300.メガネ君、愛憎物語を見る
リッセがトラゥウルルをお持ち帰りするのを、心によぎる一抹の不安とともに見送り。
彼女たちが開いたささやかな酒宴の後を片づけて待っていると、教官たちがやってきた。
やはり三人で来たか……
三人とも注目していて、多大な関心を向けているということだ。今回の疑惑の一件がどれほど重いものと認識されているかが伺える。
「――ここまでの流れを大まかに振り返る」
無言でテーブルに着く三人の中、ヨルゴ教官がいきなり本題……の、おさらいに入った。
「我々の代表であり頭領でもあるワイズ・リーヴァントより、エイル、貴様を指定の場所に連れてこいという内容の手紙が届いた。
理由は書いていない。
だが、これまでに前例のなかったこと故、それ相応の理由があることは想像に難くない」
うん、相応の理由があると俺も思う。
どうでもいいことや些細なことなら、教官たちが代行すればいいのだから。
だが、俺が行かなければならないとなると……
誰かに会わせたいのか。
それとも。ワイズが会うために都合のいい場所を指定されたか、かな。
「ちなみに我々は、貴様の背信行為……いわゆる裏切りがあったのではないかとも疑っている。
心当たりがなければ不本意かもしれんが、今更隠すほどのこともあるまい」
裏切りがあるのではないか、とも、疑っている。
つまり可能性の一つとしてそれは外せない、と。
たとえ見張りを付けて監視しているとしても。
まあ、昼に余計な置き土産を残していったソリチカ教官から、その辺の疑惑に関しては事前に聞いていた。
なので本当に今更って感じである。
疑ってませんよーって顔してるけど裏では疑われるか、疑ってますよーと宣言して露骨に疑われるか、程度の差である。
背信行為も裏切りもしていないので、別にどっちでもいいです。
「――エイル。ソリチカ教官から聞いたけれど、本当に何もないのね?」
それも昼に聞かれたが、エヴァネスク教官に改めて質問される。
「ないですね」
もちろん、俺の返事は変わらない。
改めて聞かれたって事実が変わるわけがない。
「わかった。では今後の話をしましょう」
……あ、そうか。
なんか話が早いと思ったけど、拒否権は絶対ないってことだね。
「付き合ってくれる?」とか「一緒に来てくれるか?」とか、そういう質問を省いたから早かったんだね。
お世話になっている組織のトップの指示だもんな。そりゃ俺に拒否権なんてないか。
――今後のことに関して少しだけ打ち合わせし、解散となった。
なお、返そうと思っていた邪神像 (真)は「そのまま持っていろ」と言われて、結局お別れできないまま部屋に連れて帰ることになった。
リッセはトラゥウルルをお持ち帰りし、俺は邪神像 (真)をお持ち帰りしました。
……しばらく気が休まらない日々が続きそうだ。
出発は数日後。
行き先は、大帝国。
彼の国とは、先日の馬車襲撃事件からなんだか縁があるようだ。
「――冬の大帝国はクロズハイトより寒いから、ちゃんと冬支度をしておきなさい」
というエヴァネスク教官の言葉もあり、出発までの数日で整えておくことにする。
ハイドラの用事から帰って早々、すぐに次の予定が入るとは……いったいなんなんだろう。
――という思いを抱きつつ、邪神像 (真)に見守られながら夜は更けるのだった。
「……おはよう」
旅の疲れはすっかり癒えたが、新たな心労に挨拶する。
寝て起きたらそこに邪神像 (真)。
枕の傍らに邪神像 (真)。
こんな寝覚めの悪いものはない。
…………
今日も浮いてるなぁ。光ってるなぁ目が。そしてこっち見てるなぁ。
――まあいい。気にし過ぎたら胃が痛くなりそうなので、真剣かつまともに受け止めるのはやめよう。
とりあえず朝の支度をして、飯を食おう。
昨日の夜と同じように、邪神像 (真)には袋の中に入ってもらい、腰にぶら下げておく。……呪われて外せなくなるのではないか、という恐怖を飲み込みつつ。
教官たちの監視でもあるが、俺の潔白を晴らすためでもある。
現状では俺のための見張りでもあるので、我慢して常に持ち歩くことにしよう。
まあ、どうせ出発までの辛抱だしね。
出発すれば教官がずっと付き添うんだから、監視は必要なくなるし。
呪いのアイテム(っぽいもの)を身に付けて部屋を出ると、廊下の先に真っ白で巨大な毛玉が目に入った。
シロカェロロだ。
彼女も今しがた、狼型のまま器用に扉を開けて部屋から出てきたようで、特に俺を振り返ることもなく階段へと向かう。
彼女が人の気配に気付かないとは思えないので、特に俺に構う必要なしという判断だろう。……そう考えると、狼の方が楽だという彼女の気持ちもわからなくはない。面倒臭い問答とか面倒臭いからね。
追い駆けるわけでもないが、向かう先が同じなのでシロカェロロについていくかのように移動し――すぐ近くの扉が開いた。
「お? おう、エイルか。おはようさん」
「おはよう」
出てきたのはフロランタンだった。彼女も今から下に降りるのだろう。生活サイクルがほぼ同じだから、朝とかたまに誰かと会うんだよね。
「なあ、昨日ベルジュが……」
何か言いかけたフロランタンの言葉は尻すぼみに消え――くわっと目を見開いた。
「シロがおる! シロー!!」
彼女は廊下の先に見た白い毛玉に向かって走っていった。――フロランタンは今日も元気だなぁ。
さすがに声を掛けられたからか、シロカェロロは立ち止まって振り返った。
そして――
ドッ
「…っ!?」
強かに肉を打つ音を発て、シロカェロロは吹っ飛んだ。
わーと突撃してきたフロランタンに跳ね飛ばされたのだ。
なんか既視感がある光景だと思えば、昨日孤児院に帰ってきた時に、子供たちに突撃されたアレと状況は一緒である。
きっと、シロカェロロもあの時と同じように、堂々と受け止めようとしたのだろう。
大きさも然ることながら、結構がっしりしてるからね。
ただ、そこの大きな子供の突撃は、威力が段違いだっただけで。
「かわいいのう! かわいいのう!」
横倒しにされ、頭だけ起こしてすごいびっくりした顔で固まるシロカェロロは、すごい勢いでフロランタンに撫で回された。胸毛だってまさぐりまくりだ!
今なら俺もあの胸毛に触れるんじゃないか。
シロカェロロが呆けている今なら、いけるんじゃないか。
手が届くのではないか。
そう思った時だった。
「――にゃぁぁぁ」
「――ちょ、歩きづらいって、もう」
またしても手近な扉が開き、二人の女子が出てきた。
昨日お持ち帰りされたトラゥウルルと、リッセだった。
というかリッセの部屋だね。
トラゥウルルは喉を鳴らしながらいつになくべったりとリッセの腕に絡みつき、リッセは文句を言いつつも満更でもない顔である。
どうやら昨夜はお楽しみだったようだ。
どうでもいいけど。
しかし、俺以外のメンツは、決してどうでもよくはなかったらしい。
「あっ」
「あっ」
「あっ」
三人の少女は凍り付いた。
シロカェロロを強引に押し倒して胸毛をまさぐっていた現場を見られたフロランタン。
違う女の部屋で一晩を過ごしたトラゥウルル。
二人の仲にわずかに入った亀裂に割り込み、付け込んだリッセ。
「な、な、な、なんでリッセの部屋から出てくるんじゃ!?」
「それよりフロランタンは何やってるの!? やっぱりわたしより胸毛がいいの!?」
なんというか……なんだろう。
恋人同士がお互いに浮気がバレた瞬間とか、そういう風にとらえればいいのだろうか。
「そ、そんなわけあるかい! この胸毛とは遊びじゃけぇ! 遊びならカウントされんけぇ!」
未だびっくりして固まっているシロカェロロの被害者っぷりである。ひどい言い草だ。
「遊びって何!? じゃあわたしとも遊びなんじゃないの!? そんなの――」
「――待って!」
醜い言い争いが始まろうとしたその時、フロランタンに詰め寄ろうとしたトラゥウルルの腕を、リッセがキリッとした顔で掴んだ。
「やめなよウルル! ウルルを傷つけるだけのあんな奴! 私は胸毛に惑わされない! 私はウルルだけだよ!」
ハッと息を飲むトラゥウルルは、「リ、リッセ……」と甘い声で呟く。どこからともなくキュンという妙な音が聞こえてきそうだ。
「なんじゃこらぁ! リッセこらぁ! この泥棒猫がぁ!」
「にゃー! 猫はわたしなんだけど!」
「フロランタンはウルルに相応しくない! 私の方がずっとずっとウルルのこと猫扱いしてるんだから!」
なんてことだ。
まさかこのブラインの塔で、こんなただれた人間関係が構築されてしまうとは。
突如現れた美しい胸毛に惑わされたフロランタン。
そんな彼女に傷心のトラゥウルル。
隙を突いて台頭したリッセ。
あと完全に被害者のシロカェロロ。
こんな愛憎にまみれた四角関係ができあがるなんて、誰が想像しただろう。
――まあ、どうでもいいけど。
「もうすぐ朝食だから程々にね」
「「うん」」
俺が言うと、三人は素直に頷いた。――三人ともチラチラこっち見てたし、やっぱりどこか良きところで止めてほしかったんだね。
つまり全部遊びってことだ。
うちの女子たちは仲がいいなぁ。
「――」
「――」
「――」
もう少しだけ愛憎物語を続けたいようで、言い合いが再開した。
でも俺はもう無視して、階下に――おっと。
「だいじょうぶ?」
言い合い現場を背にし、固まったままのシロカェロロの目の前で手を振ると、彼女はハッと息を飲んで正気に戻った。
『な、何が起こったのです? まさか私が目算を誤ったのですか?』
あ、念話で話しかけてきた。まだちょっと動揺しているようで、きょろきょろしているけど。
「有体に言えばそうだろうね」
シロカェロロはフロランタンの力を見誤ったのだ。
でもそれに関しては仕方ないと思うけど。
彼女はまだ新入りだから、誰がどんな「素養」を持つか、まだ把握していないのだろう。
「怪我はない?」
『……生憎毛皮が分厚いもので、怪我も痛みもありませんね。とにかく驚きましたが』
まあ、そりゃ驚くだろうね。
フロランタンの「素養」は、知らなかったら見た目と全てが比例しない不可解現象だからね。
彼女は立ち上がりと、ブルブルと身体を震わせた。犬っぽい。
『まったく……ものすごい勢いで胸毛を撫で回されました。なぜ皆私の胸毛を執拗に見たり、手を伸ばしたりしてくるのか』
理解に苦しみますね、と言い放つ彼女に、俺はその答えを告げた。
「男も女も胸毛が好きだからだよ。男らしさの象徴だから男はみんな胸毛を生やしたいと願うものだし、女性も男性の逞しい胸毛に触れたいものだから」
『…………』
「だから触りたいと願うのは仕方ないと思う。フロランタンも胸毛への憧れが止まらなかったんだよ。無理やり触るのはアレだと思うけど、でも思うことだけは許してほしい」
『……なるほど。人間とはそういうものなのですね。一つ勉強になりました』
うん、納得してくれたようだ。
「ところで俺もその胸毛に」
『ダメですね。思うだけにしてください』
……ダメか。残念だ。とても残念だ。




