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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第7章 恋に惑い
95/227

7-11

夜,街の人通りがほとんどなくなったころ.

ライクシードは一人分の荷物を担いで,城の裏口から出て行った.

「バウス殿下の処分は厳しすぎます!」

門番の兵士たちが引きとめようとしたが,迷わず立ち去る.

しばらく進んだところで,城を振り仰いだ.

街のどこからでも見える,巨大な宮殿.

月明かりの下,白く輝いている.

ライクシードが生まれ育ち,今日まで過ごした場所だ.

けれど,二度と帰ることはない.

だから,しっかり覚えておこうと思う.

街を歩いていくと,大通りに兄がひっそりと立っていた.

「兄さん,」

バウスはやってくるなり,一通の封筒を押しつける.

「南方国境警備隊隊長への紹介状だ.つらくても,そこでがんばれよ.」

スンダン王国との国境を守る南方国境警備隊は,軍隊のえりすぐりだ.

訓練の厳しさは国一番であり,ねを上げて脱落する者が多い.

ライクシードは首を振って,封筒を兄に返した.

「受け取れません.兄さんは私を守るつもりでしょうから.」

バウスは黙った.

首都の街での,ライクシードの評判は地に落ちた.

貧民街の住民たちは,ライクシードがみゆに無理強いするところを,一部始終のぞいていた.

物見高く見物していたのだ.

ライクシードの行ったことは,すぐに口から口へと伝わった.

この調子では,明日には首都の住民皆が知るところになるだろう.

カズリの両親からは,すでに婚約破棄を言い渡されていた.

「私を首都から追い出して,自分が悪者になるつもりでしょう?」

周囲の者たちがライクシードに同情するように,バウスは大きな罰を与えた.

そして何年かたって,ほとぼりが冷めれば城に呼び戻すにちがいない.

南方からの帰還となれば,誰もライクシードを悪く言えない.

「お前は少し,道を間違えただけだ!」

兄は,らしくない早口でしゃべった.

「それに今は反省しているし,二度とやらない.」

ライクシードをかばって,言い募る.

「ミユは無事だったんだ.彼女は顔色は悪かったが,着衣の乱れはなかった.」

なのに,目が泣き出しそうだった.

「何もなかったんだ.そうだろう? お前がそんなことをするわけがない!」

「兄さん.」

濁流となって押し寄せる言葉を,ライクシードはさえぎる.

「私は城に戻りません.カリヴァニア王国へ向かいます.」

兄の目が大きく開いた.

「なぜ?」

無防備なほどに,素直な表情だった.

「本気か? 行ったら,戻れないのだぞ.」

驚きが過ぎて,声が震えている.

「はい.だから私を守る必要はありません.」

兄は,ライクシードの肩をつかんで揺さぶった.

「守らせろよ,お前は俺の弟だぞ!」

感情的に叫ぶ.

「セシリアが泣くぞ,――俺も泣いてやる,お前がいなくなったら!」

「兄さん,」

ライクシードは激する兄の体を,そっと押して離した.

「私はずっと,あなたに嫉妬していました.」

みゆを守りたいと思ったきっかけは,何だったのか.

兄に対抗したかっただけかもしれない.

「俺だって,お前がうらやましいさ.」

バウスは,怒っているのか笑っているのか,あやふやな顔をした.

「昔からお前の方が女にもてたし,誰とも親しくなれたし,剣や弓だって,」

青の瞳から,ぽろりと涙が落ちる.

うつむいて,兄は声を押し出した.

「お前の方が,うまい.」

彼の涙を,何年ぶりに見たのだろう.

六年前,母が病気で早世して以来かもしれない.

「兄さん.私はカリヴァニア王国の真実を,実際の姿を,自分の目で確かめに行きます.」

誰も見たことのない,魔物たちが住むと信じられていた伝説の国.

「そして,王国が水没しないで済む方法を探します.」

この国を出て,バウスには頼らずに,自分一人の力で立つ.

それが今の自分には,必要なことに感じられた.

なぜならライクシードは,兄が呪われた王国のために動くことを期待していた.

恥ずかしくなるほどに甘えた,弟の根性で.

「父さんには,事情は話しておきました.」

彼もまた,思いとどまるように涙ながら訴えた.

「セシリアには,」

みゆに乱暴を働いた結果城を出るとは,少女には言えなかった.

「お前は,ばかだ.」

兄はうなだれる.

「そんなことをしても,誰も感謝しない.」

「分かっています.」

ライクシードは言った.

「すみません,兄さん.今まで,ありがとうございました.」

彼と離れることは,想像すらしていなかった.

バウスは王となり,自分はその補佐として,一生そばにいるものだと思いこんでいた.

だが,もう心は旅立っている.

慣れ親しんだ故郷から.

「決めたのだな.」

力のないつぶやきに,ライクシードは,はいと答える.

兄は,ゆっくりと頭を上げた.

顔には,冷静さが戻っている.

ほおに涙は残れども,瞳には理性の光があった.

「次期国王として命じる,」

誰よりも強く,揺るがない意思を持つ.

ライクシードはひざをついて,騎士としての礼を取った.

「使者としてカリヴァニア王国へおもむくことを.かの国の助けとなることを.」

「ご命令,」

あぁ,やはり兄にはかなわない.

「しかと承りました.」

彼はふっと笑う.

「油断するなよ,ライク.」

赤い目をして,けれどいつもの調子で.

みゆが現れたときから,この別れは決まっていたのかもしれない.

バウスに依存し,依存しながら反抗していた.

みゆはそんなライクシードに投げられた,ひとつの石だ.

水面を乱し,沈んでいく.

「ありがとうございます,兄さん.あなたの名代として恥じない振るまいを約束します.」

銀色の月が見守る中,ライクシードは最後の言葉を発した.

「行ってきます.」

さようなら,と.

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