371、モモ、他国の地を踏む~好奇心が強いのはお子様だけじゃないようです~
イージス港を出港した王族専用船ラオーナーは、十五日かけて北東へ舵を切り、ルクルク国の港ワグズリューに着岸した。
桃子は初めて見る他国に感動しながら、タラップから桟橋に足を下ろした。白と水色が基調のワンピースドレスが弾みで揺れる。
「ここがルクルク国! 日差しの暑さがジュノール大国とは全然違うねぇ」
「この国は夏の気候だからな。船上で服は買えたが、体調に変化があったら知らせてくれ。幼い身体は気候の落差で影響が出やすい」
「うん! でも、カラッとした暑さだから慣れたら過ごしやすいかも。どんな国なのか実際に早く見てみたいよ」
バル様は水色のシフォンシャツと銀色のジャケットを重ね着して、前髪を上げている。綺麗なおでこだなぁ。正装姿はいつ見ても格好いい。
ふと、後ろから晴れ晴れしい声が聞こえた。
「好奇心旺盛なエキゾチックレディも魅力的ですよ! 船旅中に天候が荒れなくて幸運でしたね。これもモモ様のご加護のおかげでしょうか。しかし、楽しく美しい旅路が一時的にとはいえ、終わりを迎えるのが名残惜しいことです。なにしろ美しいバルクライ殿下と、美しいこの僕、エキゾチックレディこと、モモ様が別れなければならないのですから。ああ……っ、残念で僕の心は雨に濡れたパンのようにぺちゃんこになってしまいそうですよ」
「つまり、濡れたパンみたいなしょんぼりした気分ってこと?」
「その通り! モモ様は僕の心をわかってくださるのですね! その洞察力には拍手を送りましょう!!」
「……スピエルッツ、拍手しながらモモに迫るな」
「これは失礼しました。気分が盛り上がってついうっかり」
「なぜ、そこでパン……」
「航海士殿がお好きなのでは?」
ユノスさんが心底怪訝そうに呟くのを、エテミティさんが苦笑して拾い上げる。船上ですんごく濃厚な時間を過ごしたからねぇ。船の中であれやこれやの事件が起きたのは記憶に新しい。
娯楽室で護衛騎士の人達も交えてゲームをしていたら、スピーが乱入してきて、壁にビリヤードの玉が突き刺さったり。
スピーにダンスをしないかと誘われ、音楽家がいないからとちょっと音程が外れた歌声で踊ることになったり。
料理にアクセントをと考えたスピーによって、料理がなぜか消し炭になったり。
……思い返せば、全部の思い出にスピーが出てくる。それでもって最後はジェストさんが怒るまでがセットだ。
ぺらぺらと話し続けていたスピーさんの頭が突然、激しく揺れた。
その後ろで船長のジェストさんが怒りで拳を震わせている。今日も船長と航海士の激しいコミュニケーションは健在のようだ。
「皆様に最後まで迷惑かけてんじゃねぇ! ──うちの奴が本当に申し訳ございません。船乗りとしての腕はいいんですが、それ以外のピントがズレてまして。しかも悪意がないから質が悪い」
「あははっ、面白い船旅だったよ」
「帰りもよろしく頼む」
「ええ、この僕にお任せください! 行きより素晴らしい船旅をご提供しましょう」
「お前が返事するな! ──バルクライ様、モモ様、長旅お疲れさまでした。我々は港に留まりますので、ジュノール大国にお戻りの際にお声がけください」
スピーの言葉にもう一発頭を叩いて、ジェストさんが桃子達に頭を下げた。ここから桃子達はルクルク国の王宮へ向かうことになる。
さっそく贈り物を護衛騎士の人達が荷馬車に積み込んでいく。しかし、旅にはアクシデントがつきものである。
「バルクライ様、申し訳ございません。手配していた馬車に問題が」
「なんだ?」
「馬車を動かしたところ、車輪が壊れてしまったそうです。替えの車輪が届くのが明後日のため、馬車を変えるか、直るまで待ってほしいと店主に提案されました」
「それはしょうがないねぇ。怪我人は出なかったの?」
「ええ、そちらは問題ないようです」
「しかし困りましたわね、お二人が乗る馬車は相応しいものでなければなりません」
イゼリアさんが深刻な様子で額に手を置く。そっか。一応桃子達はジュノール大国の代表なのだ。普段ならともかく、今の立場を考えれば、貧相な馬車ではルクルク国の王宮に向かうわけにはいかないのだろう。
なにかいい方法は……。 桃子が周囲を見回していると、どの店も植物を飾っているようだ。この国は自然が豊かなんだね。
その時、赤と金で装飾された豪華な馬車が街中からやってきた。後ろに三頭の馬が続いてくる。
エテミティさんが安堵したように顔をほころばせた。
「皆様、ご心配には及びません。王宮からの迎えの馬車が来たようです。しかし、姫様のお越しにしては側付きの数が少ないような……?」
桃子達の前で止まった馬車から、前開きの長い衣装を着た二十代後半の男の人が降りてくる。うねりのある青い髪と、はっきりした眉、意思が強そうな水色の瞳。
その大柄な身体は黒と金を使った煌びやかな装いもともない威圧感のようものさえある。明らかに庶民ではない。
男の人は桃子達を見て破顔すると、優雅な仕草で胸に右手を当てて頭を下げる。
「バルクライ殿下と加護者モモ様が起こしと聞いてお迎えに上がりました。第一王子ジャールが王宮までご案内いたします」
「ご足労いただいて感謝する、ジャール殿。馬車に不都合が起きて困っていたところでな。加護者共々よろしく頼む」
「初めまして、第一王子殿下。軍神様に加護をいただいているモモです。ルクルク国は自然豊かな国のようですね」
「我が国は夏の気候に適した植物はよく育つ国なのです。おかげで他国とも交易を広げられている。ジュノール大国は昔から良き交易国でもありますから、加護者様にも我が国自慢の食べ物を召し上がっていただきたい。──エテミティ、お二人の道中は問題なかったか?」
「はい、そちらはつつがなく。しかし、まさかお出迎えにジャール様がお越しとは驚きました。タナトリア様はいかがされたのです?」
「ふふんっ、オレの独断だ!」
「困った方ですね。そのように勝手に行動なさっては城の者達も心配しますよ」
「そうでもあるまい。オレが自由に動くのは今に始まったことではないからな。新たに生まれたという加護者様にお会いしてみたかったんだ。──加護者様、ご無礼でなければ、お互いに名前で呼び合いませんか?」
「ジャール様、加護者様に対してそれは……っ」
「はいっ、ジャール様!」
お付きの人に止められていたようだけど、桃子はバル様が反応しないので頷いておく。すると、お付きの人がぐっと詰まったような顔をして、無言で口を引き結んだ。
なんだろう、王子様に対して不満そうな表情だね。
それを見とがめるようにエテミティさんの目が一瞬だけ鋭くなった。
桃子は二つの反応にギャルタスさんから聞いた話を思い出す。お付きの人は王子をよく思っていないのだろう。
その時、そのお付きの側にベールをかぶった女性がいることに気づく。顔は見えないが強い視線を感じる。この人もお付きの人なのかな?
しかし、桃子が口を開く前に、ジャール様が動いた。
からかうように桃子の手を取って口づけたのである。ひえっ!?
悪戯な目が弧を描く。おそらくこちらが素なのだろう。
「言ってみるものだな。小さなレディに会えて嬉しいぜ。モモ殿とバルクライ殿が来ると聞いてな、宮殿では宴の準備をしている。二人はこっちの馬車に──……」
その時、黒い馬が走り込んできた。急ブレーキをかけるように止まると馬からひらりと、ドレスを着た女性が飛び下りてくる。
赤と金を使った豪華なドレスは豊満な体型を強調し、蠱惑的な青い瞳と全身から妖艶さが漂う美女だ。
「ジャールッ、馬車がないと思えば、やっぱり先に来ていたのね」
「遅かったな、姉上。オレは一足先に加護者様にお会いしているぜ」
「まったく困った子だこと。身体は大きくなったのに自由気ままな性格だけは変わらないのだもの。──バルクライ殿下、加護者様、弟が失礼したわ。ジャールは加護者様に興味を持ったようね」
「タナトリア殿も出迎えに来て下さるとは、再びお会い出来て嬉しく思う」
「ふふっ、わたくしもあなたの訪れを待っていたのよ。──それから、加護者様には初めてご挨拶させていただくわ。わたくしはルクルク王国第一王女タナトリア・サン・ルクルク。加護者様のお名前をお聞きしてもよろしいかしら?」
「私の名前はモモです。王女様にお目にかかれて光栄です」
その目が観察するように見つめてくるので、桃子は加護者として礼儀正しく笑顔を向けた。
「ご年齢よりはるかに聡明な方のようね。──ところでバルクライ殿下、婚姻の話は考えてくれたかしら?」
「えっ、婚姻っ!?」
タナ……長くて忘れちゃったよぅ。王女様がバル様の腕に抱き着いて、甘えた表情で誘惑する。桃子は動揺して声が大きくなった。二人の間で顔をきょろきょろさせる。
「バルクライ様は外交を任されるほどジュノール国王からの信頼も厚く、第二王子という十分な身分もおありでしょう? それに、ふふっ、この美しい顔なら、毎日でも見ていられるわ」
「……オレは第二王子というだけでなく、ルーガ騎士団の師団長でもある。その立場を放り出すわけにはいかない。ご理解ください」
「わたくしがこんなに願っているのに?」
遠回しの断りにも、王女様は笑みを深くしてバル様の顔を覗き込む。
大人の女性の色気でぐいぐい距離を詰めていく王女様に、バル様はどことなく困った様子だ。桃子はそっとバル様のズボンの端を掴んで、泣きそうな顔でうつむく。
客観的に見れば、二人は美男美女でお似合いである。それに比べると、桃子は元の姿でもバル様との身長差があるし、胸もない。ましてや、今は五歳児だ。同じ土俵にさえ立てていない。
私が結婚についてなにかを言える立場じゃないけど、でも……っ。
桃子が頭の中をぐるぐるさせていると、ジャール様が大げさなため息を零して、太い腕に抱き上げられる。
「ひゃあぅ!? えっ、あのっ、ジャール様!?」
「失礼レディ。──姉上、お二人はしばらくルクルク国にいらっしゃるのだから、その話はまたでいいだろう? それよりも宮殿で母上がいまかいまかとお待ちだぞ。まだ話があるなら、オレはモモ殿と先に行くぜ?」
「もうっ、情緒がない子ね!」
ジャール様は馬車の扉を自分で開けて、桃子を連れて乗り込んでしまう。向かい側に丁寧に下ろされると、そっと囁かれた。
「結婚うんぬんの話は気にしなくても大丈夫だ。姉上には悪いが、バルクライ殿は簡単になびく御仁ではないだろう。それは、オレよりモモ殿の方がご存知だな? モモ殿は気にせずこの国を楽しんでくれ」
「あうぅ……」
桃子の不安を見通しているようだった。恥ずかしさで桃子は頬を熱い頬を両手で隠す。ううううっ、ポーカーフェイスのお面をかぶりたいよぅ。
準備が整ったのか、それから少ししてバル様と王女様が馬車に乗り込んでくる。その腕にはべったりと王女様がからんでいた。とたんに、胸の内がもやもやが生じる。これって……焼きもちだよね?
バル様と視線が合うと、凛々しい眉毛がぴくりと動いて、黒曜石の瞳が桃子へと引き絞られる。
その強い視線の前では、今の気持ちさえ暴かれてしまいそうで怖い。
ジャール様が朗らかに告げる。
「王宮まですぐだ。着くまでは、ルクルク国の街並みを楽しんでくれ。気になるものがあったら、オレが説明するぜ」
様々な感情をはらんで馬車は王宮へと動き出した。




