339.メガネ君、邪神像との再会
風呂に入ってしっかり休んだ翌日。
かなり早く目が覚めたが、「メガネ」があれば辺りが暗くても結構しっかり見えるので、狩場に行っても大丈夫だろう。
何より、狩場の情報をすでに入手しているというのもあるし。
知らない場所ならともかく、知っている場所に行くのだ。だったらまだ陽が昇らない朝早くでも問題なく動けるだろう。
それに、時間がないのは変わらないしね。
――今日中にどうにかできないようなら、すっぱり召喚魔法のことは諦め、しばらく触れないことにしよう。
召喚獣がいるのがベストだが、それが叶わないなら、次の手を打たねばならない。
本当に決して私利私欲ではなく、今召喚獣がいると、とても助かるのだ。
――できることなら猫がいい、というのは、ちょっとだけ私欲が入ってしまうけど。
狩りの準備をして部屋を出て、一階へ向かう。
朝が早いこともあり、食堂には誰もいない……いや、いた。意外な人物が。
「ソリチカ教官?」
がらがらのテーブルの一つに着き、お茶を飲んでいたソリチカ教官がいた。
意外な人物がいたものだ。
最近は確かめてなかったが、食生活に乏しい生活をしている彼女は、食堂にいることさえ珍しいのである。
ましてやテーブルに着いて飲食している、という光景は、もっと珍しい。
「待ってたよ」
そう言われた瞬間、なんとなく納得した。
そうか、彼女は俺を待っていたのか。
――俺の行動は確かにわかりやすいもんな。
昨日エヴァネスク教官に俺が相談した内容を聞いたのなら、至極近い内に次の行動に移るだろうことは容易に想像できる。
現にこうして、まだ暗い内からいそいそと出掛けようとしているわけだし。
そして待ち伏せされてしまったわけだし。
まあ、バレたところでって感じである。
もう教官にバレるのはどうでもいい。別に騙す気もないし。
「この子がどうしても会いたいって」
――出た。
――出たな。
正直、近い内に出してきそうだとは思っていたのだ。
「すみませんちょっと急いでるのでそういう話は後にしてください」
逸る気持ちが早口と早足に出ている気がするが、とにかく奴から早く逃げくそっ回りこまれたっ!
素早く外への扉へ急ぐ俺の前に、ふわりと小さな木像が躍り出てきた。
ついさっきまでソリチカ教官の手にあったはずなのに。
ピカッ――赤い目が怪しげに光る。
邪神像 (真)……まだ縁が切れないというのか……!
「召喚獣を捕まえに行くんでしょう?」
邪悪な木像に行き手を遮られた横から、のんびりソリチカ教官が歩いてきた。
「――手伝うよ。ワイズの頼み事に必要なんでしょう?」
あ、そう。
「これを渡しに来たわけじゃないんですね」
「そうだね。それはその子の意志で、私の用事はまた別。
というか、私の用事は教官側の総意だから」
……ああ、なるほど。
邪神像はともかく、召喚獣に関しては今度のワイズの頼み事に必要みたいだと、教官たちが相談したのか。
だから教官たちも手伝おうって話になったと。そんな感じか。
「こればかりは課題じゃないからね。私たちも全力でサポートする。できることは手伝うよ」
それはありがたい。拒む理由はない。
「じゃあお願いします。あまり時間がないので」
「うん」
よし、じゃあ早速行こう……
とは思うんだが。
邪神像が邪魔である。
俺の真正面に浮かんでいるもんだから。
正直、触りたくない。
ましてやどかす、振り払う、掴んで投げるなんて手荒なこともしたくない。下手な対応をしたら呪いでも掛けて来そうだし。
彼? 彼女? ……は、なんだか左右に揺れたり傾いだり、なんだかこう、落ち着きなくもじもじしている。時々ピカッと光り腕をうねうね動かし印を結びながら。……どことなくこちらをチラチラ見ている気がするが……
「――ほら、あの子がエイルの言葉を待ってるよ。早く迎えてあげなよ」
おい、何言ってるんだソリチカ教官。迎える気なんてあるものか。いや、ここで迎えたら本当に終わりなんじゃないか? 一生離れられなくなるんじゃないか? ……というかなんでワクワクした顔してるんだよ。見たことないニヤニヤ顔じゃないか。何を期待している。何を期待してる顔だそれは。
…………
でも……きっと、俺が何か言わないと、この場が収まることはないのだろう。
……なんて言えばいいんだよ。状況がわからないよ。
…………
わかったよ。
このままじゃ埒が明かないし、時間がないのも本当だし。この状況で誰かが来きた場合も面倒なことになりそうだし。
「……一緒に行く?」
嫌々ながら断腸の想いでした提案に――なんだと!? 胸に飛び込んできただと……!?
触りたくないし受け止める気もなかったのに、予想外すぎる突撃に対応ができなかった。小さな木像だけに軽く、ぽすっと胸に飛び込んできた。
「ひゅーひゅー。なかよしー」
殴りたい。
もう教官とかどうでもいい。ソリチカを殴りたい。
「ソリチカ。一発でいいから殴っていい?」
久しぶりのタメ口にも、露骨な敵意にも、不穏な提案にも全く意に介さず。
彼女はのんびりした動きで腰の後ろで手を組み、慇懃に大きく頷いた。
「ダメだね」
遊んでいても仕方ないので、とりあえずクロズハイトにやってきた。
なぜだか知らないが不吉極まりない懐き具合を見せる邪神像 (真)は、いつかのように革袋に納めてぶら下げている。――誰かすり取ってはくれないだろうか、と期待を込めて。
クロズハイトもまだ暗く、活動している人は限りなく少ない。できれば暗い内に決着をつけられればいいのだが。
「――狙いは決まってる?」
結構な速度で走りながら、狩場である近くの森へ向かう最中、ソリチカ教官がそんな質問をする。
「灰塵猫しかいないと思います」
クロズハイト周辺に棲む主な魔物は、食肉とされている魔豚と壊王馬。
人を襲う危険な魔物として認識されているのは、赤足蜘蛛、灰塵猫、そして金剛大猿である。
特に金剛大猿の強さは、ここら一帯では群を抜いているとか。
あとは目撃情報が極端に少なく、いるかどうかわからないが、妖精毒蛾、幻光兎、龍魚、空色蛇といった魔物の名前も上がる。
――ちなみに龍魚は狩ったことがある。おかげで暗殺者候補生としては〇点という成績を貰った。
俺はエヴァネスク教官が言っていた、召喚獣を呼ぶ三つの選択肢の中で、もっとも簡単でオーソドックスと言っていた「一」を採用した。
魔核を持つ生物――魔物との契約を交わす召喚魔法だ。
ブラインの塔周辺で探すのは諦めた。
塔自体に魔物避けの作用があるらしく、結構足を延ばさないと魔物を発見できないのだ。
そういう理由から、塔周辺の魔物との遭遇経験が少ない。実は何がいるかも把握できていないのだ。
それよりは、クロズハイト周辺の魔物の方が適していると判断したので、こちらへやってきた。
この辺に生息する魔物は知っているし、何度も金策の狩りをしている。
ここなら、深入りしなければ一人でもなんとかなると踏んでいた。
ソリチカ教官が一緒に来てくれるなら、なおさら何の問題もない。
「ふうん。灰塵猫ね」
別に「猫型だから選んだ」というわけではない。
言ってしまえば消去法である。
魔豚、壊王馬、金剛大猿は大きすぎるのだ。
たぶん俺の劣化召喚魔法では、あまり大きい魔物は御しきれないと思う。
赤足蜘蛛は群れで動くので、一匹だけ捕獲する、というのは難しいと思う。さすがに単独で群れと戦うのは危険だ。
予想外にソリチカ教官が付いてきてくれたものの、それでも無用なリスクを負う理由はないだろう。
――何より、ちょっと見た目が、人前に出しづらいというのも大きい。決して私利私欲ではなく、見た目も大事なポイントなのである。決して私利私欲ではなく。
となると――最後に残るのは灰塵猫ということになる。必然的に。仕方なく。手頃な大きさだし。決して俺の好みではなく消去法で導き出された答えとして。
灰塵猫は、見た目は大きな猫である。
もちろん遭遇したこともあるし、狩ったこともある。
毛はバサバサで堅いし、顔も凶悪で可愛いなんて微塵も思えないし、爪も鋭い。猫特有の身軽さと魔物の狂暴さを兼ねた、なかなかの強敵である。
でも、選べる中では、あれが一番だと思う。
――まあなんだかんだ理由はあるけど、とにかく猫だし。




