リディア 〜春の薔薇園にて〜
攻略対象とヒロインとの春の交流を終え、リディアが皆の好感度を振り返ります
柔らかな日差しが薔薇園のアーチをくぐり抜け、リディアのカップの中で紅茶を透かす。
香り立つミントとレモンバームのブレンドは、侍女アーニャが選んだ春の味だ。ほっと息を吐きながら、リディアは視線を巡らせた。
ここはアルステッド侯爵家薔薇園の一角。
美しく咲いた大輪の薔薇の花々は庭師の努力の甲斐あって今が身頃だ。しかし、ある区画の薔薇たちはまだ咲き始めたばかり。そう、ここに咲くのは普通の薔薇ではない。
それぞれの薔薇は、各攻略対象とヒロインであるアイラの心に灯った、リディアへの想いを象徴するもの。ゲーム『薔薇色の夢』の中では“ハートローズ”と呼ばれ、何度も見ていた。皆の好感度が薔薇の本数として視覚化される場所。
そして今は、この世界で縛りプレイをこなしてトゥルーエンドに行き着くための“道標”。
「……うーん、まだまだね」
リディアはそのハートローズたちを眺めながら、春の交流を思い起こしていた。
まず目を引くのはカイルの白い薔薇。
1本が見事に花開いていた。その美しさに目を奪われる。幼馴染のカイルは真っ直ぐで優しい人だ。リディアはここ数年でわがまま令嬢になっていたし、彼もその対応には手を焼いていたはず。けれども小さい頃の思い出は忘れずに大切にしていてくれていたのがわかった。だからこそ、変わったことをすぐに受け入れてくれた気がする。
「さすが、カイルだわ。でも、好感度が上がりすぎることがないように気をつけなくちゃね…」
次の薔薇は重たげなつぼみが、わずかに膨らんでいるだけ。うっすら花弁の赤色が見える。レオナルドのものだ。0.5本カウントといったところだろうか。
始業式での挨拶は無難にこなしたし、そこまで拒絶された感じもなかった。その後も品行方正に、慎ましやかに過ごしてきたつもりだ。おそらく悪評はないと思いたい。ただ、これまでのリディアの印象が悪すぎたのだろう。彼は冷静に相手を見据える人だ。まだまだ様子見をされているように思えた。でも、少しだけでも変化が目に見えたのは嬉しかった。
「レオナルドはゲームでも高難易度キャラだった。それにこれまでの迷惑かけっぷりも半端なかったから……まだ少し時間はかかるかしら」
ルシアンの薔薇も同じく0.5本というところか。つぼみが膨らみ、オレンジ色がそっと顔をのぞかせている。
もう“黄色い歓声”集団からは卒業したし、それを彼にもきちんと伝えた。先日、舞台後に交流したときも、印象は悪くなかったと思う。
しかし彼は舞台俳優。誰にでも優しい顔をする“完璧ルシアン”を演じることが上手な人だ。悪役令嬢リディアをそこまで警戒されている様子もない。が、油断はできない。
「リディアが“変わった”ってことも、どこまで信用されてるかわからない。ルシアンのあの笑顔……読めないわ」
そしてジーク。そのつぼみは硬く閉ざされ、開く気配すらなかった。もしかしたら今の好感度はまだマイナスかもしれない。
きっと彼にとって、リディアは顔も見たくない相手なのだろう。春の交流は撃沈だった。あの凍てつくような視線を思い出すと寒気すら感じる。前世でゲームをプレイしている時でも、彼は心を開いてもらうまで時間がかかる人だった。そう思って、誠意を持って気長に接するしかない。
「気長にね……。でもジークのあの氷対応に……私の心がどこまで保つかしら…」
最後に目に留まったのは、アイラの黄色い薔薇だ。彼女の笑顔と重なる明るい黄色の花が一輪、春の光を浴びて咲いていた。
彼女とはあれからも何度か会話を重ねていた。最初は少し緊張していた様子のアイラだったが、会話をするうちに共通点も見つかり、お互いの距離は少しずつ縮まってきていると感じる。
「ヒロインにも“ハートローズ”が設定されているんだから、仲良くなれる道もあるということよね。それに……アイラともっと仲良くなりたいって、私自身が思ってる」
リディアは紅茶を一口飲んだ。すっきりとした味わいが鼻腔を抜けて、気が引き締まる。
ここは乙女ゲーム『薔薇色の夢』の世界。
主役である悪役令嬢リディアの行く末は前途多難。バッドエンドでは追放され、ハッピーエンドでも何かしらの戦争や災害が起こる鬼畜な世界。
皆が笑える平和な世界で生きるために。トゥルーエンドに向かうために、ひた走る。どんなに厳しい道であろうとも。
「……だから私は、縛りプレイをやり抜いてやるわ」
高慢だったリディアのイメージを一新し、誰も傷つけず、かつ最良の結末を導くための攻略。一度崩れた信頼を取り戻すのは難しい。まるで高難度クエストのような条件に気後れしそうになることもある。
それでも——
「まだ春。咲いてない薔薇があるのは当然よね」
むしろ、これからなのだ。
握りしめたカップには紅茶の温もり。風が頬を撫で、薔薇の葉を揺らす。春の薔薇園に、ひとり意気込む少女の姿があった。
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