345、バルクライ、風変わりな貴族と相対する
*バルクライ視点にて。
バルクライは掲げられた名前をじっくりと確認した。思わずそうするほどに、その宿は貴族が選ぶにはあまりに素朴な造りだったのである。どうやら間違いないらしい。カイの助言を聞き入れて正解だったか。
ルーガ騎士団の団服を脱ぎ、市民に紛れるように服装もそれらしく装ったバルクライは宿に足を踏み入れた。受付カウンターの椅子に座って居眠りしている老人がいる。午後も過ぎた今日は客が少ないのか、それ以外に人の姿はない。カウンターをトントンと指先で叩く。
「んあ? お、おお、こりゃ驚いた。えらく男前なお客さんじゃの。いやぁ、すまん。うっかり眠りこんでしまったわい。このことは婆さんには内緒にしてくれんかの。ほれ、アメで手を打たんか?」
「いや、アメはいい。それよりも頼みがある。客の中にガーケットという男が宿泊しているな? ダレジャの彼の知り合いが来ていると繋いでくれないか?」
「構わんよ。どれ本人に確認するからの、キャンディでも食べて待っていなされ。そのキャンディは婆さんの手作りでな。子供にも大人にも結構評判がいいんじゃよ」
人の良さそうな笑みを浮かべて老人が階段を上っていく。バルクライは少し考えると、小さなバスケットに盛られたキャンディの包みを一粒だけ上着の内ポケットに入れた。子供にも人気というのであれば、モモが喜ぶかもしれない。気にいるようなら袋で手配するか。簡単な計画を立てていると、老人が男を伴って戻ってきた。
彼がガーケット伯爵か。しかしその服装は貴族が着用しているものにしては質素であった。長袖のボタンシャツにベストとズボン。一見すると貴族には見えず、ミラに聞いていた印象通りに、柔らかな顔立ちの男だ。年齢は四十代後半か。色の薄い茶髪にオレンジがかった瞳をしており、その目には聡明な光がある。
「お待たせして申し訳ない。こちらへどうぞ」
「ああ。──助かった」
「なんの。かわりと言ってはなんじゃが、さっきのことは……」
「言わなければいいんだな」
「優しいお客さんでよかったわい」
白いひげに囲まれた口元に笑みをつくると、老人は奥に戻っていく。それほど恐ろしい奥方なのか。バルクライは瞬き一つで頭を切り替えると、おそらく身分を隠しているだろうガーケット伯爵について階段を上った。
カイの説明どおり、庶民向けの宿のようだ。部屋の扉は左右合わせて十あり、廊下も狭い。その一つの扉を開くと、ガーケット伯爵はバルクライを先に室内へ入れる。ベッドとテーブルと椅子が二脚あるだけの簡素な部屋だ。バルクライが先に椅子に座り、ガーケット伯爵が後から腰を下ろした。
「お初にお目にかかります、バルクライ殿下。このような簡素な部屋にお招きして申し訳ございません。なにぶん宿に華美なものは好まない性分でして、どうかご容赦を。お飲物のご用意をいたします」
「気持ちだけでいい」
「わかりました。では、どのようなご用向きでございましょう? 例の件でしたら、私が知り得る情報はあなた様もご存じの範囲かと」
「承知している。オレの用件は別だ。単刀直入に尋ねるが、前師団長マックス・ブリージアの行方を知っているか?」
「なぜ、そのようなことをお聞きになられます? 陛下は部下の失態を彼の罪であると断じて師団長の座から下ろしました。そして、第二王子であるあなた様がその後を引き継がれた。あなた様のご活躍は私も存じ上げるところでございます。今のルーガ騎士団にマックスは必要ないでしょう。彼を探してどうなさるおつもりですか?」
答えを明確に示さないガーケット伯爵の目には抑え込んだ怒りと疑念があった。……オレがマックスを軽視していると思っているのか。団長の座を奪っておきながら、今度は都合よく利用しようとしていると。バルクライはその心情を理解して、疑念を払拭すべく口を開いた。
「もし、オレがマックスの立場でも同じように責任を負った。それが上に立つ者の責任だからだ。だが、彼が元師団長として誰よりも優れていたと認めてもいる。お前も想定しているのではないか? この先、元は神でありながら人や神を害する存在になった者がいる限り、ジュノール大国がさらなる困難に直面する可能性は高い。オレは彼の力が必ず必要になると判断した。頼む。マックスの行方を知っているのなら教えてくれ」
ガーケット伯爵の目から怒りが消え、虚をつかれたように呼吸が一瞬止まった。
「……王族であられる方が『頼む』とおっしゃるのですか」
「敬意を払うべき相手の友になぜ居丈高に命じねばならない」
そう伝えると、ガーケット伯爵は目元に皺を寄せて微笑み、深く頭を下げた。
「数々のご無礼をお詫び申し上げます。愚かにもあなた様を試す真似をいたしました」
「構わない。頭ごなしに信用しろという方が無理な話だ」
「ご理解に感謝を。マックスはあなた様に申し訳ないと詫びていました。本来なら時期を見て継ぐべき地位を一番大変な状況で押しつけてしまうと。だから私は、ルーガ騎士団に残ればいい、素直に従うのかと尋ねました。すると、あなたと同じことを言ったのです。その通りだと思いました。我々貴族は特権を得る代わりに義務を背負っています。それをあなた様は十分に理解していらっしゃる。私にも守りたい者達がいます。バルクライ殿下にご協力いたしましょう」
「マックスの行方を知っているんだな?」
「私の屋敷は彼のみやげだらけですよ。先日もユースカで見つけたという珍味を送ってきました。マックスは仲間と一緒に国内をあちこち旅しているようです」
ガーケット伯爵が穏やかに笑う。仲間というのはおそらく一緒に退団したかつての副団長や隊長のことだろう。陛下が彼等が他国に流れないように制約をかけているため、移動範囲は国内に限られる。そこにこの情報だ。バルクライが想定していた以上に頻繁なやりとりをしていたおかげで、探す範囲をかなり絞り込める。今回は完全な私事だ。ルーガ騎士団の団員を使うことは出来ない。手を考えねば。バルクライは腰を上げた。
「感謝する。時間をかけずにマックスを捕まえられそうだ。急に押しかけて悪かった」
「お待ちください、バルクライ殿下。マックスに簡単に会えるとっておきの方法がございます。ご興味ありませんか?」




