると思う。ブラインの塔で出されていた課題でもやってきたことだ。
俺たちだって、伊達に訓練ばかりしてきたわけではない。
腕はあるのだ。
――そう思っていた時期が俺にもありました。




