262、モモ、飛び出す~嬉しい時の涙は我慢しなくてもいいよねぇ~後編
お腹に回された手に苦しくない程度の力が込められた。桃子は大きな手に五歳児の小さな両手を重ねた。初めて出来た大切な人。心に灯された小さな恋心がゆらりと揺れた。
道端に立つ人々が口々に声を上げている。
「お帰りなさい!」
「きゃあ、団長様よ!」
「ジュノール大国に万歳!」
「副団長様と補佐官様もいらっしゃるわ!」
「こっち向いてください、バルクライ様―っ」
若い女性の黄色い声が耳を叩く。バル様が顔を向けたのか一際女性達の声が上がった。むぅっ。ちょっぴりもやもやする。これ、やきもちだよね? 美味しくないお餅は焼きたくないのになぁ。桃子は両頬をぷっくり膨らませると心からもやもやを追い出す。やきもちやきもちどっかに飛んでけ!
連なって進む馬の列は次第にルーガ騎士団に近づいて行く。街の商店街を抜けて緩やかな坂を登っていく。自然と傾いた頭がこてっと上向いて、視界に空が映った。今日はドラゴンが飛んでないかな? きょろきょろ探していると、馬がルーガ騎士団の前に辿り着いた。門の前には大勢の団員さんで溢れていた。
バル様はカイとキルマの到着を待つと馬で団員さん達の元に向かう。近づくバル様を目にして、団員さん達がざっと胸元に右手を当てて俯くように軽く頭を下げる。それは、ルーガ騎士団の敬礼である。
【お帰りなさいませ、バルクライ団長、カイ補佐官!!】
「ああ。今戻った。不在の間、キルマの指示によく従いルーガ騎士団を守ってくれた」
「出迎え、ありがとな。団長もオレもお前達ならなにが起ころうと大丈夫だと信じていたよ」
【はいっ!!】
「これより5日後には春祭りとなる。皆、気を抜かずに仕事に取り組め。……だが、今は仲間の無事を喜んでくれ」
無表情で淡々とした口調を崩さなかったバル様の顔に僅かな笑みが浮かぶ。全員無事に戻ったことはそれだけ喜ばしいことなのだ。バル様の後を引き継いだのは下馬したキルマである。パンパンと手を叩いて団員さん達に注意を促す。
「団長もカイも団員達も無事に戻りました。討伐に出向いていた部隊は順番で休んでもらいます。疲れた仲間を労ってあげてくださいね。それでは各自持ち場に戻ってください」
キルマの指示を受けて団員さん達は立ち上がるとバラバラに戻っていく。バル様とカイも走り寄ってきた団員に馬を預ける。桃子はバル様に馬から下ろしてもらうと、そのまま左腕に抱っこされて、ルーガ騎士団の中に入っていく。バル様が廊下を進んでいくと、出迎えに出られなかった団員さん達から声がかかる。
「団長、お疲れ様です!」
「カイさん、今度また稽古つけてください」
「皆さん、お帰りなさい」
団員さん達が声をかけてくれるのに、軽く頷いたり右手を軽く上げて答えながら、バル様は桃子を片手抱っこしたまま歩き出す。桃子はバル様の胸元を握らせてもらいながらにこにこする。街の人もルーガ騎士団の団員さん達も皆が嬉しそうにしているから、嬉しさの掛け算で、桃子の中の嬉しさは2倍にも3倍にも膨らんでいく気がした。心の中の五歳児も春祭りが一足先に来たように大はしゃぎだ。バル様―っと言いつつクルクル回っている。周囲に花まで咲いていそうだ。
バル様が階段を上がると、執務室の前にヤンキー座りをしている人影があった。両耳にじゃらじゃら光るピアスに、にやっと笑みを浮かべていたのはディーであった。その座り方がよく似合うのは、パンクな外見とディーの表情のせい?
「よう団長、待ってたぜ」
「ディーカルか。怪我が治ったとは聞いていたが、すっかり元通りのようだな。副隊長のリキットや団員達と会わなくていいのか?」
「もう顔は合わせた。リキットの奴には執務室が汚ねぇってさっそく小言を頂戴したよ。あいつもなぁ、もちっとゆるく生きりゃいいもんを」
「彼はそこがいいのではありませんか。リキットまであなたみたいになったら4番隊を締める人がいなくなりますよ。そうなると、あなたの部隊は脳筋に一直線です。これ以上書類が遅れることは許しませんからね!」
「へぇへぇ──団長、あんたが不在の間に起こったことはもう聞いたか?」
「これからだ」
「それならちょうどよかったぜ。一応オレも関係者だからな、一緒に話しちまった方が一度ですむと思ってよ」
「おや、ディーカルにしては気が利きますね?」
「あー、まぁ……チビスケだけに説明させるのも負担だろ」
ディーが頬を掻きながら明後日に視線を投げる。さりげない優しさに桃子は感動した。と同時に盛大に慄く。そ、そうでした。バル様に話したいことがたくさんあったから、無意識に後回しにしようとしてたけど、アニタ様の件とファングル乗っ取り騒動のことは大事なことだから、一番最初にお話ししなきゃいけないことだった。
「モモも関係しているのか?」
「ああああ、あのね、バル様に言わなきゃいけないことが2つほどありまして……っ」
思わず敬語になってしまった桃子のまごつく反応にバル様の目がすぅっと細くなる。うわぁんっ、怒られる予感しかしないのーっ。思わず周囲に助けを求めて見回すと、キルマは苦笑していて、カイは頭の上に?マークを浮かべている。桃子は最後の頼みとばかりにディーを見つめた。桃子がよほど泣きそうな顔をしてたのか、ディーは悩むようにがしがし頭を掻きながらもフォローしてくれる。
「団長が討伐に行ってる間、チビスケはいろんな部隊で手伝いに回ってくれてたんだぜ。書類整理なんかはオレも助けられた。この年頃のガキからすればそれだけで上出来だろ。我儘一つ言わねぇんだから、多少のやらかしは大目に見てやれよ」
「ディーがフォローするなんて珍しいな。いつもはやらかしてフォローされる側なのに」
「うるせぇぞ、カイ。チビスケとはこの一月どっぷり関わってたからな。さすがに情の一つや二つは湧くわ」
「ディーカルの言い分はわかった。オレも相手がただの子供ならばそうしただろう。だが、モモの場合は子供の失敗の範囲に収まらず周囲に影響が出ることが多い。──どこを見ている、モモ?」
「うびゅっ」
バル様が右手の親指と人差し指で桃子の頬を挟んで、ディーから戻させる。彫刻のように作り物めいた美しいお顔が目の前にあるけれど、黒曜石を思わせる瞳に浮かぶ僅かな苛立ちに、桃子は緊張を強いられて、目にうりゅりと涙を滲ませる。自業自得なんだけど、すんごいこあいよぅ。
「バルクライ様、続きは執務室でしましょう。ここではいつ誰が通りかかるかわかりませんし」
「……わかった。話は中でじっくり聞くとしよう」
バル様の美声が低くなる。無表情なのに、全身から怖いオーラが出ているよぅ。オーラなんて見れないけど、ぴりぴりしたものを感じて正座したくなっちゃう。見上げた眉間にうっすらと滲む皺に脅えながら、桃子はバル様により強制的に執務室へと連行されたのだった。……すんごく怒られませんように!




