291.それぞれの今 3
「「――わー」」
ドッ
狼型のシロカェロロを見た瞬間、子供たちが彼女の脇腹に激突した。
なかなか大きな肉を打つ鈍い音がしたが……まあ、変化もなく堂々としたものである。
子供たちが抱き着いたり乗ったり抱き着いたりシッポを掴まれたり抱き着いたり耳を掴まれたり首周りの皮をむぎゅーっと顔に寄せて集められて潰れたパンみたいな顔にされて抱き着かれたりという過剰ないじられ方をしても、堂々としたものである。
「……あれはいいのか」
その姿にひやっとしたのは、まだ女装中のエイルである。
身じろぎもせず、嫌がる素振りさえ見せないシロカェロロの姿にほっとする。
「まさか子供相手に噛み千切るとでも思った?」
そんなハイドラの指摘は、図星であった。
片っ端から子供たちを噛み千切るのではないかと心配したが――元は獣人なので、それこそ子供相手に噛み千切るようなことをするはずがない。野生の獣ではないのだから。
「顔がすごいことになってるけど、あれもいいの?」
「確かにすごいわね」
長毛種の大型なだけに、青い目が隠れるほど皮が寄せて集められていて、原型が黒い鼻の先くらいしかない。
そんなとても愉快な顔になっているが。
「怒ってはいないんじゃないですか?」
セリエはそう言うが……いや、確かにその通りかもしれない。
子供数人に掴まれているシッポがビクンビクンしているので、どうやら振れているようだ。あんな顔にされても機嫌は悪くなさそうだ。
――今日も朝から、孤児院の子供たちは元気である。
クロズハイトに到着する前から、ゼットの盗賊団には解散の合図が出ていた。
荷の分配は終わり、部下たちに分け前も出ているはずだ。
その後はそれぞれの用事があるため、早めに解散して違う仕事に掛かる者もいたり、あそこまで行ったからと大帝国まで足を伸ばすという者もいたり。
もちろんクロズハイトに帰ってくる者も多かった。
エイルたちはまだ報酬を受け取っていないが、それよりも優先して、早めに別れるための別行動を取りたかった。
だからコードらから一足先に戻ってきたのだ。
報酬はあとでハイドラが受け取り、それぞれに分けられることになっているが。
それより重要なのが、パチゼットを含む、エイルらの動向を探られることだ。
パチゼットことマリオンの戯言で、エイルたちは「過去の盗賊が隠した宝を追うトレジャーハンター」みたいなことになっている。
おまけに「記憶をなくしたゼット」と行動を共にしている、ということにもなっている。
面倒な模様の嘘を塗られてしまったので、面倒な尾行が付く前に帰ってきた、という感じである。
マリオンも、とっくにゼットの「模写」をやめ、素の姿である。
「――ああ、先に戻っていて」
このまま塔に戻るつもりではあったが、ハイドラには別件が来ていた。
孤児院の外壁の下にある小石が、三つ並んでいる。
あれは、とある客がハイドラと繋ぎを取る時の合図だ。
それを発見したハイドラは、まだ帰れない。
「じゃあお先に」と、面倒事が嫌いなので探ろうともしないエイルと、他人事にはあまり口出ししない分別のあるセリエが行き――
「また手伝えることがあれば声掛けて。今回、なんだかんだ楽しかったし」
マリオンだけは一言だけ残していった。
「ありがとう。その時が来たら遠慮なく頼むわ。……あ、シロも連れて行ってね。あの子あれじゃ動けないから」
子供の戯れ方、まとわりつき方が尋常ではない。
あれでは歩くことさえままならないだろう。
顔もむぎゅーっとされたままだし。
「わかった。――おーいガキどもー、その犬困ってるから離してやって、あぶなっ!? なんで噛もうとした!? 今本気だったでしょ!?」
原因は犬呼ばわりだろう。
子供たちがいるところで狼呼ばわりもまずいとは思うが。
まあ、向こうのことはさておきだ。
ハイドラは孤児院に消えた仲間たちとは違う方向へ歩き出す。
――と、暗がりの路地から、貧民街の住人らしいみすぼらしい恰好の老婆が近づいてきた。
「……」
「……」
お互い無言のまま、老婆が擦れ違うようにして手渡してきた手紙を受け取り、一瞬の交差を経て別れた。
角を曲がったところで、歩きながら手紙を開け、中を改める。
「……いつでもいいのかしら」
中の手紙はたった一文、「娼館街にて待つ。」のみだった。
時間指定がないので、行くのはいつでもいいのだろう。
どうせ行けばすぐに飛んでくるだろうから。
――恐らくは、あの件だろう。
幸いにも、街で動きやすいシスター姿ではないが、あれより臨戦態勢ができている旅装束である。
何があっても対応はできる。
――ハイドラはそのまま娼館街へ行ってみることにした。




