346.メガネ君、獣人の国へ旅立つ
06/07日 修正しました。
「――少し似てくるらしい、という話は聞いたことがあるけど」
え、そうなんだ。
いや、そう考えたら納得できる気はするけど。
あれだけ狂暴で殺意と食欲に満ちていた灰塵猫が、人相が変わるほど穏やかになったのは、契約したことで俺に少し似たから、という説か。
でも俺に似たなら、人が寄ってきたら逃げると思うけどなぁ。……ちょっと昨日今日で野生を忘れすぎなんじゃないかな、あの猫。
そんな猫も好きだけど。
「――ところで名前はフィリスにするんだよね?」
「――しないです」
もうすぐ昼である。
調査隊に選んだメンバーが集まってきている食堂で、俺は偶然会ったソリチカ教官と雑談をして待っていた。
大帝国へ行って戻ってきた時の旅支度をそのまま持っていくだけなので、俺の準備はすぐに済んだのだ。
かなり早めに集合場所と定めた食堂に来たら、ソリチカ教官がいたのだ。
というか、偶然ではなかったのかもしれない。
猫関係でソリチカ教官はここで俺を待っていた、と考えた方が近そうだ。
ついさっきまで猫を呼んでソリチカ教官が戯れていたが、メンバーが集まり始めたので戻したところである。
「フィリスが行くなら私も一緒に行こうかな」
「ダメでしょ」
秘術の訓練の教官でもあるんだから、さすがに長期間は抜けられないはずだ。
今現在でも、訓練の途中って候補生もいるだろうし。
中途半端で投げ出しちゃダメだろ。
「じゃあ代わりにあの子を」
「絶対に拒否します」
もう邪神像 (真)はいい。
ただでさえ危険な場所に行くのに、無駄に心労なんて抱えたくない。
……そもそも関係者以外に、あの禍々しいフォルムが浮いたり赤く光を放つ様を見られたら、本当に邪教扱いされてしまうと思う。そして俺は狂信徒扱いされてしまうと思う。
いろんな意味で危険をはらんでいるのだ。絶対に持ち歩けない。
「――あれもダメ。これもダメ。君は私のお母さんか」
なんでうんざりって顔されてるのかわからないけど。そろそろ仕事に戻ればいいのに。
ソリチカと取り留めのない雑談をしつつ、さっきのことを思い出す。
――それにしても驚いた。
ハイドラが「自分の素養」を自ら明かした。
彼女の「素養」だけは、誰も見たことがなかったし、何ができるかはっきりしていなかったのだ。はっきりどころか噂さえ聞いたこともなかったし。
「圧潰膨裂」。
物質を「膨張」させたり、「縮小」させる「素養」か。
よく見ていないとわからない「素養」だし、彼女の性格からして「隠して使うやり方」も相当上手いんだと思うけど。
…………
いろんな意味で、ずいぶん思い切ったな。
――ハイドラは「俺の素養」を大きく見誤っている。
――そして、見誤っていることを承知の上で「間違った推測」を俺に述べた、と俺は思っている。
まず、「他人の素養が使える」と断じたこと。
正確には「劣化して使える」だ。
同じ意味のように思えるかもしれないが、実際は全然違う。完全再現できるか、似たようなことができるかでは、その価値は金貨と銀貨くらいの差がある。
次に、俺の「他人の素養を使う方法」に関して。
「俺のメガネ」は「素養の名前」と、「その素養に関するある程度の情報」が必要である。
強制情報開示を使えば「素養」だけは登録できるが、その場合は「どんな素養かわからない」というデメリットもある。
数秒あれば、強制情報開示しつつ「素養・鑑定」で、「素養の情報」も得られる。
それはともかく、「他人の素養を使う方法」だ。
これに関しては、「他人の素養を使う素養」を調べた結果だろう。
この辺の条件だけは、見ただけでは絶対に判明できない。
俺が大っぴらに「他人の素養」を使っていれば推測も立つかもしれないが、それはしていない。
なので、ハイドラには条件を割り出すだけの情報はないはずだ。
ゆえに、「他人の素養を再現する、俺のメガネに似たような素養」の条件をあてずっぽうで言ってみた、というのが俺の推測だ。
過去にあったらしいからね。「他者の素養を再現する素養」は。
「圧潰膨裂」なんて聞いたこともなかったけど、かなり「珍しい素養」なのだろう。
こうして考えると、彼女の読みは結構はずれているのだ。
俺は人目を盗んで「素養」の訓練などはしていたので、どこかで見られたりしていたとか。
あるいは、候補生内で噂が流れているとか、そういうのくらいはあるかもしれない。
――いずれにせよ、ハイドラに限ってあの雑な読みはない。
俺が知る彼女は、もっともっと危険だ。
警戒しすぎても足りないくらい危険な存在だ。
低く見積もっていると、すぐに頭を越えたり足元を掬ったりするような切れ者だと思っている。
だとすれば、むしろ考え方が逆。
「自分はこの程度しか把握してませんよ」と嘘の情報を伝えることで、本当に把握している範囲を誤魔化した。
俺としては、ハイドラが考えそうなのはこっちだと思う。
言動にまるっきりの嘘はないとは思う。
が、自分のカードを無条件で開くような奴ではない、とも思う。
――なんだかんだで貸しを押し付けられた、と考えた方がいいのかな。
まあ、「圧潰膨裂」自体は非常に使い勝手がよさそうなので、責める気持ちはあまり湧かないが。
でもいずれ来るであろう返済要請には要注意だ。
読み誤って彼女を低く認識していると、気が付いたらとんでもない厄介事を押し付けられ、巻き込まれていそうだ。
…………
暗殺者育成学校を卒業したら、速攻で消えてやろうかな。それもいいかもしれない。
調査隊のメンバーが集い、更に少し待っていると、ようやくワイズがやってきた。
「すまない、待たせた。では行こう……か?」
塔の扉を開け、冷たい外気と一緒にやってきた老紳士は――取っ組み合っている俺たちを見て眉をひそめた。
というか、取っ組み合っているのは俺とリッセだけだけど。
いや正確にはリッセだけだけど。
「ケンカかね?」
これから仕事だというのに何をしているんだ、と暗に語る不満げな表情である。
いや、ケンカじゃない。
……でも、ケンカに近くはある、か。
「お、お、お父様! 違うんです!」
義理ではあるが娘のセリエは、ワイズを失望させたことを察して抗議する。
「ケンカじゃなくて猫の名前です! 猫の名前で意見が分かれていて! だってエイル君が聞き分けのないことばかり言うから!」
おい待て。
聞き分けのないってなんだ。
「飼い主の俺が決めるって言ってるだけなんだけど。みんな勝手な名前で呼び出すから」
というか胸倉離せよリッセ。
……こういうの久しぶりでちょっと懐かしい気もするけど離せよ。
「猫の名前? ……クロウではダメなのかね?」
え、ワイズまさかの参戦?
ポロリと漏れた猫の名前候補に、今度はセリエがひどくがっかりした顔をする。
「……お父様、正気ですか? それはちょっとセンスがアレというか……」
「…………」
おいやめろ。ワイズがちょっと傷ついてる顔してる。
「やはりブルーローズしかないと思いますけど。綺麗な青い瞳の猫ちゃんですし」
「薔薇って感じではないと思う! それなら私のブルームーンの方があるでしょ!」
リッセ。この際主張するのは勝手にすればいいけど、胸倉を離せ。
「スパイスでいいだろ。猫だし」
一歩引いて堂々と言い放つベルジュに、同じく一歩引いているカロフェロンがぼそっと、しかし彼女にしてはすらすらっと呟いた。
「意味がわからない。調味料なんて嫌。ネクロがいい」
……とまあ、この惨状である。
どうしたらいいのかわからないって感じで所在なさげなリオダインが、ちょっと可愛そうなくらいだ。
というかなんで揉めるんだ。揉める理由があるのか。俺の猫だってのに。
――出発直前に起こった猫の名付け問題で険悪になったりしつつ、俺たちは獣人の国へ旅立つのだった。




