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337.メガネ君、ブラインの塔に戻ってきて





 転送魔法陣に入った瞬間、肌に触れる外気の変化に驚いた。


 ブラインの塔周辺の冬は厳しいと聞いていたけど――大帝国の冬も厳しいが、ここらの冬も負けないくらい寒くなりそうだ。


 その証拠に、魔法陣のある部屋から外へ出たら、すっかり銀世界だった。


 ここ数ヵ月、何度も見てきた景色。

 それがまるで別世界のように様変わりしていた。


 時刻は夕方のはずだが、もう陽が落ちていて暗い。


 いつから降っているのかわからない雪がちらつき一帯に積もり、しかしそんなの関係ないとばかりにどっしりとそびえる古ぼけた塔が一つ。


 一瞬別の場所かと錯覚を覚えるが……まあ、ふと彼方を見れば、ちゃんと巨大牛の歩く姿があって、別の場所であるわけがないと教えてくれたが。

 あの牛にとっては冬も何も関係なさそうだ。


「ワイズが到着し次第、獣人の国に行ってもらう。猶予は一日か二日、それくらいだろう。それまで好きに過ごせ」


 一緒に戻ってきたヨルゴ教官は、そんなことを言いながら、さっさと塔に引っ込んでしまった。


 ……好きに過ごせ、か。





 大帝国からクロズハイトに走る最中、ヨルゴ教官から聞いている。


 ――雪が降っていたらもう秘術の訓練が始まっている、と。


 この寒さとなれば、確かに外で訓練できる時間は短いだろう。もちろん活動も控えた方がいいと思う。雪を舐めてはいけない。


 なお、秘術の訓練は、時間を選ばないとか。

 候補生が望めば、いつでも好きな時に訓練ができるそうだ。


 そういう理由からだろう。

 もう夕方だというのに、塔の一階にある食堂には誰もいない。

 いつもなら誰かが夕食の準備をしていて、早めに訓練から上がった者は待っていてもいい頃なのに。


 ――まあ、そりゃそうか。


 ここにいる連中は俺も含めて、別に誰かと交流をしに来たわけじゃないからね。

 好きな時間に大切な訓練ができるというなら、何をおいてもそれを優先するだろう。


 何より、秘術の習得は、暗殺者育成学校の肝だ。

 むしろここからが本番と言える期間にようやく入ったのだから、そりゃ全員熱も入るというものだろう。


 この分だと、料理当番なんかも、もう決めていないかもしれない。

 各自勝手に食事を取るとか、そういう感じになっているのかな。


 ……それはそれでちょっと寂しい気もするな。


 俺は基本的に一人で食べていたけど。

 でも、みんながなごやかに食事をしている楽しそうな景色は、嫌いではなかったのかもしれない。


 あんまり意識したことはなかったけど、もうあの景色が見られなくて寂しいと思うなら、そういうことなのだろう。


 ……あ。


「――お、エイル。戻ってきたのか」


 無人の食堂を眺めている時に上階から降りてきたのは、ベルジュだった。相変わらず大きい男である。


「今戻ったよ。君は? 食事当番?」


「いや、当番制は廃止だ。三度の飯は俺が趣味で作っている」


 あ、やっぱり料理当番は終わったのか。そしてベルジュが専属になっていると。本当にぶれない奴だ。


「おまえも食うか? 俺も飯が終わったらまた――ああ、秘術の訓練が始まったんだ。飯が終わったら俺はまた訓練に行くつもりだ」


 ああ、やっぱりそんな感じなのか。




 ベルジュと一緒に食事を作りながら、ここ最近はじまったという秘術の訓練について聞いてみた。


 ちなみに作るメニューは、朝作って晩まで食べるスープのみに固定してあり、来た者が勝手によそって食べているそうだ。あとは買い置きの堅パンだ。


 そしてそれが許せないベルジュが、自分と希望者の分だけ別に作る、という感じになっているらしい。今日は五人分だ。俺を入れて六人分となる。


 なお、作るメニューはパスタで、今はソースのために野菜と肉を刻んでいる。何味なのか現時点ではちょっとわからないな。


「大帝国はどうだった?」


「寒かった。でもこっちもすっかり寒くなったね。あ、お土産があるよ。あとで渡すね」


 ベルジュならソバのうまい食べ方も知っているだろう。

 まあ、知らないなら知らないでどうとでも……あ、そういえば、こいつも竜人族の里に行くメンバーだったか。


 でも俺から話すのもアレなので、ヨルゴ教官か――もしくはすぐにやってくるだろうワイズに説明を任せた方がいいんだろうか。

 俺から話すより手早く正確に話せそうな気がするし。


 ……いや、待て。


 現地で主導が俺になるなら、他人事みたいな顔はよくないかもな。


「秘術の訓練はどう?」


「まだ何も掴めない。だがやるしかないだろう」


 そうだね。やるしかないよね。


「――追々話が来ると思うけど、すぐに竜人族の里に一緒に行くことになりそうだよ」


「は? 竜人族の里?」


 そりゃ聞き返すよね。

 寝耳に水ってくらい予想外のことだもんね。


 俺も満を持してワイズに会い、呼び出した理由を聞いた時は、まったく耳に入らなくて聞きなおしたよ。


「詳細は教官が話すと思う」


「ふうん……おまえも行くのか?」


 頷くと、ベルジュは「エイルはなんだか忙しいな」と、俺も思っていることを口走った。


 馬車襲撃事件から大帝国へ行き。

 大帝国からブラインの塔に帰ってきたのが今現在で、これからすぐに竜人族の里へ行くわけだ。


 確かに忙しい。俺自身もそう思うよ。


 ただ、今度の竜人族の里行きは、行ったらそこそこ長期に渡りそうな感じだけど。


 長ければ来年の春までだ。

 そして俺は、その「長期滞在」を狙おうと思っているから。


「竜人族の里か。こんなに早く行くことになるとはな」


「そういえば、行きたがってたって聞いたけど」


「ああ」


 ベルジュはトントントントンと慣れた手つきで野菜を刻みながら、強い眼差しで俺を見た。


「――竜人族の里の周りにはドラゴンが棲んでいるそうだ。俺はいつかドラゴンを食ってみたいと思っていた」


 …………


 本当にぶれないな、こいつ。





 夕食を作っている間に戻ってくる者はいなかった。


 ベルジュと差し向かいで食事をし、土産 (ソバの乾麺、シュレン用のだけ高いやつ)をまとめて渡して別れた。


 今回も、相当強引で無理を強いた走りでの移動だった。

 風呂に入って一晩ゆっくり休みたいところだが――休む前にやることがあるんだよな。


 俺は荷物を持ったままブラインの塔を登り、立ち入り禁止と言われてい三階を更に登り、四階へ向かう。


 えっと……確か五階が教官たちの私室って聞いたんだけどな……


「――お帰り」


 あ、来た。

 振り返れば、別れた時と変わらないソリチカ教官がいた。まあ二週間くらいでは大して変わらないか。


 候補生が立ち入り禁止と言われるこの辺まで来れば、教官の誰かが迎えに来ると思っていた。

 案の定、どこから来たのかわからない背後(・・)から、彼女は声を掛けてきた。


 階段を登り切ったところで、である。

 つまり彼女は、俺が今来た階段を登ってきたはずなのだが――そんな気配も足音もなかった。


 ……神出鬼没を突っ込むのも今更だ。もはやこの程度で驚くこともない。


「ただいま戻りました。諸々の詳細はヨルゴ教官に聞いてください」


「そうする。――それで? エイルはここに何の用? 秘術の訓練がしたいの?」


 大変魅力的な質問だが、それは今はあえてパスする。


 俺の用事は別にある。





「――エヴァネスク教官に相談があって。呼んでいただけませんか?」


 今何よりも優先するべきことは、召喚魔法についてである。





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