162.メガネ君、鍛冶場街を後にする
さて弓矢不所持の今、賭けをどうするか――そんな思考を巡らせた時だった。
「――じいさん! 来たぜ!」
げ。サッシュが来た。
振り返らずともわかる聞き馴染みのある男の声に、嫌な胸の高鳴りを覚えた。
フロランタンは俺から会いに行ったからともかく、まさかセリエに続いて偶然サッシュにまで遭遇するとは思わなかった。
見れば、やはり奴である。
昨日、壊王馬の女王という大物を仕留めたわりには、怪我一つしていないようだ。
やっぱり中距離辺りから一撃で仕留めたのかな?
そういうのに向いている「素養」だもんなぁ。
まだタツナミじいさんと賭け関係の細かいことを詰めていないし、そもそも俺の弓がないということに気づいたこの瞬間。
まさか問題の輩がやってくるとは思わなかった。
「――おう、待ってたぜ」
タツナミじいさんのこの返答からして、偶然じゃなかったようだ。あいつは元々ここに来る予定だったらしい。
「――まだ角が来てねぇんだ。採寸は少し待て」
なるほど。そうか。
サッシュ用の槍を造るのだ。
素材の角を見て、それからサッシュと角のサイズを計って、好みだの使用する他の素材だの形状などを話し合ったりするのだろう。
そうして、ようやく槍の制作が始まる。
角はまだ本体に付いているので、槍造りは始まってさえいなかったわけだ。
というか、今日これから始まるわけだ。
「――例の場所には無事行けたのか?」
「――ああ、おかげさまでな」
例の場所、か。
やはりサッシュは、もうブラインの塔を探し出したようだ。ってことは彼が一番乗りか。やったね。よかったね。
「客か? ちょっと時間潰してくるか?」
無遠慮にこちらにやってきたサッシュは、俺をチラリと見て、珍しく気遣いの姿勢を見せた。
ただしその目は節穴である。
サッシュは俺の変装に気づかないだろうな、とは思っていたが……こんなにも平静に易々と見逃されるとは思わなかった。
まあ好都合ですが。面倒もないし。
「幾つか話すことが残っているだけです。すぐ終わりますので、入り口付近で待っていていただけますか?」
と、俺は一旦サッシュに席を外させて、タツナミじいさんに大事なことを話す。
「まず、賭けの話は乗るつもりだけど。でも詳細が決まってからじゃないと正式な返答はできないから」
「わかった。幾つか候補を考えとくぜ。最終的にはてめぇが選べ。あと正式な返答がねぇなら、牙は一旦返しとくぜ」
よし。
別に俺に有利な勝負じゃなくていいけど、というか勝敗も特に気にしてないけど、無駄にリスクの高い狩りはしたくないからね。
何を狩るか知ってからじゃないと、俺はやっぱり返事できない。
極端な話、黒皇狼を狩れ、なんて言われても無理だからね。危険な大物に挑むつもりはない。命が大事。
「それと、俺がエイルだってことはあいつには内緒でお願いします」
「わかってるよ。そんな格好してる理由は、てめぇの正体を明かしたくねぇからだろ? 誰に対して隠しているかは知らねぇが、俺は正体を知ってんだからそれでいい」
これもよし。
ちなみに「誰に対して隠しているか」は、俺を知る者も知らない者も、全員です。
できればタツナミじいさんにも隠しておきたかったですね。
「あとベッケンバーグさんをどう噛ませるかも、お任せしたいんですが」
「まあ、そうだな。今のところ内容が何も決まってねぇしな。ただどこかで確実にあいつが絡むことだけは了承しといてくれや」
まあ、それはそっちで勝手にやっていいです。
俺はあくまでも、一仕事してナイフを造ってもらうだけの約束をしているだけ。誰が噛もうが何が関わってこようが無関係を主張するだけだ。
「最後に、これをアディーロ支配人から預かってきました」
今話すべきことはだいたい終わったので、最後にアディーロばあさんがタツナミじいさんに向けた手紙を渡す。
「お? アディーロからか?」
じいさんは手紙を受け取ると、ポケットからナイフ……というか、ヘラのような金属の棒を出して封を開けた。
「……ふうん」
中身は便箋一枚で、タツナミじいさんは一読してすぐに手紙をたたんだ。
「これを持ってきた者に少しだけ便宜を図ってくれ、だとよ。今更だったな」
…………危なかった。
俺はアディーロばあさんに借りを作りたくないのに、あの人は確実に俺に貸しを作ろうとしている。
もし賭け云々のことがなければ、ナイフの料金だのなんだので頭を抱えたその時に、この手紙が効いてきたのだろう。
手紙に甘えれば比較的簡単にナイフができるけど、明らかに借りになるよ、と。
もしも狙い通りのタイミングで提示されていたら……たぶん迷っただろうなぁ、俺。
「俺からはこれだけだよ。近い内に……いや、ちゃんと決めとこうか。明後日には必ず一度ここに来るから」
アディーロばあさんの護衛が未定なので、「近い内に来る」という曖昧な決め方をしようかと思ったが、仕事ならちゃんと決めておかないとまずいだろうと思いなおした。
俺はナイフのために仕事をするし、タツナミじいさんはナイフを造る仕事をするのだ。
賭けだなんだと変な括りが付いているが、本質はそれだけのこと。
明日だと、まだ話が進んでいないかもしれないので、明後日だ。
護衛の仕事が入るかもしれないが、さすがに朝から晩まで方々へ行き時間がない、という過密スケジュールはないだろう。アディーロばあさんの年齢も加味して。
「それでいい。明後日、待ってるぜ」
「――お待たせしました。私はこれで」
タツナミじいさんとの話が終わり、サッシュと擦れ違いで工房を出た。
…………
……二人がどんな話をするのか気になり、ちょっとだけ聞き耳を立ててみる。
「――おい小僧、俺と賭けやろうや」
「――あ? なんだよ急に」
「――次ぁ俺が勝つからよ。もう一度賭けやろうや」
「――やんねえよ。こっちは忙しいんだ。さっさと槍造ってくれ」
「――てめぇが賭けやんねぇなら手抜きして造っちまうかなぁ! こんな精神状態じゃ良い仕事なんてできねぇしなぁ! ああもったいねぇ! 馬の角がもったいねぇなぁ!」
「――はあ!? 何言い出してんだジジイ!?」
「――元はてめぇが言い出したやり方だろうがこの野郎! てめぇの我儘に付き合っててめぇの賭けに乗ってやったんだ、今度は俺の我儘聞いて賭けに乗れや! あぁ!? 文句あんのかてめぇこの野郎!?」
「――なんだこのジジイ……」
…………
サッシュが呆れてる……俺もだいぶ呆れてるけど……
理屈がめちゃくちゃだけど、……そうだね、そのめちゃくちゃを先にサッシュがやったんだよね。だからじいさんすっきりしてない状態なんだよね。そりゃすっきりしないよね。
賭け、か。
サッシュの槍然り、俺のナイフ然り。
無料働きなりなんなり、すでにタツナミじいさんが損をするのは確定しているわけだけど、……まあ、気持ちの問題がすごく大きいんだろうね。
だからまた賭けをやらずにはいられないわけだ。
……それにしてもじいさんのキレ方すごいなぁ。明らかにキレ慣れしてるよね。あの人。
話の行く末がどうなるかはわからないけど、決して見てて面白いものではなさそうなので、さっさと引き上げることにする。
どうせじいさんが勢いと圧力と槍のことを武器に、サッシュを陥落させるだけだから。
一応案が出ているので、普通に大通りを行くことにする。
恐らくは――ああ、出てきた出てきた。
「おい! タツナミに何の用だったんだ! アディーロの使いか!?」
やはりベッケンバーグが待ち伏せしていた。冷めた護衛二人も一緒だ。……一度気になるり出すとずっと気になるなぁ、あの護衛たち。
でも、数字を「見る」とやっぱり強いし、俺に対する警戒もしてるんだよなぁ……
まあ護衛はともかくだ。
色々切羽詰まっているからだろう、ベッケンバーグはアディーロばあさんの動向が非常に気になっているようだ。
俺は彼女のメイドだからね。表向きは。
確かに気にはなるか。
実際はただの偶然でしかないし別件もいいところなんだけど。
でもベッケンバーグからすれば、自分がピンチに陥っている時に、街の支配者がほかの支配者と繋ぎを取った、という構図である。
彼の心理からすれば、今このタイミングで敵に回られたら心底困る、って感じなんだろう。もしかしたら自分を蹴落とそうとしているのかもしれない、と。
でもほんと、実際は俺の私用ですけどね。アディーロばあさん関係ないし。
「タツナミさんから、あなたに馬を譲る提案があるようですよ」
「あ……? ほ、本当か!?」
とりあえずベッケンバーグがほしいだろう情報を伝えておく。
俺の話をするつもりはまったくないし、今は俺のことより自身の用事と用向きで頭がいっぱいだろうし。
「私はそれ以上のことはわからないので、詳しくは当人同士でお話しください。それでは失礼します」
「あ、おい待て!」
いいえ、待ちません。
これ以上話したところで、難癖つけられて何かさせられそうになるだけだろうから。
走り出してさっさと撒いたところで、ふと足が止まった。
――そうか。サッシュはブラインの塔に到着したのか。
…………
俺も、そろそろブラインの塔の大まかな場所だけは探しておいた方がいいかもな。




