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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第4章 思惑の果て
51/227

4-8

ジェットコースターなんか目じゃないほどに,電車が揺れた.

――みゆ!

体が浮いてしまうほどの衝撃の中,隣の座席の姉がみゆを抱きしめる.

キィィィィ,と耳に痛い音が響いた.

それにかぶさるように,車内の人々が悲鳴を上げている.

窓の外に,横なぐりの雪が見える.

雲は重く垂れこめて,みゆは姉の腕の中で震えた.

電車が脱線してから停止するまで,どれだけの時間だったのか.

その間に何があったのか.

正確には思い出せない.

ただ怖かった,としか.

揺れが収まったとき,みゆは姉に守られていた.

彼女の腹に顔を押しつけられて,抱かれている.

――お姉ちゃん.

みゆは何も考えずに,かやを頼った.

姉の着ている花柄のシャツに,視界が覆われている.

あちらこちらから人のうめく声,子どもの泣く声,助けを呼ぶ声がした.

――あぁ,みゆ.痛いところはない? けがはしてない?

――多分,ないよ.ねぇ,何があったの?

顔を上げようとするが,頭を押さえつけられる.

――じっとしていなさい.きっとレスキュー隊の人が助けてくれるわ.

血のにおいがした.

生臭い嫌なにおいが,みゆを包んでいる.

――お姉ちゃん,けがをしている?

声が,自分のものではないように飛び跳ねた.

返事は返ってこない.

かやの腕から,力が抜けた.

何か大切なものが,取り返しのつかないものがこぼれ落ちていく.

「駄目よ!」

夢の外側にいるみゆは叫んだ.

顔を上げてはいけない.

見てはいけないし,認めてもいけない.

誰よりも美しかった姉が,あんなむごい姿になるなんて.

けれど中学生のみゆは,顔を上げた.

両目が大きく開き,唇がわなないて.

「あぁ…….」

十九歳のみゆは,顔を両手で覆う.

姉を助けることはできなかった.

血を流し倒れる姉に,みゆは何もできなかったのだ.

「私は無力だ.」

暗い部屋の中でつぶやく.

「何もできない.」

そんなみゆに,ひとつの国を救うことができるのだろうか.

すると暗がりから,言葉が返ってきた.

「結界を壊した人のせりふとは思えないなぁ.」

声は楽しそうに笑っている.

「小さな穴しか開いていなかったけれど,結界を直すのは大変だったよ.」

男性の声だ.

どこかで聞いたことがあるような.

「サイザー様と僕,セシリアやほかの神官や巫女たちの力を合わせても,三日もかかった.」

「ごめんなさい.」

わけが分からないままに,みゆは謝った.

「君を責めるつもりはない.実はお礼を言いに来たのさ.」

暗がりから進み出た男は,たけの長い黒いローブを着ている.

「君のおかげで,僕の息子が生きていることが分かった.」

黒髪,黒目の男だ.

くせのある髪は長く,肩まである.

「一人で首都神殿に乗りこんで来るとは,度胸があるね.」

顔立ちは柔和で,中性的な印象だった.

「本当はあの子の夢に入りたかったのだけど,あの子はすきがなくて近寄れなかった.」

「あなたは誰ですか?」

みゆはたずねる.

「前にも一度,私の夢に来ましたよね.」

神聖公国に来た日の夜に,彼の姿を夢うつつに見た.

あれは少年の成長した姿だと思いこんでいた.

「僕はルアン,大神殿に住む黒猫だよ.」

黒猫という単語に,驚きつつも納得する.

ウィルが黒猫なのだから,彼も黒猫でおかしくない.

「君は何を求めて,この国へ来たの?」

彼は興味深げに問いかけた.

「バウス王子の言うとおり,侵略戦争でも始めるのかい?」

「ちがいます.私はカリヴァニア王国について調べたいだけ,」

そのとき,こんこんと扉をノックする音が響く.

「ミユちゃん,起きているの?」

扉が,がちゃりと開いた.

少年がかざすろうそくの光によって,闇が引いていく.

みゆは,すぅっと目が覚めたように感じた.

「夕食のシチューができたよ.食欲はある?」

「うん.」

枕のそばに置いてある眼鏡をかけて,ピントの合った世界を取り戻す.

もちろん部屋には,みゆと少年しかいない.

夢を見ていた.

最初は列車事故の夢だったが,途中からはウィルに似た男性が登場した.

みゆは,少年に続いて部屋から出る.

せまい廊下をはさんで,扉が二つあった.

「右がスミの,左が僕の部屋だよ.」

黒の少年が説明する.

そして先ほどまでみゆが眠っていた部屋が,みゆの部屋らしい.

扉のほかには,下へ降りる階段があった.

「食堂は一階.足もとに気をつけてね.」

階段を降りる少年に,みゆはついていく.

古い家だからなのか,階段を一段ずつ降りるたびに,みしみしと木の音が鳴った.

だが,さすがというべきか,黒猫はまったく音をたてない.

体のしなやかさが,みゆとは格段にちがうのだろう.

一階には間仕切りはなく,広々としていた.

大きなテーブルがあり,そこに若草色の髪の少年がいる.

「スミ君!」

みゆは駆け寄って抱きついた.

「ミユさんが元気そうで安心しました.」

「それは私のせりふよ.けがはどうなの? ベッドで寝てなくて大丈夫なの?」

「はい.歩くこともできますよ.」

いすに座ったままで,少年はにっこりとほほ笑む.

こげ茶色の瞳には生気があり,みゆは心から安堵した.

「よかった.」

少年の頭をなでる.

すると,

「席についてよ,ミユちゃん.」

背後から,ウィルの不機嫌な声がした.

振り返ると,少年は台所へ行ってしまう.

そして鍋を持って帰ってきた.

テーブルには,深皿やスプーンなどが用意されている.

ウィルが鍋の中のシチューをよそうと,おいしそうなにおいがした.

黒の少年が着席して,暖かな食事が始まる.

みゆたちは食欲を満たしながら,別れていた間に何があったのか,たがいに教えあった.

少年たちは禁足の森を,魔法の力で兵士たちを幻惑して抜け出したらしい.

兵士たちはウィルたちを捕まえるどころか,姿を見ることさえできなかった.

当然,バウスが見せた血染めの布は,はったりだったのだ.

少年たちは歩いて,――正確にはウィルがスミをおぶって,首都リナーゼへたどり着く.

リナーゼの位置は,兵士たちがひんぱんに森と街を行き来したために分かったらしい.

食事が終わると,黒の少年は懐から一枚の書類を取り出した.

「ミユちゃん,署名して.」

手渡された書類に,みゆは目を通す.

――ライクシード殿下のおそばに参りませんことを,私は約束いたします.

一瞬,何のことか分からなかった.

しかし理解したとたんに,ぎょっとする.

カズリがみゆに渡すつもりだった契約書だ.

紙面から目を上げると,少年は怖いぐらいに,にこにこしている.

「これは,」

「あっ,えぇっと,俺!」

みゆのせりふを,スミがさえぎった.

「部屋に戻ります.食べたら眠くなりました.」

わざとらしい明るい声を出して,ゆっくりといすから立ち上がる.

階段まで歩いて行って,一段ずつ慎重に登り始めた.

スミの後ろ姿を見守ってから,みゆはウィルに視線を戻す.

少年は笑顔を張りつかせていた.

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