309、リジー、その想いを認める
*リジー視点にて。
リジーにとって、恋とはいつも惨めで苦いばかりのものだった。自分とは似ても似つかない美しい兄の妹に生まれたばかりに、好きになった人はいつもリジーの後ろにいる美貌の兄に目を向けた。男なのに自分よりも美しい兄に嫉妬して、そんな自分が惨めで大嫌いだった。
美しい兄の存在を、羨んだり同情することはあっても、リジーの気持ちをわかってくれる友達なんて一人もいなかった。だから、胸に積るわだかまりの囁くままに、兄が副師団長を務めるルーガ騎士団に一矢報いることを目的として、故郷を飛び出したのである。まさかその先で──……誰かに惹かれてしまうなんて思いもせずに。
「私はワッフルも好きだけど、バル様はどうかな? 美味しい?」
「……このくらいの甘さなら、悪くない」
モモの小さな手から口元へと運ばれたワッフルを食んだバルクライが、そう言った。男性的でありながらこれほど美しい人をリジーは見たことがなかった。女性的な美貌を持つ兄とはまったく違う端正な顔立ち。目を伏せぎみにした横顔に擦れ違う女達が見惚れている。逞しい腕に抱きあげられたモモも柔らかそうな頬がほんのり赤く染まっている。
モモを抱き上げているから自分で食べられないのだろうが、幼女の小さな手から直接食べる姿に、いけないものを見てしまったような気分になる。だからと言って、この人ゴミの中でモモを下ろすなんて選択肢はない。
リジーは自分の分のワッフルを食べ終えると、勇気を出してバルクライに話しかけた。
「バルクライ様、食べにくいのでしたら、私がしばらくモモを抱っこしていましょうか?」
「うーん、それならジャックさんかカイにお願いする! バル様も腕が疲れちゃうといけないし、女の子のリジーが私を抱っこするのは大変だもん」
「私なら平気よ? モモは軽いから、そこまで大変だとは思わないけど」
「このままで問題ない」
バルクライの目が一瞬だけリジーを見た。けれど、その視線はすぐにモモに戻されてしまう。その一瞥だけで心臓が跳ねて、もう一度自分を見てほしいと願いそうになる。けれど、その物静かな眼差しが向けられるのは幼いモモだけだ。
彼女が加護者だから? それとも彼女の後見人となっているため? そう思った自分にはっとする。心に波立つ感情は、嫉妬だ。
リジーが春祭りを一緒に回られるように頼んだのは、兄との仲を修復したかったからではない。この感情が恋なのかを確かめたかったからだ。胸の痛みがリジーに叫んでいる。これは、この気持ちは、間違えようもない──……私はバルクライ様に恋をしている。そう認めるしかなかった。
そっと苦笑したリジーに不自然なものを感じたのか、モモが戸惑った目をする。この子の黒い瞳はいつだって素直で、嘘をつかない。今もリジーとバルクライを交互に見つめて困っている様子だった。モモの好意を利用してしまったことと、せっかく楽しいお祭りに水を差してしまったことに、リジーは申し訳なさを覚えた。
「モモ、もう一口いいか?」
「……うん」
瞬きせずにモモだけを見つめるバルクライの目に負けたのか、小さな手が再び男の口元にワッフルを差し出す。一口食べて、静かに咀嚼するバルクライの目は、もうリジーを見ない。これまでだって、キルマージの妹だから、リジーを視界に入れていただけなのだろう。
「リジー、ちょっといいですか」
「……なによ」
兄に呼ばれたリジーは表面上を取り繕っていつも通りに無愛想な返しをしながら、救われた気持ちで足をそちらに向けた。呼ばれなければ棒立ちになったまま動けなくなっていたかもしれない。
カイとキルマージの前に立ってきつい眼差しを二人に向けると、苦笑を返された。そして、声を潜めてはっきりと忠告される。
「そんな顔で睨むのはお止めなさい。お前は誤解していますよ。カイがこれまで言ったことも、私がこの場に呼んだのも、私達が知っている事実があり、黙って見過ごせばリジーが深く傷つくことになると思ったからです」
心を見透かされていたのかと、かっとなった。恥ずかしさと恋心が悲鳴を上げている。リジーは思わず攻撃的に語気を強める。
「なにが言いたいのっ?」
「バルクライ様に心惹かれた者はあなただけではなかった、ということです。これまで名高いご令嬢から他国の美姫まで何人もの女性があの方を求めました。ですが、誰一人としてあの方の心を動かせる者はいなかったのですよ」
「こうしてオレ達と春祭りを回るなんて、少し前のバルクライ様を思えば、絶対にありえなかったことなんだぜ。あの方は部下を大事にしてはいるが、必要か、不必要かを基準に物事を判断していた節がある。そこに情があるはずなのに、それを無意識なのか周囲に悟らせなかった。だから、近寄りがたいと思っていた団員も多かったんだよ」
カイの言葉に気づかされる。そんなバルクライの心を惹きつけた人がいるのだ。リジーは以前のバルクライを知らない。恋をしたのはその誰かが変えたバルクライなのだ。
「それがどうしたのよ。私が誰を想おうと自由でしょ? 身分違いを理由としてるなら、バルクライ様のお母様だって庶民の出からご側室になられているもの!」
側室になりたいなんて大それたことを考えているわけではなかったが、負けん気が出てしまい、リジーは虚勢を張って腕を組む。心配して言ってくれたことはわかっていた。それでも、気づいてしまった想いを簡単には手放せない。
「昔から、気の強さは変わりませんね。覚悟があるのなら好きになさい」
「いいのか、キルマ?」
「ええ、止めても無駄でしょう。──ただ、この春祭りはあなただけのものではありません。告げるのであれば、時は選びなさい。あの子を利用したことはけして悟らせてはいけませんよ。せめて口に出した言葉通りに、お互いに歩み寄りの姿勢を見せましょう」
大嫌いだった兄の言葉には優しさがあった。リジーはツンとしながらも、モモを横目に見て微かに頷いたのだった。




