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レオナルド 〜同じ地に立つ彼女〜

 優しい春の日差しが次第に強くなり、夏の太陽が照り付け始めた季節。学園の三年生は夏休み前恒例の課外研修がある。

 名目上は貴族の令息令嬢が『共同生活を送り、協調性を学ぶ』とあるが、実際はほとんど“夏のバカンス”だ。


 この課外研修。どこに、誰と行くかは完全ランダム。狙ったキャラと同じグループになれるかどうかは運次第。

 前世のゲームプレイ時、目当ての攻略対象と一緒になれるよう、何十回もセーブとロードを繰り返した思い出が蘇ってきた。


 そして今回、リディアの行く先は——


「王族所有の海辺の避暑地で課外研修……。やることの規模が違うわね、この世界」


 リディアは宿泊地の別荘のバルコニーから青い海を見下ろしながらつぶやいた。


 そして名簿には王太子、レオナルドの名前。同じ行き先になった令嬢たちの狂喜乱舞といったらもう……。


 だが、この乙女ゲーム『薔薇色の夢』はそんなに甘くない。

 悪役令嬢リディアはゲーム内で選択肢『レオナルドに声をかける』を選ぶと、彼の隣を独占しようと他の女子を押しのける。最終的に好感度ダダ下がりの結果に直結するのだ。恐ろしいまでの鬼設定。


(正しい距離感、大事!)


 リディアはかたく心に決めた。



 課外研修の夕暮れには肝試しが行われた。


 肝試しは意中の男性にアピールする絶好のチャンス。今までのリディアなら、どんな手を使ってでもレオナルドとペアになろうとしていたはずだ。しかし今回、彼女は笑顔で首を横に振った。


「私は運営側に回りますので」


 彼女はチェックリストを手にしながらルートやペアの確認を行っていた。どの令嬢もレオナルドに近づきたがる中、彼女だけは涼やかな顔で運営業務に徹していた。その様子を、目の端に捉えたレオナルドは彼女の変化を実感していた。


(やはり……これまでの彼女とは違う)


 それは、もはや噂などではなく、事実として彼の中に根を下ろしつつあった。


***


 夜には懇親会がテラス付きホールで開かれた。学生であるためアルコールなどはないが、皆ドレスアップし、本音を建前で隠すその様子は社交界の縮図。権力ある者の周りに人が集まる。


 この中で最も地位の高いレオナルドの周囲は、花が咲いたかのように人で溢れていた。


「殿下、こちらのお茶はいかがですか?」


「殿下、次の休暇はぜひ我が領地に遊びにいらしてください」


「殿下、次のダンスはわたくしと……!」


 絶え間なく押し寄せる人の波。レオナルドはそれがとてつもなく息苦しかった。


 王族としてそつなく対応し、ようやく落ち着いたところで、彼はそっと移動した。

 テラスに出ると潮の香りと涼やかな風が髪を撫でる。ささくれた心が少し凪いだ。


 ふと、そこに先客がいることに気がついた。

 ストロベリーブロンドの髪が、月の光を受けて美しく輝いている。


「君も、ここにいたのか」


 その声に振り向いたのは、リディア•アルスレッド。


「まあ、殿下。……お邪魔になるようでしたら、失礼しますが」


 その言葉にレオナルドは少し驚き、そして笑った。


「いや。むしろ、静かな時間を共有できる相手がいて助かる。会場は少々……賑やかすぎてな」


 リディアは淑女の礼をとって応えた。


「わたくしでよければ。お話相手くらいには」


 しかし心境はバクバクだった。


(ちょっと待って。ここでレオナルドとのイベントなんてあった!? なんかここ……すごく雰囲気いいし!)


 混乱気味のリディアにレオナルドが問いかけた。


「君はなぜ、肝試しは運営側に? 今までの君なら、私の隣を争うかと思ったが」


 リディアの目が泳いだ。視線を逸らしながら取り繕うように言う。


「それは……。まぁ、今まででしたらそうだったかもしれませんわね。でも誰かが運営をする必要がありますし……。それに、なんというか……、あの手の趣向は……わたくしには少々刺激が強すぎるようでして……」


「刺激が……? もしや、リディア嬢は怖いのが苦手、なのか?」


「いえいえいえ! 苦手というわけでは! ただ……得意ではないだけで!」


 図星だった。リディアの中の“莉奈”は根っからの怖がり。前世ではホラーゲームもお化け屋敷もテレビの心霊物も避けてきた。


(いや、怖いの、ほんっと無理……!)


 クスっとレオナルドは笑って視線を海に戻した。


「では、そういうことにしておこう」


 ——沈黙。遠くから波の音が聞こえる。

 なんとなく気まずくなり、リディアは話題を変えた。


「殿下は肝試し、お楽しみいただけましたか? 皆さま、やはり殿下とペアになりたいようで。殿下は人気者ですね」


 レオナルドはしばらく海を眺めていたが、ぽつりと言った。


「……皆、“私”を見て近づいてきているのではない。見ているのは、“王太子”という立場だけだ」


 空を仰いで、心の奥を吐き出すように言った。


「私は……自分は人を“選ぶ”立場だと思っていた。だが、実際は“選ばれている”のかもしれないな」


 リディアの胸が、きゅっと締めつけられた。


 その言葉はまるでこの世界の“構造”を語っているかのようで。

 自分が乙女ゲームの“攻略対象”であり、“プレイヤーによって選ばれる存在”だと知っているかのような。


 ここで言うべきセリフはきっとこうだ。


『私は、あなた自身を見たいと思っています』


(でもそれを言えば、下手をすればこの瞬間から、恋愛ルートが発生してしまう——?)


 リディアは慎重に、別の返答を探した。そんな言葉ではなく、目の前の彼と向き合いたいと思った。


「でも、人を惹きつけることには変わりないでしょう?」


 リディアも海を見つめながら静かに言った。


「……どんな形であれ、人を惹きつけるのは素晴らしいことですわ」

「そして殿下であれば、きっと、そこから“真にあなた様を見てくれる人”を、選ぶことができるでしょう」


 それは恋慕ではなく、まっすぐな敬意。

 レオナルドが一瞬、言葉を失ったようにリディアを見た。リディアもレオナルドに顔を向けた。視線が重なる。


 再びの沈黙。

 風が二人の間を通り抜けた。


 彼の表情が、柔らかく緩む。


 リディアもそっと微笑んだ。

 そして、わずかに名残惜しそうにテラスの入り口へと足を向けた。


「そろそろ戻ります。殿下はどうぞ、ごゆっくり」


 ドレスの裾を翻し、リディアは軽やかに扉へと向かった。


(危なかった——あのまま、あの空気に身を任せてはいけない。これはゲームじゃない。私の選んだ“現実”)


 背を向けて去っていくリディア。

 彼はしばらく、彼女のいた場所を見つめ、やがてふっと力を抜いたように笑った。



「殿下? あの令嬢に何か言われましたか?」


 懇親会がお開きになり、部屋へ戻る道すがら、付き従ってきた側近が警戒するように言う。


「いや。……彼女は“共に在ろう”としていた」


「……え?」


「以前の彼女は、私の隣に“だけ”立とうとしていた。今の彼女は、“同じ地に立っている”気がする」


 静かに、確信を持った声だった。


「……変わったのだな、やはり。あのリディア・アルステッド嬢は」


 それは、ただの好奇心ではなかった。信頼の芽のようなものが心に生まれるのを、レオナルドは感じていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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