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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第5章 神殿の闇
59/227

5-5

「ラート・リアンは病気ではなく,出産のためになくなりました.」

秘事を告げる神官長の顔は,妙に落ちついていた.

だが両手はしっかり組み合わせて,テーブルの上に置いている.

その両手は,彼がソファーに腰かけてから微動だにしない.

ライクシードはそれを観察しながら,心の中で衝撃を受け止めた.

ちらりと横目で探ると,隣に座るセシリアは,完全に顔色をなくしている.

「父親は誰なのですか?」

気が進まないが,たずねた.

「大神殿に隠された聖女に近づける男性は,一人しかいません.」

淡々と答える.

「双子の弟のラート・ルアンだけです.」

毒でも飲まされたような気分だ.

聖女の姦通という罪には,近親相姦の色までついている.

「ラート・リアンはなくなりましたが,赤ん坊は生き残りました.」

まるで死んだ方がよかったような言い方に,ライクシードは反発心を覚えた.

「もっとも神に近く,もっともけがれた血を持つ,存在が許されない赤ん坊でした.」

双子の聖女の間に産まれた赤ん坊,つまりウィルは聖女だ.

――その子は死んだはずの子どもです.生きているとは思いもよりませんでした.

サイザーのせりふを,ライクシードは思い出した.

聖女の結界をやぶることができる者は,聖女でしかありえない.

だから自分の結界が壊されたときに,彼女は悟ったのだ.

首都神殿から,みゆをさらった者の正体を.

神官長の話は,さらに過去にさかのぼる.

話が前後するのは,内心の動揺の現れかもしれない.

リアンの腹が大きくなり,大神殿は大騒ぎになった.

しかし聖女が神の塔へ入る前に妊娠することは,過去にいくつか例のあることだった.

だがライクシードもセシリアでさえも,聖女の密通など聞いたことがない.

今までずっと,大神殿の内部だけで隠していたらしい.

また近親相姦の末にはらむのは,さすがに初めてだと言う.

不義の子を宿したリアンは,逆に丁重に扱われた.

無事に出産して,その後すぐに神の塔へ入ればいいのだ.

妊婦は塔へ入れないが,出産後は特に問題がない.

しかしリアンは男児を産み落とすとともに,息を引き取った.

ルアンは片割れの死を悲しみ,神官らは聖女の喪失を嘆いた.

彼らはルアンを責め,母親の聖女マールも責めた.

「ラート・マールは,繊細な女性でした.」

神官長の顔に,苦い色がにじむ.

「彼女は幼いころから,神の塔を恐れていました.」

すなわち,一人で次代の聖女を身ごもることを.

母親のサイザーが,神から子を授かることがどれだけ誉れ高いことか,説明しても無駄だった.

十六歳になったマールは,青い顔をして震えながら神の塔へ入った.

そして産まれた赤ん坊は,双子だった.

赤ん坊の世話役の巫女たちが「まれに双子が産まれることがある.」となだめても,

「私は神の怒りを買ったのだ.」

「私が至らない聖女だから,このような失敗をしたのだ.」

と,ひたすらにおびえていた.

そして子どもたちが罪を犯し,再び神の塔へ入ることを強いられたとき,彼女は恐怖のあまりみずから命を絶った.

「後は,殿下方がご存じのとおりです.」

神の一族の中で,一番血の濃い者を聖女にすればいいと.

「えぇ,よく知っているわ.」

セシリアが,まゆをつり上げた.

「血の濃い女児を産むために,お父様とお母様は結婚させられて,私が産まれたのよね.」

「セシリア!」

たしなめても,少女の口は止まらない.

「その当時,一番力の強い神の一族は,サイザー様の子どもであるお父様だった.」

ライクシードは六歳で,兄のバウスは九歳だった.

大人たちが右往左往する様を,いまだによく覚えている.

「でもお父様は男.神の塔へ入っても,妊娠はできない.」

興奮する少女を,神官長は平坦な顔で眺めている.

「だからお母様と結婚させた.お父様もお母様も,ほかに愛し合う人がいたのに!」

少女はまさに,聖女になるためだけに産まれてきた.

「私が不幸なのも,お父様とお母様が不幸なのも,全部ルアンとリアンのせいだったのね!」

そのような事情で夫婦になったセシリアの両親は,少女に対して冷淡だった.

いや,冷淡という言葉では言い表せない.

彼らはいつも,わが子が見えていないかのように振る舞う.

だからライクシードもバウスも,少女の“家族”は自分たちだけだと思っている.

兄などは本気で,

「セシリアは俺たちの妹だ.聖女ではなく王家の姫だ.いつか必ず城へ返してもらおう.」

と言う.

神官長は,何も言い返さない.

少女は,ぱたんと口を閉じた.

ライクシードは,少女の白い手を握る.

けれどセシリアは気づかずに,険しい顔で宙の一点をにらみつけていた.

そうしなければ,泣いてしまうかのように.

「それで,赤ん坊はどうしたのですか?」

とりあえず話題を変えたくて,質問をする.

「殺しました.」

聖女の姦通,近親相姦の罪の下で産まれ,母親と祖母を死に追いやった赤ん坊.

まだ赤ん坊が女児だったのならば,救いはあった.

しかし赤ん坊は男児だった.

聖女にはなれない,ただうとましいだけである.

サイザーと神官長は,ルアンから赤ん坊を取り上げた.

ルアンは抵抗したが,十五歳の未熟な少年を押さえつけることは容易だった.

それに加えて母親ではないルアンには母乳が出ずに,赤ん坊を育てることは不可能だった.

ルアンとルアンに味方する神官と巫女たちは,牢の中に閉じこめた.

殺さないでくれ,助けてくれと,ルアンは声がかれるまで泣いて訴えた.

「リアンの忘れ形見なんだ.返してくれ,僕たちの子を!」

赤ん坊は一人の神官に命じて,禁足の森の中に埋めさせた.

神の目が届かぬ,呪われた森の中に.

「それですべてが終わったと思っていたのですが,」

赤ん坊は生きていた.

生きて,新しい聖女となるみゆを首都神殿から連れ去った.

神官長はすぐに,赤ん坊を埋めたはずの神官を問い詰めた.

なぜ,あの赤ん坊が生きていると.

すると彼は簡単に白状した.

赤ん坊は,双子の教育係だった神官のカイルに奪われたと.

カイルはこの子をけっして幸福にしないと約束して,カリヴァニア王国へ行った.

「神に呪われた王国で,けがれた出生にふさわしい存在として生きさせる.」

だから見逃してくれと.

カイルとしては,苦肉の策だったのかもしれない.

神官としての責務と教え子たちへの愛情を,ともにかなえるためには.

「カリヴァニア王国へ行けば,けっして戻って来れない.そう考えて,カイルの好きにさせたのです.」

それに加えて,いくら罪深いとは言え,赤ん坊を殺すことに抵抗を感じていたらしい.

ライクシードは,

「当たり前でしょう! 赤ん坊を手にかけられる人間がいたら,見てみたいですよ!」

と叫びたくなるのを,こらえねばならなかった.

だが,絡まっていたなぞの糸が少しだけほどけた.

聖女であるウィルは,呪われた王国で育ったのだろう.

そこで,みゆとウィルは出会い,神聖公国へやって来た.

二人がこの国へ来たのは,復讐のためなのか?

少なくとも,ウィルには動機がある.

けれど彼女からは,そのような暗さは感じられなかった.

おそらくまだ,ライクシードの知らない事実が隠れているのだ.

「今,ラート・ルアンとウィルのもとに,ミユはいるのですね?」

確認すると,神官長はうなずく.

「えぇ.けれど彼は,もう二度と子どもを離さないでしょう.」

「彼らのことは,私には関係ありません.」

ライクシードは言い切った.

「私が求めているのは,」

テーブルの上には,兵士たちが拾ったみゆの落し物が置いてある.

異世界のものだからなのか,驚くほどに薄くて軽い.

「新しい聖女になるミユだけです.だからラート・ルアンのもとへ案内してください.」

率先して,ソファーから立ち上がる.

「彼についていった,ミユと話がしたいのです.」

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