幕間 奴隷幼女アン
一体どうしてこうなってしまったのか? 何が一体良くなかったのか?
馬車に揺られながらアンはそんな答えの見つからない問いを、自らの胸に語り掛け続けていた。
だが、そんな事をいくら考えても無駄な事ぐらいは彼女だってわかっていた。
マーベル帝国では獣人の扱いが酷い事をアンだって理解していた。
両親がずっと彼女に聞かせ続けていたことだからだ。
だから絶対に一人では行動してはいけない。人族の目に触れてはいけない。
森で隠れるように暮らしながらそれだけは絶対に守るよう散々言われ続けてきた。
だが、あの時アンはその言いつけを守らなかった。慣れ親しんだ森であったから油断したのだ。
母親の誕生日に、丁度その時期にしか咲かない花をプレゼントしたかったというのもある。
しかしそれが良くなかった。慣れ親しんだ森と簡単に考えすぎた。
その結果アンは奴隷商人に捕まってしまった。
その時の悲しみをアンはいまでも忘れない。
そして――アンを必死に助けてくれた両親の姿も。
結果的にアンは奴隷の首輪を嵌められる前に父と母に助けられた。
そして奴隷商人の手から逃れたのだが、その結果、親子三人逃亡奴隷として追われるハメになってしまった。
アンはそのことに涙ながらに謝ったが、両親はアンを叱ることはなかった。
なぜいいつけを守らず一人で出歩いたか、その理由を両親は知っていたからだ。
そして父がふたりを絶対に守ると誓ってくれた。父は弓の名手であったし下手な魔物にも負けない強さを誇っていた。
そんな頼りがいのある父であればきっと逃げきれるはず――アンもその事を信じて疑わなかった。
だがその希望も、あの悪魔のような三人の手によって粉々に打ち砕かれてしまった。
黒髪黒目の三人はアンの尊敬する父親を殺し、美人で優しかった母親を乱暴してアンの目の前で顔の形が変わるほどまでに殴打し、母親の命さえも奪った。
しかも連中はそれだけでは飽き足らず、まだ幼いアンにさえも乱暴を働こうとした。
わけのわからない内に身体に手が伸び、三人の手で身動きを取れなくされ――あの時の三人の醜悪な顔は、今でも夢に出るほどだ。
しかし、結局その三人がアンに乱暴を働くことはなかった。
正確に言えば何者かの手により三人の行為は未遂に終わり――そして三人は途中で乱入してきた少年の手により惨殺された。
その時の光景は、今でもアンの目に焼き付いてはなれない。
それぐらい凄惨な出来事であった。
ただ、今思えばその少年がいたからこそ、少なくともアンに危害が及ぶことはなかった。
アンはその時の事を今でも後悔している。あの時アンは近づいてきた少年に恐れを抱いた。
そして思わず、ヒッ、と声を上げ後はひたすらに謝り続けてしまっていた。
だけど、あの時先ず言うべき言葉はお礼だった。
にも関わらず、アンは命を乞うように謝ってしまった。
その事が今でも心残りなのである。
あの後結局アンが顔を上げた時には既に彼の姿はなかった。
名前すら聞きそびれてしまった。ただ直接本人から聞いてはいないが、アンを酷い目にあわせようとしていた三人との会話からサトルという名前であることは理解できた。
どうやら顔見知りではあったようだが……あの行為を見るに相当深い恨みでもあったのかもしれない。
だが、それでも彼の行為で少なくともあの三人から助かったのは事実であり間接的とはいえ両親の仇も取ってくれた。
「あの人について行けば……少しは違ったのかな――」
膝を抱えるようにしながらついついそんな事を口にしてしまう。
馬車の中には彼女以外にも数人の少女が乗っていた。いや無理やり乗せられたと言うべきだろう。
全員一様に手枷と足枷を嵌められている。奴隷の首輪がされていないのはいざという時にごまかせるようにと思ってのことだ。
その為服装も簡素な貫頭衣だが、手枷と足枷が目立たないように着させられている。
ただなぜ奴隷であることをごまかそうとしているのかはアンには理解できなかった。
そう、奴隷、アンは結局あの後森を彷徨っている途中、別の男たちに捕らえられ奴隷として売りさばかれる事が決定してしまった。
アンを捕まえた男たちは奴隷を他国に売り飛ばすような事も平気で行うような連中であった。
裏で商人と繋がり、それを飯の種としている。
そしてアンは男たちの手から奴隷商人の手へと渡り、他の奴隷と一緒に馬車の中に押し込められた。
アン以外の奴隷たちも全員同じ獣人であった。そして皆死んだ魚のような目をしている。
全員が俯き、焦燥感漂い、どこか諦めに似た表情。
既に馬車は帝国を抜け、バール王国という地に入ったことは前から聞こえる御者と商人の話し声で悟る事ができた。
ただそれ以上に余計な情報も耳に入ってきた。正直まだ普通の奴隷であれば、運が良ければ少しでもまともな人間に買われることも願えたかもしれない。
だが、現実は残酷であった。どうやら彼女たちの買い手は誰もが拷問好きや、気に入った獣人を剥製にして飾っておくような者や、生きたままの獣人を少しずつ切り刻んで食べていくような、そんな頭のおかしい連中しかいないらしい。
三日生きれるかどうかなんて話もしている。だからこそこの商売は美味しいなんていう下衆な会話も聞こえてくる。
他の少女と同じで、アンも油断するとすぐに言いようのない不安に襲われる。震えが止まらない。
こんなことならまだ最初の奴隷商人に捕まってしまった方がマシだったのでは? なんてことさえ考えてしまう。
しかしそれは折角助けてくれた両親を否定するようなものだ。そんなことを思ってしまう自分がとてもいやで膝を抱えて涙した。
このまま私は、顔も知らない連中の手に渡り、下衆な連中に好き勝手弄ばれ、そして死んでいくのか――。
他の奴隷にされた少女もきっと今のアンと同じ気持ちなのだろう。
だからこそ既に目に光はなく、絶望に打ちひしがれ、ただ死を待つだけの人形に成り果てているのだ。
「――助けて、誰かぁ……」
無駄だと判っていても、ついそんなことを呟いてしまった。
だが、その時である。突如馬が嘶き、馬車が急停止した。
「ま、魔獣だーーーーーー!」
「ち、畜生なんでこんなところに魔獣が、こ、こんなの聞いてないぞ!」
「しかもオルトロス! Sランクの冒険者でもいねえとこんなの勝てねーよ!」
「お、俺は下りるぞ、命あっての物種だ」
「おい馬鹿言うな! 馬車には商品が載ってんだ! なんの為の護衛ださっさと守れ!」
「馬鹿いえ! そんなに大事ならテメェで勝手に守ってろ! お前らも早くに、ぎゃぁああああ!」
「な、一瞬にして三人やられ、ひぃぃぃいいい!」
突如怒号が飛び悲鳴が響き渡る。これには流石の奴隷たちも俯いていた顔を起こし、表情を強張らせた。
そして――
「お、おいふざけるな! 私は帝国でこの人ありと言われた闇商人、アグネ、うわぁっぁああぁあ!」
御者台から商人の絶叫が轟いたかと思えばその直後馬車が激しく揺れ、更にアンの視点が大きく回転した。
恐らく馬車が吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がっているのだろう。
車内に奴隷たちの悲鳴が響き渡った。
小さな身体が車内で跳ねまわり、身体をしこたま打ちつけながら――ようやく静寂が訪れる。
「う、う~ん、だ、大丈夫!?」
真っ先にアンが飛び起き、頭を振りながら他の獣人へ声を掛けた。
すると全員が頭を上げる。気分が悪そうにも見えるが命には別状はなさそうである。みたところ大きな怪我をしてるものもいない。
「逃げよう!」
そんな彼女たちにアンが提案する。仔細は掴めないがそれでも直前の声から馬車が魔獣に襲われたというのは理解が出来た。
今の状況ならどさくさに紛れて逃げることも可能だろう。
「で、でも私達腕にも脚にも枷がされてるし……」
「それでも全く動けないわけじゃないよ! 走ろうと思えば走れるわ!」
「で、でも……」
「生きたくないの? このままじゃ魔獣に食われちゃうか、例え生き残っても売り飛ばされて苦痛に耐えながら死んでいくだけなんだよ!」
アンが叱咤するように声を張り上げる。すると奴隷たちが顔を見合わせ、そして決意した。
その瞳には僅かながらも光が取り戻されつつあった。
そして、いくよ! というアンの声に合わせて奴隷たちが一斉に馬車の外に飛び出した。
――クチャ、クチャ、クチャ……。
外に飛び出した彼女たちが先ず目にしたのは、肥えた商人を貪り食う魔獣の姿だった。
思わず一人が悲鳴を上げそうになるがアンが口を抑え、静かに! と警告する。
魔獣は食事に夢中だ。今のうちなら気づかれる事なく逃げ果せるかもしれない。
そう考え慎重に脚を進める。他の奴隷も泣きそうな気持ちを必死に堪え、アンについてきてくれた。
とにかく、この場を離れなければ、近くの藪に飛び込み、そしてなんとか――そう考えていた。
だが、その時藪の中から飛び出す影。
思わず、キャッ! と短いながらも悲鳴をあげてしまう。
飛び出してきたのは蛇であった。しゅるしゅると下草を移動していく。
そして――ガルゥ、という声がアンの耳朶を打った。
アンは声の方へ顔を向ける。目があった。魔獣の凶悪な瞳が奴隷達を認識するのに数秒も掛からなかった。
「私が囮になるから皆は逃げて!」
思わずアンが叫び、自らが前に出て魔獣の気を引こうと行動に出る。
なぜこんなことをしたのか自分でも不思議だった。
だけどこれしかないと思っていた。勿論アンも魔獣は怖いが、彼女たちに逃げるように提案したのは自分だ。その責任がアンにはある。
だが、その直後魔獣が大地を揺さぶるような雄叫びを上げた。
あまりの迫力にアンの脚が竦み、腰が砕ける。
動け! 動け! と念じても全く身体が動かない。魔獣のスキルの効果で身体の自由が効かなくなってしまったのだ。
そしてそれは他の奴隷とて同じ。このままでは全員魔獣の餌食だ。
そして事実魔獣は既にアンの目の前まで来てしまっている。
その大きな口が開かれた。鋭利な歯が無数に生えそろっており、こんなのに食べられちゃったらきっと痛いんだろうな、なんて事まで考えてしまう。
しかし意外にも心は落ち着いていた。そしてアンは瞳を閉じ、パパ、ママ、と振り絞った声で呟く。
アンは覚悟を決めていた。だが、せめて他の奴隷たちは生き残って欲しいとも思っていた。
自分だけで腹を満たしてくれれば、もしかしたら――と、そこまで色々考えたところで何かがおかしいことに気がついた。
何故魔獣はこんなに食べるのが遅いのか?
そして、恐る恐る目を開くとそこには――
「どうやら間に合ったようですね。それにしても、よく頑張りましたね」
アンの目の前に佇むは黒髪黒目の少年。そして彼はその手で魔獣の口を押さえつけながら、アンにそう言って笑顔を向けてきたのであった――。
これにて第四章ナガレ激闘編のメインの話は終わりです。
次の章では何故幼女を助けるまでになったのかも含めた流れとなります。
そして次章のタイトル(予定)は第五章ナガレとサトル編です!
ご期待いただけると嬉しく思います。
なお次の章は出来るだけ早くに始めたいとも思ってますが少しお時間を頂くかもしれません。どうぞ宜しくお願い致します。
※キャラクター紹介や名簿などは本編のどこかに差し込もうと思います。




