275.馬車襲撃事件 7
動きで翻弄し、かなりの速度で魔術師と重戦士を縛り上げて転がす。
メガネの少女がそんなことをやってのけていたその時、初撃をしくじった軽戦士ワックスは、真っ先に女戦士イスミナの救助へ向かっていた。
「雪熊の爪」は、イスミナが健在でこそ、もっとも高い戦闘力を発揮できる。
戦いに勝つなら、彼女は外せない。
「――いててててて!」
「――うわマジっすかこれ。隙間が全然ねぇっすよ」
全身にグルグル巻きになっている紐は、まるでサイズを合わせたかのようにピッタリと、激しくびたんびたんするイスミナの筋肉質な身体に密着している。
指を入れる隙間を空けようとしても、どうにもうまくいかない。
紐も堅いし筋肉も異様に堅い。
むしろジャストフィットしているせいで、どうやってもイスミナの筋肉に負担が掛かるようだ。
「――というか、これなんの紐すか……?」
植物の繊維を編んだものではない。
触った感じでは、革製の紐のようだが。
だがこんな光沢の革は見たことがない。
「――いてえ! ちんたらやるな! いてえけどあたしごと切れ!」
「――マジっすか。……仕方ないっすね」
隙間を空けてナイフの切っ先を入れようとしていたが、確かにこの状況で、のんびりやっている場合ではない。
今は戦闘中だ。
一秒だって止まっている時間が惜しい。
激しく激しいイスミナの注文通り、ワックスは紐の上から刃を当てようとした。
紐は堅い。
切ろうとしてもなかなか切れないし、恐らく刃はイスミナの筋肉を傷つけてしまうだろう。
せめて慎重にやりたいが、そんな時間はない。
多少傷つけることは覚悟し、手早くやってしまおう。
そう決めたワックスだが――
「やめろワックス!」
クロッドの声に、その動きは中断した。
「救助はダメだ! やったらダラスとキュライズを殺すと言っている!」
ダラスとキュライズは、重戦士と魔術師である。
ワックスが振り返ると、メガネの少女が、縛り上げて足元に転がしたダラスとキュライズの前で、短剣を握っている。
どうやらあの少女が、クロッドにやめるよう言ったのだろう。
「――……確かに毛色が違うっすからね」
イスミナは、転んだ拍子に擦り傷を作ったものの、筋肉に大した怪我はない。
縛られたダラスとキュライズも、特にダメージを負っているわけではないだろう。
つまり、こっちは命を取るために戦っているが、メガネの少女は殺す気どころか害意さえ少ないということだ。
あくまでも戦闘不能にするだけで、それ以上もそれ以下もないのだろう。
いつも魔物と命懸けで戦ってきた「雪熊の爪」としては、戦う内容の毛色が違いすぎる。
だから緊張感がだいぶ薄いのだ。
危機感が足りないと、ワックスは思った。
「――よし! あたしのことはほっとけ!」
メガネの少女が、本当に殺る気なのかどうかは怪しいが。
しかし万が一の可能性がある以上、救助はやめた方がいいだろう。
このまま転がしておけば、たとえ戦闘に負けようとも、誰も死なないだろうから。
「――あたしはこのままいく!」
びたんびたんと激しく動きながら、イスミナは移動を開始。
虫が這う速度で少女へと向かい出した。
「――イスミナさんはこんな時も面白いなぁ」
いつも若干バカにして言うワックスの言葉だが、この時ばかりは本気の発言だった。
「ああ、繰り返すのは面倒なので救出は無しでお願いしますね。そうじゃないと一人ずつ殺して回ることになりますよ」
短剣を抜いて「殺す」と言ってみたりしたものの、それでも緊張感が薄れてきたな、とエイルは思った。
「――やめろワックス!」
隙あらば斬りかかろうと構えて射たリーダー格が、女戦士の救出へ向かった男を止める。
――まあ、こんなものだろう。
エイルが鮮血をまき散らすような戦い方をしているならともかく、ただ相手を無力化しているだけだ。
限りなく危険度が低いとわかれば、緊張感なんてなくなって当然だ。
まあ、エイルだけは命を張っているが。
向こうは本気で殺しに来ているから。
――残り四人。
だが、前衛以外の二人は、数に入れる必要はなさそうだ。
一人はエイルと同じく弓を使う男。
しかし盗賊や商人や馬や馬車や、周囲に人や当ててはいけないものがたくさんあるこの状況では、おいそれと弓を射るわけにはいかないだろう。
何より、己の仲間と擦れ違ったり入り乱れるような戦闘である。
味方を射るような誤射の可能性は高く、この状況で射るとも思えない。
もう一人は「素養・癒し手の薬師」を持つ、介抱・回復要因であろう女性。
武器らしい武器も短剣と杖くらいしか持っていないし、見たところ強くはない。
この二人は除外していいだろう。
となれば、リーダー格と、一緒に斬りかかってきたレイピアの男だ。
(なんとか足りそうだな)
意外な「メガネ」の使い方には辿り着いたものの、「メガネ」を生み出す魔力自体が大きく変わったわけではない。
一応地味に魔力訓練も続けてきたおかげで、今なら一日に四つは出せるようになった。
一つ目は女戦士に。
残り三つは、まだ残っている。
「――うおおおぉぉっぉぉおおおお!」
激しくびったんびったんしながらもかなりの速度で激しく地面を這ってくる激しい女戦士が気になるが、前衛二人を抑えれば、戦闘は終了と見なしていいだろう。
「魔法を使ったら全員殺して回りますよ」
足元に転がる魔術師に一応釘を刺しておき、短剣を収めて移動する。
――息の合った戦士二人は、かなり厄介そうだ。
「――残念でしたね」
戦士二人は確かに厄介ではあったが、決着はあっという間についた。
エイルは思った。
触れただけで拘束できるのは強すぎるだろう、と。
それに「風柳」の回避能力だ。
特に、リーダー格が切り札として取っていたのだろう「素養・伸縮」。
振るう剣が、急に伸びたのだ。
この距離ならかわせる、という目算を裏切る「素養」である。
手数の多い近接戦闘に織り交ぜられたら、これほど面倒臭いものもない。
しかももう一人の戦士が、それをサポートするように素早くちょっかいを出してくるのだ。
もしエイルが「風柳」をセットしていなければ、まともに斬られていただろう。
「風柳」があったからこそ、本人的には急な剣の「伸縮」にも普通に対応しただけだが、傍目にはぬるりと気持ち悪い動きで避けることができたのだ。
「メガネ」なしでは、とてもじゃないが相手にできなかったと思う。
「――俺の命はやる! だからほかの連中は許してくれ!」
「紐型メガネ」がお似合いのリーダー格が、地面から懇願してくる。
「これ以上抵抗しなければ、誰の命もいりません」
殺す気だったらすでに殺しているというものだ。
まだ手付かずだった後衛の弓使いと癒し手も、すでに武器を置いて降伏状態である。
――こうして、反抗勢力の鎮圧は完了したのだった。
が。
本当の問題は、ここから起こるのだ。
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