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310.メガネ君、自ら首を突っ込む





「ほら、困ってるじゃないですか」


 そうだ困ってるんだぞ。

 もっと言ってやれ。


「困っているというか、一切こっちを見ないな。なかなか見事な拒絶の意ではある」


 わかっているなら話しかけるな。

 今は猫で忙しいんだから。


 そもそも膝の上に猫 (それも二匹!)も乗っているので、動くに動けない。

 普段であれば、迷惑な人が絡んでくるならばさっさと店を出るか、あるいは席を変えてもらうところだが――あ。


「すいません、この人遠くの席に移してくれませんか?」


 そうだ。

 俺が動けないなら、向こうを動かせばいいのだ。


 隣接する軍人の少女と、頑なに猫を愛でる俺。

 二人の境界線のほぼ中央向かいに立っている給仕の女性に、クレーム的な注文を入れてみた。


「あ、そうですねー。マヨイさん向こうのテーブルに――」


「嫌だ! 猫ちゃんから遠ざかるのは嫌だ! ここは私専用の特等席だ!」


「知りませんよ……」


 まったくだ。


「おい、そこのメガネの少年。さすがに一人で猫ちゃん四人は侍らせすぎだろう。少しこっちに回してもいいのではないか?」


「もう一匹いるでしょ」


 さすがにもう無視がつらくなったので……いや、違う。


 同じ猫好きとしてちょっと可哀そうだと思ってしまったので、俺は振り向かずそんな返事をした。


 そう、猫は五匹だ。まだいる。


 壁に設置された段差の上で店内を見下ろしている、端正な顔立ちの猫だ。色合いは違うが、毛皮の柄が一番アサンに似ている。えっと……ヒョウ柄って言えばいいのかな?


「……ふざけるなよ……!!」


 だがしかし、俺の言葉への返答はは腹の底からひねり出したかのような怒りに震える言葉だった。


「ヒョウちゃんはそなたしか見ていないではないか! 私には目もくれず! そなたに興味津々ではないか! こんな残酷な現実を突きつけて楽しいのか!」


 ……そうだね。振り返れば見てるね、俺を。ずっと見下ろしてるね。


 これは軍人が怒ってもしょうがないところがあるかもしれない。でも俺も膝と回りの猫に集中していて後ろ向きだったから、段差の猫がずっと俺を見てるとは思わなかったんだよ……あんなに食い入るように見ているとは本当に思わなかったよ。


「いいか少年。ここの猫ちゃんたちは私のお金でこれまで生きてきたのだ。私がどれだけこの店に注ぎ込んだか知っているのか? いいや知るまい」


 そりゃ知らないですよ。

 初めてきた店なんだから。


「――マヨイさん、お金のことを言うのは違うと思うなぁ。そういう生々しい話は猫ちゃんの前ではするべきじゃないと思うなぁ」


「お金だけ出してればそれでいいって考え、どうかと思うけど。お金だけ出してあとはまったく構わない、お金ですべて解決しようなんて、無責任に子供を作りまくる性質の悪い貴族みたいだね」


「――おい少年」


「構わないのは結果的にそうなっているだけだ! というか構いたくてお金を出しているのにこの様だ! ああそうだ、お金の力だ! 私が私のお金で猫ちゃんの愛情を買おうとして何が悪い! ここはそういう店ではないか! 猫ちゃんの愛情を買う店ではないか!」


「――マヨイさんだからお金の話は」


「そういう性根が猫に嫌われる原因なんじゃないかな」


「――おい少年。おい。わかってて煽ってます?」


「嫌われてない! 私は猫ちゃんに嫌われてない!」


「――……」


「アロファ!? なぜ何も言わない!? ここで黙るのは逆に言葉の刃傷沙汰だぞ!?」


「――まあ、ちょっとそういう、多面的に見た結果、そういう解釈もできる……かなぁって」


「なん、だと……!?」


「この子たちは君のお金より愛情に飢えているんじゃないかな」


「――ちょっと少年。愛情は私が注いでるから」


「いいかげんにしろよ新参者! 誰のお金で猫ちゃんたちがここまで育ってきたと思っている!」


「もう恩着せがましいお金の話はいいよ。この子たちは俺が育てるから」


「――あ、なーんだ。二人とも出禁にしてほしかったんですね?」


「「ごめんなさい」」


 それは嫌だ。絶対に嫌だ。





 なんかよくわからないが、口ゲンカになってしまった。


 たぶん、好きなものでぶつかった結果だ。

 俺自身も、自分にこういう若干熱くなる一面があったことに驚いている。まあ若干だが。


「――たまにいるんですけどね。猫ちゃんの取り合いとか、触れ方とか、構い方で衝突するお客さんって」


 給仕の女性――二十半ばでこの店の店長であるアロファは、ほかに客もいないせいか軍人の少女の向かいの椅子に座った。


「そうなのか? 私は一度もないが」


 妥協点を提示した結果、とりあえずケンカはなくなった軍人の少女――マヨイ・マイヅル。


 俺より一歳年上で、上背も高い。

 店に入ってもかぶりっぱなしの軍帽。その下にある涼しげで凛々しい横顔。長い黒髪とどこまでも深い黒い瞳は、どこか品の良さを感じさせる。


 女性の大帝国軍人は、彼女が初見である。

 よく見たら下は翠色のスカートで、薄手の黒いズボン……タイツみたいなものを穿いている。男は細身のズボンだったはずだ。女性とは異なる制服になっているらしい。


 そんな彼女は、俺のすぐ隣にいて、俺の膝の上の猫を撫でている。


 だいぶ近いし鬱陶しいとは思うが、同じ猫好きだと思えば、我慢できないこともない。

 というか、猫と触れ合える喫茶店で猫が寄ってこないとか、さすがに本当に可哀そうだと思ったから。


 でもマヨイに触られて猫が嫌がっている素振りもないので、猫が俺に集まってきたのもただの気まぐれだったりするのかもしれないね。だって猫って気まぐれだし。


 「出禁」という恐ろしい文句に怯え謝罪した俺たちは、一応打ち解けたものと見なされ、自己紹介をした。


 俺は正直打ち解けたなんてまったく思っていないしただただ猫と戯れたい、無責任に愛でたいだけだが。

 それこそ「出禁」が怖いので、大人しく従うことにした。


「そりゃ大帝国軍人とは揉めたくないですからね。斬られちゃうし」


「無法者のように言うな、アロファ。揉めたくらいで斬るものか。……まあ、斬るのが嫌いとは言わんが」


 うーん……


 馬車襲撃事件で遭遇したカルシュオク・シェーラーも、昨夜この街に来た時に会った門番も、このマヨイも。


 なんというか、強者の気配がすごい。

 好戦的で、常に闘志が漲っているというか。即座に命の取り合いができるであろう、腹に力の入った状態を保っているというか。


 彼女も相当強いと思う。

 見る限りでは、リッセ辺りといい勝負するんじゃなかろうか。だとすればかなりのものだ。


「エイルは冒険者か? どこから来たのだ?」


「南の方から。冒険者、みたいなものかな」


「ほう。みたいなもの、か。……まあ、話したくないなら無理には聞かんが」


 と、マヨイはお茶を一口すすった。


「――そなたは強いな。随分鍛えられている」


 ……なるほど。


 俺でも引くほど猫に狂うマヨイは、猫が絡まなければ……というか猫欲が満たされていれば、結構まともなのかもしれない。


 聞きたいけど聞かない、という気遣いがちゃんと感じられる。


「冒険者みたいなものと言ったが、冒険者の仕事はするのか?」


「内容によるかな。何かあるの?」


「うむ。実は協力者を探している」


 協力者?


「あ、俺そういうのやってないです」


「ん? そ、そうか……話す前に断られてしまうのであれば、何も言えんな……」


 おお、回避できた。

 なんだ、この人意外と常識人か。


 王都ではライラ、ハイディーガではリッセ、ブラインの塔ではハイドラと。

 こういう流れで来た厄介事はことごとく断り切れなかったのに、今回はなんとか触れることなく済みそうだ。


 ただ、まあ――




「この店の存続に関わる話なのだが、まあ仕方ない――」


「詳しく聞こうか」


 ――自ら首を突っ込むことになるとは、思いもよらなかったのだが。






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