313.メガネ君、考え至る、悪魔的閃き――
「……」
思わず息を飲んだ。
これはまさに……まさに「疲れたおっさんのような顔をしたキツネ」である。
――肉への信頼が揺らいだ海老の天ぷらの衝撃から、一晩明け。
夕食後に軽く身体を動かして、あの怖い部屋で就寝し、翌日の早朝である。
雪は止んでいるが、冬空と呼ぶに相応しい空一面に灰色の雲が広がっている。この分だと今日も降るかもしれない。
マヨイたちと約束したのは、「早朝、西門で待ち合わせ」である。
太陽が見えないので詳しい時間はわからないが、まだ薄暗い頃で、往来にも人はまばらだった。遅い時間ということはないだろう。
そして、待ち合わせ場所にやってきた俺が見たのは、結局昨日は来ることがなかった西門――粉雪亭の支配人が言っていた例のキツネである。
額に宝石の付いた、本当に疲れたおっさんのような顔をしたキツネがいた。
いや、顔というか、目か。
目がこう、つまらない冗談を聞いた時のようにじとっとしているせいで、全体的に覇気のなさすぎる顔となっている。
たぶん姉の愚行を見た時の俺は、こんな顔になっていると思う。
かわいい、かな……?
…………
その表現には頷くことはできないが、「可愛くないところが可愛い」という表現は、わからなくはない。なんとなくだけど。
「触ってもいい? 噛むかな?」
門番の軍人に聞くと、
「そいつは変わり者でな。ハードルが高いぞ」
ハードル?
まあ、とりあえず、座り込んで遠くを見ているおっさん顔のキツネに手を伸ばす、と……あ、普通に触れた。キツネは遠くを見たまま、反応なく撫でられ続けている。
「な? ハードル高いだろ?」
ハードルって……あ、そうか。
噛むのは親愛の証だけど、それがなかった。
この反応を見るに、確かに友好的な態度ではない。だって見向きもしないからね。
聞けば、一般人には触らせもしないそうだから、俺のことは「触ってもいいけどそれ以上はちょっと……」みたいな認識みたいだ。
召喚獣か。
強い人に反応するって話だけど、いったいどこで見分けているんだろう。不思議な存在だな。
こうして見る限り、そして触れる限り、生物にしか思えないんだけど……厳密には生物ではないのかな?
ちゃんと呼吸しているし、血も巡っていると思うんだけど……
「エイルさん」
おっさん顔のキツネを通して召喚獣という存在のことを考えていると、見るからに冒険者って格好のアロファがやってきた。
「おはよう。……元は冒険者なの?」
よく見る形の革鎧にショートソードを吊るという、わかりやすい冒険者的な軽装である。
異様なのが、両手に装着したごつい金属製の籠手である。
明らかに手の防御だけ装甲が厚い格好だ。
「ええ。私は『魔獣使い』という『素養』を持っているので」
あ、さらっと話したな。
普通は「自身の素養」のことなんて話すものじゃないんだけど。
「こう、手で捕まえて、そしてゆっくりモノにするんです。私は魔物でも猫ちゃんなら全然受け入れますからね!」
なるほど。
猫型の魔物を捕まえるための籠手なのか。
そして猫型の魔物を捕まえるために、冒険者としての研鑽も積んだ、と。
……見た感じ、そんなに腕が立ちそうだとは思わないけど、猫型を捕まえるための技術があるなら、生き残る技術なども高そうだ。
きっと、強いばかりが冒険者じゃないって方向性に進んでいるのだろう。
「召喚獣もいいですよね」
遠くを見つめたままのおっさん顔のキツネに手を伸ばす。
……あ、反応はないけど受け入れるってことは、やはりアロファもそれなりにできるってことか。
「私も召喚魔法が使えたら、いつでもどこでも猫ちゃんを呼べるのになぁ」
……っ!!!!!
その閃きに身体が震えた。
その衝撃に心が震えた。
そ、それだ……それだ!!
召喚魔法で猫を呼べば、夢の猫がいる生活が手に入るってことだ!!
きっと「メガネ」で「視れ」ば、召喚魔法も登録できるだろう。
最初にある最大の困難である「召喚魔法を使えるか否か」を「メガネの特性」でパスできる以上、夢の生活はほぼ目前にあると思っていいはずだ。
いつでも好きな時に猫を呼べる。
言い方はアレだが、邪魔になれば戻せばいい。
召喚獣の猫さえ手に入れば、いろんな夢が叶う! 今すぐにでも!
――となれば、今はとにかく「召喚魔法」について詳しく知る必要がある。
誰を「視れ」ばいいか。
どうやって獣を呼べばいいのか。
呼べる獣の中に猫はいるのか、いないのか。
仮に猫じゃなくても、動物であれば受け入れられる気はする。
もちろん猫なら――アサンのような砂漠豹なら嬉しいが、高望みする気はない。キツネも可愛いと思うし。
まあ、とにかくだ。
この閃きのおかげで、大帝国で過ごす日々に、俄然やる気が湧いてきた。
――奇しくもこの閃きが、人生最大の困難とも言うべき大きな壁にぶち当たるのだが、今の俺が知ることはない。
「このキツネとか、召喚魔法についてとか、詳しい?」
まずはアロファに聞き込みからだ。
俺は大帝国で、必ず召喚魔法を手に入れてみせる。
アロファから話を聞いていると、マヨイとその上司が馬車に乗ってやってきた。
「やあ、こんにちは。アロファさん久しぶり」
御者席に並んで座る二人。
マヨイの隣にいる、キツネに負けないくらい疲れた顔をしたおっさんが、軍帽を上げて挨拶してきた。
キツネと同じくらい覇気のない目で、おっさんは俺を見降ろしている。
「上からごめんね、エイル君。俺はキーロ・フルスバイト。舞鶴の直近の上役だね。これから数日よろしく」
歳は四十前後くらいだと思う。軍服の詰襟の第一ボタンをはずしていて、非常にだらしない雰囲気がある。
長身だが背中を丸めていて、細長い手足が特徴的な、痩せ型のおっさんである。
「よろしく……お願いします」
まったく似てないが、ふとヨルゴ教官と重なって見えたので、口調に気を付けつつ俺も挨拶を返した。
「じゃあ舞鶴、しばらく馬車よろしくね。俺は若者たちと楽しくおしゃべりしてるから」
「了解しました。――二人とも乗ってくれ」
えっと、確か西の開拓村に行くって話だよな。
でもって、移動にはこの馬車を使うってことか。
キーロのおっさんが言う「楽しくおしゃべり」ってのも、これからの段取りを付けるって意味だろう。
お互いの「素養」に関しては話さないまでも、何がどうできるのかくらいは、ちゃんと話し合っておかないとまずいだろう。
――召喚関係の情報収集も含めて、最低限の話し合いは必須である。
「これからよろしくお願いします。――エイルさんも、流れでこんな感じになりましたが、よろしくお願いします」
はい、こちらこそよろしく。
――アロファが丁寧に頭を下げ、俺たちは馬車に乗り込んだ。
こうして、左右を守る門番の兵士二人に敬礼で見送られ、一時ネルイッツの街を離れるのだった。




