356.メガネ君、秘術の訓練でつまずく
「――ああ、そうだそうだ! 魔力だよ、魔力!」
うん。
それ今俺が言いましたけどね。
すでに寝ていたリッセを叩き起こして、猫を貸し出すことを条件につべこべ言わず教えてもらったところ――
魔力だそうだ。
やはりリッセたちは最初は理屈の説明から入り、納得してから訓練に入ったそうだ。
まあそうだよね。
いきなり「壁を歩け」なんて言われても、できるわけがないよね。
ちなみに獣人の宿泊客が多いせいか、ペットはダメだが召喚獣なら同じベッドで寝てもいいそうだ。
召喚獣は、契約者の意識がうっすら召喚獣に伝わるため、逆に動物や魔物めいた動きをしなくなるんだとか。
ソリチカ教官も「似てくるらしい」とは言っていたけど、あの言葉にはもしかしたら「意識が伝わる」的な意味もあったのかもしれない。
……今日こそ一緒に寝られると思っていた猫は、連日でおあずけになってしまったが、まあ、その辺はさておきだ。
リッセから理屈を聞いてきたところ、とにかく魔力なんだそうだ。
「素養」は魔法である。
まず根底に考えるべきこと、だそうだ。
人に必ず備わっている「素養」とはなんなのか。
それを突き詰めると、「素養とは魔法ではないか」という答えが出た――というのが、先人の暗殺者の回答である。
それを前提に置くと、人間だれしもが魔術師であり、「素養」という魔法を使っている、という解釈となる。
――つまり、人間は誰もが魔力を持っている、という結論に至る。
まあ……その辺が本当なのかどうかはわからないが、少なくとも俺には魔力があるので、この辺の理屈は流していいだろう。
俺は「メガネ」の物理召喚を行うことができる。
そして物理召喚は魔法だから。
「――次に考えるのは、魔力とはなんぞや、ということだ」
リッセから聞いてきた「秘術について」の話を頭だけすると、ようやくワイズも若かりしかつてのことを思い出したようで、すらすら話し出した。
「いいかね? 魔力とは不可視の力である。
特性もなく、特徴もなく、色も匂いもなければ、触れることもできない。
そんな魔力に特性を与え、特徴を与え、色や匂いを付けるような変質をして体外に放出する……それが秘術の正体だ」
…………
魔力に、特性を与え、特徴を与え、色や匂いを付けるような変質をして、放出する……
「となると……魔力の力で張り付くんですか?」
「うむ。『壁に張り付く』という特性を与えた魔力で、壁に張り付き歩くのだ」
つまり、魔力を放出し、それを維持する必要があるわけか。
――試しに、魔力そのものを足に集中して放出しつつ、壁に足を掛けてみる…………が、やはりというか当然というか、全然張り付かない。
「放出量が一定ではないし、特性も与えられていない。それではただの魔力漏れだ」
だそうだ。
なら逆に言うと、魔力の放出量が一定でないといけないわけか。……自分では一定だと思っているんだけど、違うのか。
「ワイズ様。ほかに教えることがないなら、あとは一人で頑張りますので」
「ん、そうかね? では失礼しようかな」
うん、その方が助かる。
きっとワイズは、俺が一人の方が集中できるということがわかっているのだろう。
すんなり頷くと、
「――何かあったら声を掛けなさい。それまではもう口出ししないよ」
そう言い残し、部屋を出ていった。
……よし。
静まり返る何もない部屋で、俺は一人気合いを入れた。
「――エイルー? エイルー?」
ノックの音と、リッセの声がする。
窓から差し込む光は嫌でも視界に入り、とっくに夜が明けていることを突きつけてくる。
――……まいった。
疲れ果てて床に座り込んで呆然としていた俺は、本当に頭を抱えた。
朝が来た。
来てしまった。
つまり、一晩やって成果なし、だ。
一晩中やって、一つも進展しなかった。
ただの一回も足が壁に張り付くことはなかったし、ちょっと粘着した感じあったかなーくらいの進歩もなかった。
ただただ無駄に魔力を放出しすぎて、ただただ疲れ果てただけだ。
秘術の使い方はわかった。
訓練方法もわかった。
だが、何一つ、髪の毛一本分さえ進展がない。
やり方が悪い?
いや、ワイズはできている。ならばやり方が間違っているわけではない。
では、単に鍛錬が足りないのか?
それにしては進展が、成長がなさすぎるのが、すごく気になる。無駄なことをして時間を捨てているだけではないのか。そんな不安がどんどん大きくなっていく。
――大きく溜息をつき、立ち上がって扉を開けた。
「おはよ……うわ、疲れた顔」
うん。疲れてるからね。
徹夜も魔力の放出もそれなりに疲れるが、……一切の成長がなかったことこそが、一番効いている。
「なんか用?」
正直、今は誰とも話したくない。やるべきこともあるし。
「あ、うん。もうすぐ朝食が終わる時間だから、一応声を掛けとけって言われて」
朝食か……
あまり食欲はないが、食わずに弱り疲れた身体では、満足に秘術の訓練が続けられない。無理にでも腹に納めておかねば。
「わかった。すぐ行く」
「うん。というか、ちょっと休んだら?」
いや、時間がもったいない。
ワイズは一週間は同行すると言っていた。
七つの秘術すべてを納めた人の意見は、俺が七つとも納めるためには、きっと必要になると思う。
一週間で習得できる、なんて甘い考えは最初から持っていない。
だが、きっかけくらいは。
たとえ一歩でも習得に近づくことは、諦めきれない。
「行ってくる」
「あ、うん……」
朝食を食べ、気分転換に風呂に入り、少しだけ仮眠を取り――またあの部屋にこもった。
そして、ストゥララの街に滞在して、二日目の夜が過ぎた。
二日の徹夜を経ても、進展はなかった。




