第一二五話 完璧な勇者①
明智 正義は物心ついた頃には自らが完璧な人間であることを理解していた。
世の中の人間は全て自分にとって駒でしか無いことを、エリート中のエリートの自分にとって有象無象の多くの人間は家畜に等しい存在だと、そう信じて疑わなかった。
そしてだからこそ将来自分が指導者となり矮小で愚かな家畜を導く必要があると、そう心に決めていた。
アケチは両親が築き上げてきた地位や名誉を利用することに躊躇いはなかった。今利用できるものを最大限活かせない人間がトップになどなれるはずがないと思っていたからだ。
そしてアケチの考える正義は正しいことだけが全てではないという思想のもとに築きあげられていった。真の正義を貫くには清濁併せ呑むようなそんな人間でなければいけない。
だからこそ光も影も両方を統べる必要があるし、人の闇も理解し利用しなければいけない。
それ故にアケチは小学校、中学校と敢えて虐めを誘発してきた。それは彼にとっては実験の一つでもあった。
アケチは虐めを通して人の心を完全に掌握しようと考え、そしてそれは概ね成功した。勿論最初は失敗もあり実験体の何人かは自殺に追い込まれたが、彼の崇高な理想の為なら小さな犠牲であった。
そしてアケチはその実験を得て一つの解に辿り着いた。それは中学時代でほぼ証明された。
その最終段階としてアケチは高校に入り、サトルを生け贄に選んだ。
しかし何故サトルだったのか? それにも彼なりの理由があった。
先ず虐めの対象として絶対に選んでいけないのは、黙っていても虐められるようなタイプだ。
クラスの連中に関して言えばアキバ、ナカノ、オオミヤなどがそれにあたる。
しかしどうして駄目なのか? それは人は底辺が酷い目にあっていても得られる満足感には限界があるからだ。
そう、所詮元がゴミではいくら痛めつけようが汚そうが行き着く先はゴミ。何の変化もない。これでは駄目なのだ。いくらゴミをボロボロにしたところでゴミ程度の価値では人はひきつけられない。そんなものでクラスは纏まらない。
ならば――綺麗なものならいいのか? 価値あるものを徹底的に痛めつける行為、しかしこれも却下だ。そもそも人は綺麗過ぎるものに対して敬服してしまう趣向が強い。
決して汚してはいけない、手を触れるのも烏滸がましい、恐れ多くてとても手を出そうとは思わない。
そう、これはまさにアケチのような人間に対して下民が取る態度。そしてアケチほどではないにしても優れた人間に対し人は一歩引いてみてしまう。
そんな人間を虐めのターゲットになど出来ないだろう。何よりそういった人間は何れアケチの駒になりうる可能性が高い。
アケチにとって自分以外の人間など家畜か駒かのどちらかである。家畜であればいくら処分したところでいくらでも変えが効くが駒は必ずしもそうだとは限らない。
だから手駒をこんなくだらないことで失うのはあまりに勿体がないのである。
そう、だからこそ、だからこそサトルは打って付けであった。何故か? 平凡だからか? 違う。平凡は駄目だ。つまらないし平凡な人間では人の嗜虐心を満たし切ることが出来ない。
しかしサトルは決して上流といえるような家柄ではないが、そこそこ裕福な中流家庭に育ち、それなりの企業に務める父親に、厳しくもあるが優しく平民にしては綺麗な母親。そして生意気だが兄思いの妹と家族構成でいけば中々に幸せな環境で育っている。
更に成績もそこそこ高く、運動もそつなくはこなし顔だってどこぞの芸能事務所に入っているような連中には劣るが家畜としてみれば整ってる方だろう。
そう、まさにサトルはアケチにって理想の生け贄の一人だった。だからこそ最初からクラスの生け贄はサトルに決まっていた。
なぜならサトルは多くの人間が、こいつはなんとなく幸せそうだな、と思えるタイプの存在だからだ。決して一流ではないがそこそこ人に妬まれる存在。
そんな人間を壊す時、人は言いようのない快楽を覚える。人が何より優越感に浸れるのは、幸せそうなものが、そこそこ綺麗なものが、醜く汚れ果て堕ちる瞬間なのである。
そうサトルは綺麗なペットボルトだ。これが道端に落ちているような空き缶なら精々潰して蹴って、そこそこ遊んだらそれで終わり。かといって高級なウィスキーの空き瓶では壊そうなんて思わない。棚に飾っていつまでも見ていたいと思うだろう。
だが綺麗なペットボトルは違う。ボコボコに潰してもまだ飽きない。なんならまた少し形を戻して壊して、そして落ちぶれたペットボトルを眺めてまた楽しめる。あれだけ綺麗だったものが見るも無残な姿になったとき、至上の喜びを感じてしまう。
しかし所詮はペットボトルだ。上には行けない。だから壊してしまっても何の問題もない。サトルはアケチにとってそういう人間だった。
そして、全てはアケチの狙い通りことが運んだ。あの陸海空の手綱を上手いこと握り思い通りに動かせたのも大きかっただろう。
クラスはサトルを虐めている限りは平和だった。サトルという共通のはけ口が用意されたことで彼らのストレスは全て生け贄によって発散されていく。
あの陸海空ですらサトルを虐めている限りはこれといった問題を起こすことはなかった。むしろこれだけの問題児を更生させたということで教師のイサム共々アケチの手腕は評価された(イサムに関しては恩を売るためにアケチがそういう方向に持って行っただけだが)。
そして――あの事件もアケチにとっては想定内のことではあった。一応は陸海空の三人に、とんでもないことをしてくれたな、とキツくいったつもりだが、そもそもサトルに妹がいることを示唆したのも、サトルのスマホを勝手に見るよう仕向けたのもアケチだ。
勿論直接ではなく海島を通しての方法であったが――そして案の定あの三人はサトルの妹を酷く猟奇的なやり方で殺してくれた。
そしてその先はアケチが親の力を利用し全ての罪がサトルに被るよう仕向けた。
そしてこのおかげでサトルを虐めていたことに正当性が生まれた。
そうサトルが捕まり殺人犯と確定すれば、これだけ異常な人間であればむしろ虐めていて正解。いや、これは当然の罰であり正義の鉄槌であったと勝手に思い込んでくれる。
それはアケチにとって重要なことだ。アケチは今だけを見ているだけではない。一〇年後、二〇年後の結果までもをしっかり見据えている。
ただ虐めさせて終わりでは成人した後で罪悪感に苛まされる可能性がないとはいいきれない。いくら無能な家畜とはいえそれぐらいの感情は持ち合わせているだろう。
しかし虐めていた相手が犯罪者であれば話は別だ。その瞬間に罪悪感は薄れ寧ろそれを正当化する。
だからこそ用済みのサトルには犯罪者になってもらう必要があった。いやなって当然であった。何の価値もない人間だ。せめてアケチの考えが正しかったことを検討する道具になり、アケチの為に死ぬのが彼の正しい生き方だ。運命と言っていい。ゴミほどの価値しか無い妹とて、アケチの為に死ねたなら本望だろう。
そう、ここまではアケチにとって計算通り事が進んでいた。だがそれは唐突に起きてしまった。
修学旅行のバスの中、突如謎の光に包まれ――アケチと教師を含む二五人が異世界へと召喚されてしまったのである。
異世界ではアケチを含む二五名は皇帝陛下との謁見を余儀なくされた。
最初はクラスメートの多くが戸惑いを隠せない様子だったが、中にはステータスというものが存在する世界にこれたことに感動しているものもいた。
その中で、アケチは比較的冷静だった。世界を導く選ばれし存在はこんなことで慌てふためいたりはしない。
すぐに状況を理解しそして適応した。自分についた称号が完璧な勇者であったことも当然だと思った。
謁見中、荒牧 舞が文句を言い教師であるイサムが肝を冷やした場面もあったが、それもアケチの機転で回避された。
そしてアケチは瞬時にして皇帝陛下の懐に入り込み、地球にいた頃となんらかわらなくクラスの中心人物として振る舞い、主導権も握っていった。
アケチの提案により帝国に協力する組と送還の準備が整うまで大人しく過ごす待機組とにわかれた。待機組はできるだけ危険の少ない町に逗留させてもらうこととなった。
その場所は辺境にあるフィーニス領内の町となった。国境が近いとなると危険なのでは? と疑問を持った生徒もいたが、隣国のバール王国は平和国家であり寧ろ安全圏だという。
それに領主を任されている辺境伯のカチュアはマーベル帝国において唯一である女性の領主だ。皇帝は恥ずかしながらと自嘲ぎみに笑いつつ、帝国内ではまだまだ女性蔑視の風潮が根強く残っており場合によっては召喚された救世主といえど不快な思いをさせてしまうかもしれない。
しかしフィーンス領であればカチュア(どうやら第五皇女らしい)の治下、女性の権利拡大を中心とする施策が律されておりその分過ごしやすいだろうとの話であった。
なのでアケチはこれを理由に待機組に納得してもらった。元の口の旨さとカリスマ性も相まってアケチに意見してくるものなどこの中にはほぼいない。
唯一マイだけはやはり不満を隠し切れない様子でいたが、帰れない以上は仕方ないといった感じで一応は納得してくれた。待機組ではなく帝国に残って協力する道を選んだのは少々意外だったが――
書籍版発売まで――あと3日!
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