第一八話 遠心力
ナガレから手渡された斧を、ベアールは訝しげに眺めた。
何せ己の愛用の斧がナガレの手により、これまで見たこともないような姿に変貌したのだ。
「おいおい、あんたがどういうつもりが知らねぇが、俺はこれまであの形で伐採を続けてきたんだ。幼少のことからこの仕事を続けもうすぐ三〇年だ。それだけの自信がある。いきなりやってきた素人さんにこれまでのやり方を否定され、こんなものを使ってみろと言われてもな」
「そう言わず。もしこのやり方が気に入らないようでしたら、依頼料はいりませんので」
ちょ! ナガレ! と慌てたように口にするピーチだが、安心してください、と彼は目で訴えた。
「……そこまで言われちゃ仕方ねぇな。試してはやるが、もし使いもんにならなくなってたら、この斧もしっかり弁償して貰うからな」
「はい、勿論です」
にこやかに言葉を返すナガレに、ふんっ! と鼻を鳴らし、そしてベアールは作業途中の大木の前まで足を進めた。
(全く、こんなもので簡単に切れるようになるなら苦労しねぇっての)
そんな事を思いながらもベアールは斧の柄を短く持ち扱おうとするが。
「ん? おいこらっ! やっぱこれは駄目だ! 不良品だ! こんなんじゃ柄が邪魔で斧が触れねぇよ!」
「いえいえ、それは柄を長く持って使用してください。もっと下の方を握って使うのですよ」
下のほうだと? と訝しげに呟き、ナガレの言うように握りを変えた。
(たくっ、こんなところを持ったら先端が重くて振りにくくて仕方ねぇだろうが)
「ベアールさん。木を切るときは全身を使ってその斧を振りぬいてください。体ごと回転させる気持ちでです」
ナガレのその発言で、ピーチがハッとしたような表情を見せた。
そういえば、確か杖を武器として使えと助言された時も、ナガレは柄を長く持つように教えてくれた。
あの時もゴブリン相手に思いがけない力を発揮できたことを思い出す。
「もしかして、あれも遠心力?」
ぶつぶつと独りごちるピーチ。そして、樵のベアールが遂に、ふんっ! と気勢を上げ、その斧を振りぬいた。
その瞬間、斧刃はこれまでより遥かに重い衝撃で幹を刳り、ドゴンっ! という重低音を辺りに響かせる。
かと思えば――ミシミシミシミシッ、と鈍い音を鳴らしながら、巨木が見事に傾倒した。
「な!? 馬鹿な! い、一撃だと! こ、こんなことが――」
ベアールが唖然とした表情で立ち尽くす。何せ彼が今まで扱っていた斧は、確かに刃こそ大きかったが、柄は短いというアンバランスさであったため、元々のベアールの怪力を存分に活かすことが出来なかった。
しかしそれがナガレの用意した長柄の効果で、体全体で振るえるようになり、更に先端が重いことによって遠心力を存分に活かす形となり、かのような重い一撃を叩き込めるようになったのである。
「す、す、すげええぇええぇえええええ! 何だこれ! 何だこれ! 何だこれはーーーー! きっもちいいいぃいぃいいいぃ!」
思わずベアールが天に向かって吠え上げた。あれだけの巨木を作業途中であったとはいえ、一撃のもとに切り倒したのだ。
その感動も一入なのだろう。
「あんたスゲェよ! こんな柄を長くしただけでこんなに威力が上がるなんて、これが遠視力というのの効果なのか?」
「遠心力ですね、まぁそんなところです。でも、お役に立てたようで良かったです」
ニコリと微笑むと、ベアールはナガレの肩を、バンバンッと叩き。
「全くあんた、まだ若いってのに大したもんだ。しかしこれは革命的だ! こんなやり方誰も思いつきもしなかったからな! あんたマジで歴史に名を残すぜ!」
流石にそれは大げさすぎだろうとは思ったが、取り敢えず喜んでいるようなので笑顔で返す程度に止めておくナガレである。
「それでは、これが依頼のお弁当です。どうぞ」
ベアールの作業も落ち着いたところでナガレは彼に昼食の入った籠を手渡した。
おう! 助かるぜ! と喜色満面で口にするベアール。
すると、ぐぅううぅう、とピーチのお腹がなった。
それにナガレが目をやると、恥ずかしそうに朱色に頬を染め、み、みないでよ、と顔を背ける。
「なんだ腹が減ってんのか。よし! だったら一緒に食ってけよ。みたところ結構量もあるし、あんたらが食える分ぐらいは余裕ありそうだからな」
宜しいのですか? と尋ね返すナガレだが、いい事を教えてもらったお礼だ! 食ってけ食ってけ! と豪快に誘われ、ふたりはご相伴に預かることとなった。
ピーチはよっぽど嬉しかったのか、涎を滴らせながら、昼食の席に付く。
その中身はサンドウィッチ。草の上で食べる昼食も中々おつなものだと、ナガレはその味を噛み締めた――
「ご馳走になってしまい本当にありがとうございます」
「いいってことよ。ところであんたらはハンマの街で活動してるのか?」
昼食も食べ終わり、ふたりがベアールに別れを告げると、そんな事を聞かれたので、ナガレが応える。
「はい、今はそうですね」
「そうか、だったらまたどこかで会うこともあるかもな。そんときは宜しくな!」
手を差し出されナガレもピーチも握手に応じ、そしてその場を辞去した。
「ふぅ、でもお昼が食べられて良かった~このままご飯も食べずに街まで戻るとかちょっと考えられなかったし」
途中、ピーチがそんな事を零してきたので、ナガレも、良かったですね、と返しつつ。
「確かにこれからもう一仕事あることを考えると、良かったかもしれないですしね」
そう言葉を続けた。
それにピーチが、へ? と怪訝な顔で口にする。
「何を言ってるのナガレ? 仕事はもう終わったじゃない?」
「いえ、どうやらこの森、一匹魔物が紛れてるようです。しかも既にその場所はかなり近い。放っておいてはベアールさんの身も危険です。ですから私がちょっと行って退治してきます。ピーチは待っていてくれてもいいのですが」
「な、何言ってるのよ! だったら私も行くわよ! 行くに決まってるじゃない先輩なんだから!」
ピーチの言葉に、そうですか、と顎を引き、ナガレは先を歩き始めた。
林道からは少し外れることとなり、狼などが通ったと思われる獣道を草木を掻き分けながら進む。
「でもよく魔物がいると判ったわね」
「奇妙な気配を感じますからね。それに、あの奥さんの話を聞いた時からそんな予感はしてました」
は!? と驚きの声を上げるピーチ。まさかそんな時から予測していたなど思いもしなかったのだろう。
「ちょっと待ってよ、なんでそんな事が判ったっていうのよ?」
「脚の怪我ですね。狼にやられたと言ってましたが、本来この森の狼は基本人に襲いかかったりしません」
「だから、それはたまたま運が――」
「確かにその可能性を考えるのが普通かもしれませんが、足を噛まれた時点で、あのベアールさんが駆けつけ狼を始末したといいます。つまりベアールさんはそれだけ奥さんの近くにいたという事。そんな中を、人間を警戒している狼が単独で飛び出して襲いかかるなんておかしくありませんか?」
「……そう言われてみると確かに。でもだったらどうして――?」
ピーチが頭を悩ます。
ちなみにこの森に生息する狼は基本的には群れで行動する獣である。
単独で行動することなどよほどのことがない限りあり得ない。そしてそのよっぽどの事とは――
「例えばこう考える事は出来ませんか? 狼は何者かに襲われ一匹を除いて始末されてしまった。しかもその状況で人がいるかもしれない場所に飛び出してきている。つまり、その狼はそれほどまでに追い詰められていた――人間を恐れる狼がなりふり構わず逃げ出してくるような相手、それはかなり限られてきます」
ピーチがゴクリと喉を鳴らす。
するとナガレが、いました、と声を潜め藪の中からそれを覗き見た。
「あの奥さんの怪我は気の毒ですが、それでもまだ運が良かったかもしれませんね」
ナガレがそう呟くようにいい、後にピーチが続いてその魔物の姿を目にし息を呑んだ。
「嘘……あれ、ベアグリーじゃない……なんでこんなところにいるのよ――」




